ポン⁈
「── そんなことないですよ、店長さん意外とモテると思いますよ」
と言ったのは、レイちゃんだった。
シゲの彼女が、僕の部屋のキッチンで楽しそうに料理している。
何とも不可解な光景だが、妙にこの娘といると落ち着く。
「──レイちゃん、既に“意外”とって言っちゃってるからね」
僕の素早い突っ込みも、
彼女は臆することなく笑い飛してくれる。
「ハハハ──店長さん、面白い」
少々天然なレイちゃんは、大概の失言を笑ってごまかす。
前の彼女なら、
「そう言うところ、理屈っぽいから──」とか何とか何故か逆ギレして突っかかって来て、忽ち険悪な雰囲気になってしまう。
レイちゃんが冒頭で述べた、
「そんなことない──」の「そんなこと」と言うのは、それから遡ること5時間前のシゲとの会話に由来する。
シゲが、自分の彼女を独身男性の部屋へ行かせると言う所業をやってのけた件について、僕が「男としての魅力がない、男からも男として意識されていない──」とか何とか言った事へ対する、
レイちゃんなりの気遣いコメントがそれだった。
「意外」と言われたことは意外ではない、前の彼女も言っちゃ悪いが少し変わっていたし──。
美容院へ客として行った僕に一目惚れしたと言うのだから──。
「私、お兄さんに一目惚れしました」
と、その日の帰りぎわにいきなり告白されたのだ。
生まれてこの方、女性に一目惚れされたことも告白されたこともない。
最初はお愛想か、指名欲しさの方便かと思った。
しかし彼女がそんな打算的な女性でない事はその後すぐに明らかになった。
数日たたないうちに僕の店を探し当て、用もないのに毎日通い詰めて、可能な限り入り浸ったのだ。
1ヶ月とかからないうちに僕らは付き合う運びとなった。
まあ、数年経って、その猛アタックを別なもう何人かの男性にもしていた事が判明するわけだが、いまその話をするのはやめておこう。
僕は二階にベッドを置いて寝起きしていたが、怪我を負ってからと言うもの、階段の登り降りがキツイので、一階の板間に布団だけ敷いて半ば寝たきりの状態になっていた。
しかし、運が良いのか悪いのか、1日に数回は猫に餌をやらなくてはならない。
ちゃんと食べてくれるように、それなりに工夫も必要だ。
少し元気になった猫は、部屋の隅っこでモコモコに隠れて、生きる屍のようにノソノソ這い回る僕を終始警戒している。
「見ろよ、猫もなつかない──」
ここ数日、
僕が、手頃なササミや魚の切り身に、高級な病院食を混ぜて、やっと作った食事を差し出しても、ヤツは匂いも嗅がずに遠退いて行くばかりだ。
僕が呆れて布団へ戻って動かなくなったのを見計らって、やっと口をつけ始める始末。
「警戒してるだけですよ」
そう言いながらレイちゃんは、モコモコから鼻先だけ出して暗がりで金色の目を光らせているアイツに向かって微笑んで見せた。
レイちゃんの作ったポトフ的なものを食べながら、僕も猫を見やったが、ヤツはこちらに関してはチラリとも見やしない。
「名前、どうするんですか?」
レイちゃんは、スルスルっと猫との間合いを詰めて、新聞紙をヒラヒラさせながら楽しそうに僕にそう尋ねて来るのだった。
彼女が、新聞紙をビリビリしたりグシャグシャしたりする音に反応して、猫はいつのまにかモコモコの中から身を乗り出して来ていた。
「あ、この子、後ろ足にハイソックス履いてる、前足もちょっと靴下だね──私が名前決めちゃおうかな、」
何も言わない僕を放っておいてレイちゃんは、独りでどんどん考えを巡らせていた。
「店長さん、店で扱ってるチェコ製の靴下って、なんてメーカーでしたっけ?」
「ジル・ポノシュキ──」
「あれって、ジルおばさんの靴下ですよね、だからポノシュキ──言いづらいからポノスケ、ポンスケ──そう、ポンスケ!」
思いついたようだ。
えらい考えた割には至極単純な名前だ。
しかも、
「ジルの方じゃなくて、靴下の方かよ」
そんな僕の声には耳も貸さず、レイちゃんは、ポンスケを難なく抱き上げて、
「ポンちゃん、ポンって飛ぶからポンちゃん、ぴったりだね」
