△1四銀
「……」
真顔のまま固まってしまった僕だが、目の前で印籠然としたものを突き付けている老人もまた、固まっていた。僕の返事があるまでは、物事の諸々を先に進ませないというような強い意志を感じる。
しかし、こんな物騒な言葉をぶん回して、通告されないものなのだろうか。
「……迷うな、少年。私は君のような『強き者』を求めてさすらっていたのだ、この……四か月余りの間」
結構短期間だな。いや、論点はそこじゃあない。
「……自分は、弱いですよ。高三で七級っていう、そろそろ本気で心配されるレベルの。親だって、もう何も期待していない、生粋の落伍家真打なんです」
中一の弟の方が遥かに強い。そして彼の方が両親の期待を一身に背負ってる。僕は……家族のお荷物でしかない。
「将棋の話では無い」
しかし、老人は思いがけず強い目つきをすると、先ほどからの突きつけ姿勢のままで言い放った。
「いいか少年、棋力に勝る『二次元人』に将棋で挑むのはこれ愚策。負けたら死も覚悟しなくてはならない戦いに、そんなクリーンな精神は不要だ」
だんだん、この老人の言いたいことが分かってきた。よく見れば高齢の割に引き締まった筋肉質のいいガタイだ。まさかこの人も。
「君に希望を見出したのは、その身体に他ならぬ。今日び、そこまで無駄なく鍛え上げられた肉体に出会ったことはない。闘いに必要なもの、それは力」
ちょっと陶酔し始めてきた目だけど、言ってることは凄く腑に落ちる。そうだ、将棋が、全てじゃあない。でも、
「し、しかし、その『二次元人』ですか? に、殴ったり蹴ったりの格闘が効くものなのか……」
相手は得体の知れない化物だ。見た目の質感でも、金属質で硬そうなイメージだよね……殴ったりしたら、こっちがダメージを受けそうだ。
「堅固なボディ、そして……奴らには絶対無比の攻撃、『一手』と呼ばれる次元を超越した一発がある。まともに相対しての近接格闘、これも愚策」
おい! と突っ込みたくなるところだが、あるんだろう、それを凌駕する、方法が。
「『二次元人』がその進化の過程で切り捨ててきたもの、それを利用して、私が作り上げた『武装兵器』、それこそが『ダイショウギ×チェンジャー』」
大事なことだから二回言ったのだと思う。そしてただの将棋では無く、おそらく「ダイ」というところがミソと見た。「大将棋」……聞いたことはある。
「物は試し。それを翳して、叫ぶのだ、魂の命ずるままに! さすれば為る。『二次元人』の堅牢な外殻を身に纏った、そして、失われし『大将棋パワー』を心に秘めた、最強の将棋戦士、『ダイショウギレンジャー』へと!!」
老人のテンションはマックスへと振り切れたようだ。白髪を振り乱し、そう叫んでくる。
その勢いに押され、僕は投げ渡された五角形の金属物体、「ダイショウギチェンジャー」を掴み、憑かれたかのように、天高く掲げるのであった。
胡散臭いと、思わなかったわけではない。
ちょっと春の風にやられちゃったアブない老人の世迷言との疑いが、晴れたわけでもない。
だが、日々の生活に、これからの人生に、途方も無い閉塞感を感じていたのは事実だ。
それに、僕の体を褒めてくれた人なんて、初めてだったから。
だから、だから。
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
口から飛び出たのは、もう何年も出していなかった、腹からの雄叫びだった。腹筋から、体の隅々までに力が漲り伝わっていくのを、確かに感じた。
「『ダイショウギチェンジ』っ!!」
すべてを、覆せるのならば。
「……『ヴェルメリオ・リーオー』っ!!」
瞬間、僕の体は赤い光に包まれる。体の表面全体に、何かが張り付いていくような感覚……そして、
「……喰らうぜっ、盤上些末の、全・方・位!!」
キメ台詞まで叫んでしまった僕は、自分の体が赤いライダースーツのような全身タイツのようなもので覆われていることを実感する。
白い、肘下まであるグローブ。同色の膝下まであるブーツ。それらを黒いゴーグル越しに見ている。
「変身」……まさに変身。その作用機構は全くもって分からないものの。
何というか、想像から1ミリもずれていないその出で立ちに、僕は感動よりも先に、押し寄せてきていた困惑を、上手に咀嚼しきれないでいる。