△1八玉
ぽっかりと開いた、その暗闇。
何気ない公園に現れたそれは、開いたマンホールのようなビジュアルをしながらも、何か得体の知れない胡散臭さを潜ませている。
話の流れからすると、この中に、この下に進むんだよねー、と当然そうなるだろうね的な選択肢が脳裏をわっせわっせと駆け巡るけれども、躊躇してしまうのはしょうがないことだよねー。
「……」
おまけに覗き込んで確認したところ、遥かなる闇の底へと誘うものは、階段でもハシゴでもなく、一本の金属の棒だった。
滑り棒、ないし登り棒……消防隊員も緊急出場の時はこういったのを使用するのを何かで見たことはあるけど、これは逆じゃないか? 「本部」に帰るのに急ぐことってある?
「30メートルほど一気に下降する。命綱のような無粋なものは取り付けられてはいないから、まあ気を付けてくれ。30秒で閉まるから急ぐんだ」
無粋でも何でも、取り付けておいて欲しいものだけど。しかし「言っても無駄」な空気は既に浴びるほど取り込んでいるので、僕は黙ってそれに従うことにする。
カシキと名乗った老人は、軽やかにその黒い「穴」の上で軽くジャンプすると、次の瞬間、僕の視界から消えた。
何で無駄に勢いつけるんだよあぶねえよ、と思いつつも慌てて穴を覗くと、布が擦れるようなズオオオンという音がかなり下の方から響いてくる。こりゃあほんとに10階建てくらいの高さはありそうだ。
ただ、ここで怖気づいて逃げ出すというのも癪だったので、僕はゆっくりと穴の淵に一度腰かけてから、そして「棒」の掴み心地を掌で執拗に確認してから、穴の中へと身体を滑らせていくのであった。
両手プラス両肘あたり、両脚プラス両土踏まずを駆使して、びりびりと共振している金属棒を伝って落ちていく。
てっきり真っすぐ下へといくものだと思っていたが、金属棒は途中でぐにゃりと左へ右へと曲がりくねっていた。何故。
カーブの度に身体は右へ左へと振られ、あやうく振り落とされそうになるけど、必死でふとももを吸着させて事なきを得た。ジャージの内股部分のポリエステルが、摩擦による加熱で溶解・再固結してごわごわになったが。
そして金属棒の終点は、何故か床から2メートルは上空にあって、何故。
落下速度を殺しながら、足首をひねらないよう何とか両足から着地する。あぶないって、このアトラクション。
立ち上がって見渡すも、降りたところは薄暗い。
エレベーターホールくらいの広さの空間だった。左手に簡素な金属扉がうっすら見える。老人の姿は見えない。
「……」
選択肢は、どう捻り出そうとしても、ひとつしか無さそうだった。意を決し、妙に生温かい、その金属扉のノブを回して押し開ける。
「!!」
いきなり眩しい光と熱、そしてむわりと汗が結晶化してから昇華したかのような、独特のむせ返る臭気が僕の全身を包んだわけで。
夢かと見まごう光景がそこにはあった。いや、あったはあったが、正確には悪夢も六割くらい混ざっていた。
「……」
無言でマシンを押したり引いたり格闘している、老若男女。その静かなる熱気が、どう見ても通用口っぽいところからまろび出て来た僕を直撃した。
チェストプレス、シーテッドショルダープレス、などなど、カシキ老人が列挙していた、魅惑のトレーニングマシンが確かに、ずらりとその体育館くらいはあるんじゃないかほどのスペースに、そんなに密集してて大丈夫? くらいに林立している。
ガラスで区切られた向こう側にはプールで泳ぐ人たちの流れも見えたりで、凄い。本当……だったのか。まだ信じられずに、それらマシンの間を夢遊病者のようにふらふらとさまよう僕。
その時だった。
「ちょっと、邪魔」
呆気に取られていた僕の背後から、尖った声が掛かる。あ、すいませんと小声で謝りつつ、脇に退いて道を開けると、
「あれ見学? ……じゃないか。え? もしかして……」
怪訝そうな顔が、僕の目の前に突き出された。怪訝そうに細められていても、まだ大きなその瞳。気の強そうな口許。結構明るめの茶色の髪は肩にかかるくらい。
しなやかな流線形を描く肢体は、メッシュが入ったぴったりとしたブラトップの黒いウェアに、下は七分くらいの同色のレギンスで覆われている。
え? 白昼夢? と思うくらい、僕の妄想がいつも描くような美少女と間近で対峙していたわけで。
驚愕が度を越した時に現れる真顔へと表情筋が移行しながら、僕は万が一にも現実だった時の事を考え、その見目麗しい姿を網膜へと焼き付けるために、大脳の演算能力をすべてそれに回し始める。