もはや、靴下すら関係無くなっていたが、レイちゃんはポンスケに名前を擦り込むように何度も名前を呼びながらその毛むくじゃらの身体をさすった。
「でも、いらないよ、どうせどっか近所の猫だし、元気になったら、すぐ愛護センターに引き取ってもらうんだから」
僕が笑顔でそう言うと、 逆にレイちゃんの顔から笑顔が消えた。
「店長さん、ヒドい、ポンちゃん殺しちゃうの?」
レイちゃんから侮蔑の視線が注ぎ込まれる中、僕は素知らぬ顔で彼女の作ったポトフ的なものを更に口へ運んだ。
「あのね、すぐに殺すわけじゃないですよ、愛護センターでだって飼い主を探してくれるし──お任せするだけですよ」
「ただ、写真撮ってホームページに載せるだけなら、私たちだって出来るでしょう?」
レイちゃんはいつになく、強い口調で言い放った。
「店長さん意外と世間知らずのスカポンタンですね!」
「スカポンタン⁈」
ヒトが黙って聞いていれば言うに事欠いて、
とは思ったが、僕は美味しかったポトフ的なものへ目を落としてから、言葉を飲み込んだ。
そこからはレイちゃんの独壇場と言わんばかりの熱弁が始まった。
「動物愛護センターとは名ばかり、愛護団体とは違うんですよ──今は動物の殺処分場、犬や猫にとってはホロコートです!」
「ホロコーストはさすがに言い過ぎだと思うけど──」
「いいえ、生類憐みの令では犬屋敷が作られ、その膨大な費用によって国の予算は圧迫されたんです、その失敗を踏まえて国は、殺す方が手っ取り早いって事になったんです!」
「生類憐みの令って、レイちゃん時代が錯綜しているよ──前者の国と、後者の国じゃ全然別物だよ」
「ユダヤ人だってそうじゃないですか、数殺せば、国の財政が助かったから、いっぱい殺されたんでしょう、ホロコーストに間違いないじゃないですか!」
「それ誰から聞いた ──」
熱弁を奮った後もレイちゃんの興奮は冷めやらず、
「店長さんが無理なら、私が──」
“飼います”と言い出すかと少し期待したのも束の間、
「──全力で飼い主さんを探します」
そう啖呵を切ると、彼女はスマホを取り出してポンスケへ向けた。
ポンスケは、スマートフォンへ少し興味を示したが、何やらフラッシュが点灯した途端、撃ち放たれた弓矢のように部屋中を逃げ回った。
「待ってポンちゃん!」
レイちゃんに追い立てられたポンスケは、高い階段をものともせずに、遂に禁断の二階へと登って行ってしまった。
「二階はダメだ〜」
今の僕には、大声と言うものが出せない。代わりに貧相なしゃがれ声がキッチンの換気扇あたりに寂しく反響した
二階には色々触られたくないものがある。
レイちゃんにも、猫にも駆け巡られると少々困るのだ。
スペイン製の布地のソファーや、引っ越し祝いに母さんから贈られた年代物の七宝焼きの花瓶、それにマーチンのドレッドノートに関しては、猫の爪研ぎを警戒して二階に移したばかりで、ギタースタンドにすら立てていない。
あと、沖縄畳なんかも一式揃えるのにけっこうお値段が張った。
ああ、あれに小便でも引っかけられたら、想像しただけでゾッとする。
「ちょっと、お願いだから主戦場は一階にしてくれ──」
その心配も虚しく、二階では既にボコボコと何やら倒されているような音が響いていた。
そんな時、「ピンポーン」玄関から呼鈴が鳴った。
「は、はい」
僕は、肋骨や腰に響かないように極めてゆっくりと廊下を歩いた。
すると、もう一度呼鈴が鳴った。
「いま、出ますから」
なんて言っているうちに、
ダダダダッとレイちゃんが、急いで階段を駆け降りて来て「すみません」と足を引きずる僕を廊下でやんわりと追越して、その勢いのまま玄関のドアを開けた。
ドアの向こうには、あの国見万智子が立っていた。
「あ?」
とレイちゃんは、彼女を見つめたまま少しのあいだ固まっていた。
「え、国見万智子?」
レイちゃんの問いかけに万智子さんは、無言でコックリと頷いた。
そして、薄暗い廊下で立ち尽くす僕らの足下を、ポンスケは難なく掻い潜ると躊躇なく外へと駆け出して行ったのだった。