△1二香
「そろそろ自分帰ります。走って帰って弟と実況検討しないと」
頃合いと見て、くるりと踵を返そうとする僕だったが、
「待たれよ選ばれし勇者」
いかんのじゃないでしょうか、そんなAIを刺激するような言葉を連ねたら。
しかしその白衣の老人は、もう完全に自分の世界に入り込んでいるかのようで、そしてその世界を触手のように張り伸ばしてきて、こちらを絡めとろうとする気満々であろうことは、その焦点の定まらなくなってきた眼を見なくても肌でわかってきてしまうわけで。
要するに、僕らは似ている。のだと思った。同族のニオイを感じ取ったといえば、そうなる。
将棋至上のこの国では、将棋以外の物に没頭する者は異端とされ、時には取り締まられるまでに至っている。個性が、潰されていると言っても過言ではない。
将棋の奥深さは知っている。その魅力も、底抜けの深さも、まがりなりにも。
だがそれ以外を全て否定してしまうのはどうなんだろう?
「……君は、近頃増加している『失踪事件』を知っているかい?」
と、老人は自分の端末に何か動画らしきものを表示させると、それをしばしの逡巡に陥っていた僕の方へ向けてきた。
<真昼の怪! 総田四級(12)、謎の消失?>
そんな煽情的な文句が躍る、ニュース映像だ。知ってるも何も、何回もトップニュースに上がっていた奴じゃないか。
「……『たまたま』、奨励会級位者が事件に巻き込まれたから、こうして大きく取り上げられているが、それ以前にも、この千駄ヶ谷界隈で、人の消失が立て続けに起こっている。それも、一度に何人もの数が、だ」
老人はそう告げてくるが、え、そうなの。
「人の消失」……それに「一度に何人も」っていうのは、割と尋常じゃあない。それが立て続けとなれば、尚更。
でも……じゃあ何でそこがクローズアップされず、「有名人が」、っていうところが強調されているんだ?
「話を大ごとにしたくない……国の意向だよ、少年」
老人は別のアプリを起動させたようだ。今度はやけに画質の荒い映像が流れ始める。
「……!!」
そこに映っていたのは、学生服の男女の集団が、何か黒い同じ大きさくらいの蠢く何かと、対峙しているものだった。何かの動画か……?
でも僕の高校の制服だ。撮影している角度からは彼らの背中側しか見えないものの、学ランにセーラー、今時そんなのを採用し続けているのなんてうちしか無い。
よく見ると、学生たちと相対しているのは、何というか、五角形に手足が生えたようなシルエットをしていた。それらが何体も互いに一定の距離を取って立ち並んでいる。
映像はドローンで撮影しているようだ。多分正規のではないのだろう。妨害波にやられながらも、その度、復帰して飛行し続けている。よほどの技術なのだろうとは思うが、画面はぐわんぐわん揺れて、酔いを強力に誘う。それに耐えながら見続けていると、ふ、とその「黒い五角形」に焦点が合った。
<飛車>
確かにそう書かれていた。錦旗書体で。
五角形の将棋駒がロボットのような手足を生やしている様は、何かのキャラクターのように見える。例えば子供向け将棋入門とかで見かけるイラストのような。
イベント? だが、そんな安穏な空気は、画面からは漂っては来ない。
感じるのは、不穏で殺伐とした、「戦闘」の雰囲気だけだった。
「……奴らを我々は『二次元人』と呼称している。将棋盤の上で躍動する駒たちと同じく、列と段のみにしか、空間意義を持たないという意味でな」
老人の言っている意味はよくわからないが、その「二次元人」とやらがイベントをハシゴするゆるキャラではないということ、さらには我々人類の味方ではないということだけは分かった。
黒い金属のような質感を持った、鉄骨を組み合わせたかのような腕のひとつが、その眼前にいた女子高生の胸を貫いたからだ。