スタッフ⁈
翌日もポンスケは帰って来なかった。
僕の家を家とは思っていないのだろう。
そもそも、
万智子さん曰くポンスケは地域猫だとか、飼い主を探す必要もなく、
僕の家の庭で傷ついて倒れていたとは言え、
僕が飼う必要性もあまりない猫だったのだ。
例の傷の痛みはまだ完全にひいてはいなかったが、だが休んでばかりもいられない。
僕はとりあえず店まで出勤して、バックヤードの椅子へ腰掛け、日がな一日パソコンを眺めていた。
「店長、ままま──」
突然、エプロン姿のシゲが、バックヤードの扉を開けるや否や、積み上げられた在庫のダンボール越しに叫んだ。
「───万智子さんっす!」
僕は思わず椅子から立ち上がって、
思わず脇腹を押さえた。
「こんにちは」
軽く髪をなでながら、僕は颯爽とバックヤードの扉から店内へ身を乗り出した。
するとレジカウンター越しに立っていたのは、
いつぞやのオシャレ髭のイケメン。
近所のバーのバーテンダーで、名前は確か“ツネちゃん”とか呼ばれていた。
「どうも、その節は──」
と、屈託のない笑顔を見せるツネちゃん。
「──店長さん、どうしてるかなと思って」
僕は一瞬シゲの方を見て、
“万智子さんは?”と言う顔をしてから、
営業スマイルで、ツネちゃんを見た。
「あ、お陰様で──」
僕は多分、万智子さんから何か聞いてきたのかと察しながら、
「──この通り、何とかやってます」
それはとても、無難な返答だったと思う。
「あの、──」
と、ツネちゃんは言葉を詰まらせた。
「──ひとこと謝りたくて、」
屈託のない笑顔から一変、ツネちゃんの目が赤く腫れ上がった。
「元はと言えば、僕が“マッチ”を送って行ってもらうようお願いしなかったら、こんなことには…」
マッチ?
万智子さんだから“マッチ”ね、
近藤さんの方じゃなくて、
90度の深いお辞儀をするツネちゃんの頭頂部のつむじを眺めながら、僕は万智子さんがマッチと呼ばれている由来について少し思いを巡らせていた。
僕の隣でシゲが何やら僕のシャツの袖を引っ張って、ソワソワしていた。
「あれ、そこ、マッチ」
「おまえが、マッチ言うな…」
シゲが一生懸命に指をさすので、
「指をさすな…」
僕はシゲの指をどかしながら、
シゲの視線の先を見た。
そこでは、顔にサングラスをかけマスクを着けて、頭にキャップを深く被ったパーカー姿の万智子さんらしき髪の長い女性が、店内にいる客の視線を一身に浴びながら、陳列棚から床に置いた買い物かごへ、ガラス製タンブラーをどんどこ詰め込んでいた。
「今日はお詫びもかねて、お冷用にタンブラーを購入させて頂きます」
無言の万智子さん(?)に代わってツネちゃんが状況を解説してくれた。
「そろったヤツなら、箱でありますから、お店まで配達します」
店長である僕が店長権限でそう言うと、
ツネちゃんは僕の目の前に人差し指を立てて、
「バラバラのデザインの方が、返ってシャレ乙なんですよ」
と不敵な笑みを浮かべた。
万智子さんは終始無言のまま、どこぞの配送会社のスタッフのように作業に集中していた。
外から持ってきた大きめの台車に、こちらで梱包したタンブラーや雑貨を積み込み、そのままツネちゃんの店まで押して行くようだった。
「領収書は“上”でお願いします……お品代で」
ツネちゃんは、人気モデルの片鱗も感じさせないほど変わり果てた万智子さんを見もせずに領収書を受け取ると、
「では失礼します」と軽く会釈してサドルバッグ片手に店の外へ出て行った。
万智子さんはツネちゃんに何か弱みでも握られているのか、完全に召使いか何かのように、
彼の後をついて回っていた。
僕とシゲはたまらず店先まで見送りに出た。
「ツネさん、ありがとうございました──万智子さんも」
と僕がシゲと共に手を振ると、万智子さんはビクっと一瞬痙攣してこちらをチラリと振り返った。
「バレてた…」
と万智子さんの囁きと、
「目立ちすぎ…」
と鼻で笑い飛ばすツネちゃんの声が遠くから聞こえて来た。
僕は台車を一生懸命押している万智子さんの丸まった背中がアスファルトに立ち込める陽炎に消えるまで、ずっと眺めていた。