不退転の決意
「………ガァ…」
勝利の雄叫びを上げてひとしきり勝利を噛み締めた後、己の身体になにかが与えられた感覚が訪れた。
「…なんだ」
それは二つある。強敵であるゴブリンを降し、その命を吸うことによって魂が強化され身体能力が向上する現象。
まるで前世の記憶にある、れべるあっぷ、のようなものだ。これは、最初のコブリンを降した時にも己の身体に訪れた。
しかしそれとは全く違う、異質な変化に戸惑う。れべるあっぷ、のような身体能力が強化された感覚はある。しかし、それとはまた別の嫌な、何かに見られているような感覚があるのだ。
「………考えても仕方ないか。それより…」
この状況をどうしたものかと、周りを見渡す。そこには、満身創痍のイクザを囲むゴブリン達の姿が見えた。幸い、強敵になりそうな者はいないが、数が数だ。
「…まぁいい。来い」
身体は動かない、意識も朦朧としてきた。それでも退くことは絶対にしない。
この愚かさと紙一重の信念は、加速度的な成長と己の限界を超える力を発揮出来る。が、それと同じくらいに1歩間違えばあっさり死ぬものであった。
「……イクザァ!!」
5体のコブリンに囲まれ、一斉に打ちかかられるといった時。逃げたはずのキミテが、コブリンの集団の中に飛びかかる。
持ち前の瞬足で勢いをつけ、恐怖で涙を流し目をつぶりながらもコブリンに攻撃をしかけた。前世の記憶など無い、コボルトのキミテが恐怖に打ち勝ったのだ。
「…いやぁ!怖い怖い!ひぃ!イクザぁ!逃げよう!速くぅ!」
反狂乱になりながら、コブリン二体を蹴り飛ばす。その動きに技術など無く、単純な膂力だけでコブリンを戦闘不能にしたのだ。流石我が里きっての才人、いや才コボルトか。
「馬鹿が!そんなに怖いなら来るな!」
「それも嫌ぁ!」
それほどの恐怖がありながらも、イクザを見殺しには出来なかったのだろう。キミテはキミテで、コボルトの壁を越えた。
「なら一緒に戦うぞ。俺は逃げない…!」
「うぅ!」
新手のコボルトにコブリンが驚く。その隙を突いて無防備な腹を蹴り飛ばす。多数のゴブリンを倒し、強化されたイクザの蹴りもキミテと同じ威力を誇っていた。一撃で命の元まで断ち切った感覚があった。
「…流石に減るか」
命を断ったことによって得られる力。その、上がり幅が著しく小さくなっていた。もう、雑魚コブリンではたいして強化されないということだろう。
「な、なんでだ。コボルト風情が、なんで…」
5体のうち3体がやられた。しかも、コボルトに。この森で初めて見る異変にコブリンが動揺する。
「キミテ!キミテ!何処だ!戻るなんて無謀だぞ!」
「お兄ちゃん!ダメだって!早く逃げないと!」
モチとツキが更に現れる。いや、それだけではない。逃げ出したコボルト、20体が不安そうな顔をしながらここに戻ってきたのだ。今は臨時だが、モチがリーダーであるようでそれに付いてきたのだろう。
そしてそれは、折れかけたコブリンの士気を完全に砕いた。もうダメだと逃げ出すコブリン二体。
「イ、イクザ!?まだ生きてたのか!?って、それよりその怪我!」
「イクザァ!イクザァァ!死んじゃ嫌だぁぁ!」
「お兄ちゃん!ほんと、まずいって!逃げよって!もう!」
逃げたはずの里の者が次々に合流し、急に騒がしくなるのを聞いて少し気が抜けたのであろう。声が少しづつ遠くなり、目の前が暗く、そして全ての感覚が途絶えた。
目が覚めた。随分と長い間寝ていたような気もする。少しの間、ボーっとしていた頭が覚醒し、次に訪れたのは強烈な空腹。
「…腹が減った…」
何か、食べ物は無いかと周りを見渡す。里のねぐらに近い構造の洞窟の中のような場所。そのすぐ隣に果物が積んであったのを見つけ、許可も取らずに食べ始める。
喉が詰まることもいとわずに、両手で口に放り込む。ある程度咀嚼し、飲み込んで落ち着いたら気がついた。粉々に砕かれた腕が直っている。痛みも違和感もない、完全な感知。何日寝ていたか分からないが、あれは一ヶ月近くかかる大怪我のはず。それが直った、身体能力強化だけでない何かの作用か。
「まぁ、治ったら文句は無い」
積んであった果物の全てを食べきって、一息つく。
「………後でキミテに礼を言えよ。イクザ」
「モチか…」
洞窟の入口にモチが立っていた。その手には兎のような獣の死体を握っている。狩りに行っていたのだろう。
