△4三石将(せきしょう)
こうして……僕の自己犠牲的、渾身なる獅子の一手により、組織の平穏は守られたのであった。そしてそのまま二週間が経過した。
「……まだ上がるはずだ。お前の限界はその程度か? 『ホリゴマ』相手に九手もかけるなど、到底容認できんぞ」
より軍曹的な振る舞いに磨きのかかったミロカさんの鬼のシゴキは、毎日のように為されるようになっている。例の地下。学校帰りに毎日寄らされるそこでは、みっちりのマシントレーニング一時間のあと、限界まで出し切った筋肉のまま、プールでの遠泳2kmが常に課せられていた。しかもギプスは装着されたままなので、気を抜くと水底に体も意識も引き込まれて行ってしまう。
順番逆じゃね? と至極もっともな疑問は、いやわざとじゃね? との至極的を射てそうな疑念にかき消され、いや、そんな思考を巡らしている暇もないほどのハードワークであるわけであって。
「ウガイぃぃぃぃっ!! 一秒遅れてきてるぞぉぉぉあぁぁぁぁあっ!! 手ぇ動かさんかいぃぃぃぃいいっ!!」
中身は可憐である黒ポニ少女、奈矢さんにも、事の顛末は逐一報告されているようで、その日からさらに諸々が手厳しくなったように感じる。特に通常時にさりげなく避けられることがいちばん応えるんですけど。
今は臨戦モードと言うか、臙脂色のジャージに下駄履きと、ちょっと何をモチーフにしているのか分からない恰好で、プールサイドから檄、ないし罵倒を飛ばしている。まだ「実戦」で共闘したことはないものの、「イエロー猛豹」という、真横にだけ行けない駒であるものの、かなりのアグレッシブな戦い方を実践されているそうで、それもまあ、そうなんでしょうとしか言いようは無いが。
そして僕の横のレーンをバサロやバッタなどで流麗に、しかし驚異的な推進力でぐいぐいと差をつけていくのは、「グリーン反車」こと、風花さん。滑らかな曲線を描くその脈動に来る流線形は、水の膜を纏いつつ、つややかに煌いている。
唯一、未だ僕に自然に接してくれる稀有な女子であるものの、僕を一人の男とは見なしていないみたいだ。要はおちょくりやすい玩具ということなんだろう。だがそれがいい。
沖島は例会も勿論だが、竜王戦でも勝ち進んでいるため、日々、将棋漬けの日々、らしい。あれから完全に避けられるようになった僕には、その動向は伝聞でしか知りえないものの、本業が順調で何よりだ、と思う。
波浪田 右近先輩も、ああ見えてプロであるわけで、なかなかここには姿は見せない。それよりも出席日数の方が危ないらしく、大量の補習をこなしつつ、何とか三度目の高三からの卒業を目指しているとのことだ。
僕は意外に、ここでの諸々に体が慣れてきているような気がする。体は。
連日の「訓練」。それは正義のヒーローとしてはまっとうなことこの上ないと思うのだけれど、何というか、ベクトルの向け方が異なっているような、そもそもベクトルをどちらに向ければいいか分かっていないような、そんな納得できない感を常に僕は抱え込んでいるわけで。まあ、どの道、体を鍛え上げることの出来るまたとないチャンスだ。こちらもいろいろと活用させてもらうこととしよう。
「出動」が掛かれば、もちろん現場に急行する。しかしこの頃では本当に「イド」の出現が多くなっている。数十分おきくらいの時間帯もあったりで、出来うる限りの少人数で、各事案に対応しているといった具合だ。敵の最下等、「ホリゴマンダー」相手なら、ひとりで向かわされることもある。
そんな、忙しくも充実した(と言えなくもない)毎日が続いていくのだと思っていた。しかし、とある一報から、徐々に世界は変容の時を迎えるのであった。