▲1九仲人(ちゅうにん)
「おおーい、鵜飼くん、すまんすまん、君の仲間になる戦士たちに今、声掛けしていたのだ。決して忘れていたわけではないぞ」
巨大なトレーニングジム然としたその大空間の奥側から、嘉敷老人が白々しい声を掛けてくると共に、ふっと我に返った僕は、目の前で不審げな視線を送ってきているその美麗少女から苦労して焦点を剥がす。
「……とはいえ、皆各々がトレーニング中だったので後にしてくれと言われた。あいや、別に私が軽んじられているわけではないだろうが、ここではトレーニングが何にも勝るからのう」
まあ軽んじられているのだろう。少し悲しげな目をした嘉敷老人にも気の毒過ぎて焦点を結びづらい僕の視線は、定まらずに空中を右往左往してしまう。
「……博士。この人は?」
と、その場の何とも言えない空気を振り払うかのように、茶色の髪を少し揺らしながら、美麗少女が嘉敷老人を振り返りつつそう尋ねた。「博士」って呼ばれている(あるいは呼ばせている)のか。
「ああ、ミロカくん、ここにいたのか。いやいや、やはりいたのだよ、『獅子』が。永らく沈黙していた『獅子のダイショウギ×チェンジャー』が呼応した継承者が! そう、彼こそが『レッド獅子』の正統後継者、鵜飼モリオ君だ」
その美麗な姿を認めるや否や、またも気持ちの悪い笑顔に移り変わった嘉敷老人は、唐突に矢継ぎ早に僕の紹介をするのだけれど、「正統後継者」って何。
「『獅子』……? 『と金』みたいな顔してるけど」
ミロカと呼ばれたその美麗少女は、のっぺりと無骨な僕の顔貌を評してそう侮蔑の混じった言葉を投げかけてくる。「と金みたいな顔」ってどんな顔。
「……才能は随一。そして見てくれ、この奇天烈な改造学生服を! これだけで彼が今の将棋社会にいかに不適合なのか推し量れもしよう。そして棋力は高三で7級と。どうだろう、逆に清々しいほどの反骨精神まで感じてしまうのは私だけだろうか」
嘉敷老人は意気込んで言うけど、褒めてはないよね。
「……肩幅は割とあるけど……見掛け倒しってのはよくあるし……ちょっとこれ上げてみなさいよ、体重どれくらい?」
おおう、美麗少女(以下、ミロカさんと呼ぼう)が、初めて僕に話しかけてくれた……普段は女子からいないものとして扱われているこの僕に……っ!! そして絶妙なツン具合に、僕のやる気メーターは一気に振り切れてびくびく脈動を始めている。
いいところを見せたい……!!
嘉敷老人(以下、嘉敷博士と呼んであげよう)の勧誘を受けた時でも、こうまでは出なかったやる気が、僕の筋繊維一本一本に通電していくかのように漲る。
体重は85kgです、と緊張で声が上ずりながらもミロカさんにそう告げると、へえ結構あるんだ、と反応してくれつつ、僕の右前方にあったマシン……これは見たことだけはある、「ラットマシン」だ……のウェイトを調整してくれているようだ。
シートに膝を突いて身を乗り出すミロカさんから、ふわりと柑橘系のいい香りが……いかん、静まれ僕の脈動ッ。
「60ってとこでしょ。このくらいは上がらないと話にならないけど」
値踏みをするかのような視線を送ってくるミロカさんだったが、そんな目で見られたら……っ。気持ちを深い呼吸で無理やりに落ち着けると、僕はそのマシンに相対してシートに腰を降ろす。
「ラットプルダウン」をやれと言うことなのだろう。僕はいかにもやり慣れていますよ風を装い、ネットで仕入れた知識を総動員して、シートやレッグパッドを調整していく。
足裏をしっかり地面につけ、肩甲骨を引き締めながら両腕を頭上のバーに伸ばす。小指薬指でしっかり掴み、中指人差し指を添えて準備完了。
「……いきます」
ミロカさんの方を見て、精一杯のさわやかな笑みを浮かべた僕だが、はやくやれ、みたいな実験動物を見る目で冷たく睥睨されただけだった。だが、それがいい。
「……ぬうううう、フンッハっ! フンッハっ!!」
なるほどこういう物なのか、トレーニングマシンとはッ。広背筋、大円筋にピンポイントで来るじゃあないかッ、最高だッ、最高の気分だぁぁぁぁっ!!
「待て待てっ!!」
脳内にアドレナリンを200mlくらい撃ち込まれているようなハイな気分でバーを上げ下げしていた僕に、ミロカさんから鋭い制止が入る。
「……間違えた、80か」
僕の体の左脇を通って、ウェイトを調整している……っ。美しい背中のアーチラインは艶めく肌の質感と相まって僕の衝動を揺さぶるわけで、体が固定されていなかったら、両腕が上げられてなかったら、あぶないところだった。
改めて、上げ下げを開始する。先ほどよりは少し負荷を感じたものの、より背中の筋肉へ利いているような気がして嬉しい。
「ハンッフっ、ハンッフっ、ハンッフっ!!」
フハハハハ、乗ってきたぞおぉぉぉぉっ。心地よい、心地よい刺激だあぁぁぁぁっ。
「あ、待って」
ん? またも制止された。横目で見たミロカさんの表情は抜け落ちているけど、再びよき残香をとどまらせながらウェイトを調整してくれた。
「フォォォォォォォォォォォっ!! ンヌゥゥゥゥゥゥゥゥっ!!」
流石にキツくなってきた。だがそのキツさがまた! 心地よいッ!! 心地よいぞぉぉぉぉぉぉぉっ!!
「ぷふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
最後はプルプルしてたが、何とか10回はこなせた。どうですミロカさん? そこそこやるでしょう、僕も。
「……」
懲りずにさわやかな笑みを送る僕だったが、そんな僕に向けられていたのは、完全に表情が死んだ美麗な人形のような能面だったわけで。
何か間違えていた? やり方。