「その果物、キミテがお前のために苦労して集めた奴だ。起きたら腹が減ってるだろうってな」
「そうだったのか。悪いことをした…」
「そう思っているなら早く動けるようになれ。お前が回復したら更に西に移動することになっているからな。ったく、キミテがごねなければすぐにお前を置いてでも移動しているってのに」
西に移動。つまり、コブリンの圧迫から逃れるために更に住処を西に変更するということだろう。西に行けばいくほど小動物は少なく、木の実がなる木は無くなっていく。どんどん、貧しくなっていくのだ。
「そうなのか。なら別行動になるな。俺は東に向かう」
そういう道を選び続けたコボルトを今更変えられるとは思えない。というより、コボルトにとっては当然の決断だろう。しかし、イクザは違う。たとえ1人でももっと豊かな東に向かう。逃げるのはもう嫌なのだ。
「バッ!馬鹿か!お前は!折角命が助かったってのに!なんで…」
「俺がおかしいだけだ。気にするな」
この言葉は本心だ。逃げるのはコボルトの生存戦略である。それは、間違っているとは思わない。しかし己は、己の魂はそれを決して許したりはしないのだ。それだけの話。
「………何なんだよ…お前は…」
理解出来ないのだろう。全く逆の考えを持つ存在など、理解出来るわけが無い。もはや、その違いは恐怖にすらなる。
「…ねぇ…イクザ。今の話はどういうこと?」
キミテが沢山の果物を抱えてこちらに歩いて来る。
「ねぇ…嫌よ。もう、離れるのは絶対に。お願い…一緒に逃げよう?」
果物を取り零し、涙を流しながらイクザに抱きつく。
「それは無理だ。それだけは聞けない」
「なんでよ!死んじゃうのよ!怖くないの!!」
怖くないわけが無い。それでも、己が折れ負け犬になるよりは遥かにマシだ。
「……すまない」
「…っ!?」
イクザの決意は決して変わらないことを察したキミテは弱々しい声で懇願する。
「……分かったわ…。でもせめて…せめて、身体が完全に直るまで一緒に来て」
「……………分かった」
キミテの中でもっとも妥協した案。このくらいは、寝ている間看病をしてくれたキミテへの礼もかねて了承する。
「と、言ってもだ。もう、身体はほとんど直っている。移動したいなら移動するといい。俺は途中まで付いていく」
ヒシッとしがみつくキミテを振りほどく事は出来ずに、そのまま立ち上がる。身体は動くのには支障はない。少し動いてみて違和感が無ければいいだけなのだから。
「ふん…お前がいいと言うならもう移動する。皆が集合したら出発だ」
狩りや果物を取りに行っていたコボルト達がモチの言葉で集合し移動を始める。やはり何度数えてもイクザを含めて20体しかいなく、若いコボルトばかりだ。里の殆どの者は殺られたのだろう。
これでこの森を生き延びていかなくてはならない。更に厳しい中を生き抜かなくてならないのだ。
「……一応、礼を言っておく。ねぐらのゴブリンを倒してくれたお陰で俺は生き残っている。ツキは、跳ねっ返りだから本心とは逆のことを言ってるかもしれないが…あれもお前に感謝している。すまない、ありがとう」
「…………!」
移動中、ソッポを向くツキと終始くっつくキミテ。先頭集団を歩いていたためかモチがこちらを振り向かずに話を初め、本心からの礼を言った。
それを、信じられないと目を見開き言葉を返せないイクザ。いつまで経っても反応の無いイクザに後ろを振り向き文句を言う。
「何か言えよ!なんか、恥ずかしいだろ!」
「いや…すまない。モチが礼を言うなんて…クックッ」
「お、おまえ!笑うことはないだろ!」
「いや…本当に…すまない…くっ!」
笑いを堪えようとすると余計笑いがこみ上げてくる悪循環に陥り抜け出せなくなったイクザ。
「もう知らん!」
顔を真っ赤にして、前を向くモチ。耳が真っ赤になっているのが何とも愛らしい。
あぁ、何とも惜しい。キミテもモチもツキも、そして生き残った仲間も皆悪い者達ではないのだ。出来るものならば一緒に戦いたいものだが、それは出来ない。その事実が、これから訪れる別れを一層寂しいものにする、はずだった。
「……な…んだ…これは」
コボルトが移動して少しして、辿りついたのは白い砂浜にどこまでも広がる青い海。水平線の奥には何も見えない。まさに、魔の森の最果て。
