▲8二古鵄(こてつ)
「……ここまでの局面に行き着けるとは、正直思わなかった。それは本当、みなさんの棋力のおかげです」
先女郷の問いを無視するようなかたちで、僕はそう、静かに呟き始めた。ここに至るまでの、指し手の全てを思い出しながら。僕だけでは絶対にたどり着けなかった。いろいろあった紆余曲折。それを全部咀嚼して、呑み込んで、いま僕たちは此処にいる。
風が、少し強まってきたようだ。汗で濡れていた僕の髪が、吹きっさらしに晒されて、やや生乾きになって揺れている。
「……」
ふ、と背中で気配を感じた。来てくれたのか。振り返らずとも僕にはもう分かる。
グリーン反車、フウカさん。その弩級双球の存在さえ、背中で感じ取れてしまいそうで慌てて僕は意識を逸らす。マスクは脱ぎ外していて、はじめて出会った時のように、その妖艶な顔に雫を垂らしている。どこか、達観したかのような笑顔。あなたのそのブレなさに、僕は随分と力をもらってきた。
ショッキング=ピンク盲虎、沖島。眼鏡の奥の目は、未だ心配そうにこちらを見やってくるけど、大丈夫だって。お前には、……棋力ハンパないお前には逆に盲点かもしれないけど、僕だってやれるってとこ、見せてやるよ。僕がキーパーとの一対一で外したとこなんて、見たこと無いだろ?
そして普段の優等生的な顔に戻っているイエロー猛豹、ナヤさん。いつもの戦闘時のように、気合い張ってくれていいんですよ? 今度こそ罵倒されないような一手を、繰り出しますから。
そのナヤさんに肩を預けた体の、スカーレット鳳凰ミロカさん。顔色は悪そうだけど、自分の足で立っている。良かった。本当に良かった。……調子こいて迂闊すぎた僕をその華奢な体でかばってくれて……本当、何て言ったらいいか。……指し手で、報います。
「ああ? ウガイ君だっけ? そろそろ覚悟を決めてくれ。まあどのみち君の持ち時間はあと1分を切ったが」
既にこの対局に、勝負に、興味を失ったかのような表情の先女郷がのたまうが。
「……香落ちにしたのは苦肉の策。すべては……」
-……盤上ここにある駒で、対局を申し込む。持ち時間は『六十分切れ負け』。承諾してくれるのなら、その対局時計を押してくれ-
「この言質を承諾させるためのカモフラージュだった。苦戦は必至。だがそれを見越しても、この『策』を仕込むことが、お前の思考の埒外からの、勝利へ繋がると信じた」
僕の言葉に、先女郷は眉を寄せてまた、ああ? と不機嫌そうな顔になるばかりだったが。
「……鵜飼くん、そろそろ時間だ。相手が投了しないのなら、その『一手詰め』を指すしか他はないんじゃあないかい?」
そこに間延びした声が掛かる。波浪田先輩。忘れていたわけではないですよ? そもそもの「策」の発端は、あなたから「オマジュネイション」を貰ったんですから。
僕はその時初めて後ろを振り返ると、目が合った金髪金色の出で立ちのそのヒトと、にやりとした顔を突き合わせるわけで。