「水?それが…こんなに多い?」
「しょっぱ!飲めた物じゃないよ。これ!」
「しょっぱい?湖と違うのかな?」
「でも、魚は沢山泳いでる!」
他のコボルト達が広い海にはしゃぐ。まだ、現実を分かっていない。それが分かっているのはごく一部の者だけ。その1人であるモチは呆然と呟く。
「もう…逃げる所が…無い?」
コブリンの圧迫から逃れ、更に西に移動した。しかし、その先は無い。もう逃げられない。
「うわぁぁあ!な、なんかでた!」
その時、水で遊んでいた子供のコボルトが何かに足を捕まれ海に引きずり込まれそうになる。
「…フッ!」
足を掴んだ手のような物を踏み抜き、子供を逃がすイクザ。それにより、手は離れたが海の中から見たこともないような魔物が現れる。背丈はコブリンよりも小さく、青色で鱗が身体を覆っている。コブリンの海バージョンのような姿と言ってもいい。
「…何者だ…?海は我々の領域。それへの侵入は許さないぞ。立ち去れ!」
「も、モチ!逃げよう!早く!」
30体近い海の魔物。手に銛のような武器を持ち、警告してくる。
「逃げる?…何処へ?」
ここが最果てだ。海の魔物から逃れ森に逃げてもすぐにコブリンに見つかる。そうなったら?何処へ逃げればいい?
「早く!」
「あ、あぁ。とりあえず、森の中へ戻ろう」
とりあえず今ある脅威から逃げよう。と、みんなをまとめて森の中に戻る。
とりあえず逃げるという、判断があと何回出来るかを考えて絶望的な気待ちになりながら。
「どう…すればいい…俺達は何処に向かえば」
頭を抱えて、絶望するモチ。
東にコブリン、西に海の魔物。北も南も海と山だ。そこには、それより恐ろしい魔物がいる。
詰み、だ。逃げに逃げ続けたコボルト達の生き方の末路。
悩む、モチを観てようやく現実が分かったのか絶望し始めるコボルト達。
「モチ。話がある。来い」
「…なんだイクザ。悪いが今は…」
「良いから…」
「うおっ!わかった!分かったから離せ!」
軽々とコボルトにしては大柄な身体を持つモチを持ち上げて連れていく。
「お前…そんなに力があったのか…。だからお前はコブリンを倒せたんだな…」
「こんな力、最初からあったらあのコブリンなど瞬殺だ。まあ、そんなことはどうでもいい。木の下をやるぞ」
「はぁ?なんで今、木の下?それにおまえ…今まで俺に勝った時ないだろ、いくら力が強くても足の速さは少し違うぞ?」
そう、つい最近モチのしつこい挑発に負けて木ノ下をやった時がある。それは本気でやったにも関わらず、モチが余裕の圧勝であったのだ
「や、る、ぞ!」
「…分かったよ。1回だけだぞ。言っておくけど手は抜かないからな」
そう言って、適当なゴールとなる木を決めてスタート体勢にはいる。
ちなみにモチはキミテの次に足が速いコボルトだ。イクザなど、相手にすらならない。はずだった。
「始め!」
号令は足の遅い方ということで、イクザが出す。それを聞いた瞬間、モチがその俊足を存分に発揮して駆け出す。手など一切抜いていない本気の走りだ。
「…っ!?」
それを、イクザは軽々と抜き去った。
木ノ下にはイクザがかなり速く到着した。それを驚きの篭った目で見つめるモチ。
「お前…隠してたのか!?」
「何故隠す必要がある。そんなわけがないだろう?」
「じゃあ…何故…」
「逃げなかったからだ」
「…は?」
「俺は逃げなかった。コブリンに立ち向かい、それを打ち破り俺の糧にした。だから今俺は強い。コブリンには負けない力を手に入れた」
「……だからなんだ。自慢か?」
「違う!お前も分かっているはずだ」
「…………」
そう、分かっている。イクザは何が言いたいか。いま、モチに究極の二択を迫っているのだ。しかし、それを自覚し答えを出すことは今までの生活を全て捨てる事に繋がる。
「このまま追い詰められて死ぬか、戦って生き抜くか、決めろ」
「……………少し…考えさせてくれ」
長い間、この森のコボルトは逃げる事しか知らなかった。しかし、もうそれは出来ない。でも、だからといってすぐに切り替えられはしないものだ。
「…分かった」
モチは、賢い。リーダーシップもある。ここまでコボルトをまとめて逃げてきた手腕は、イクザを入れてこの中で一番だろう。
だから、待つ。この群れは、モチ抜きでもはや成り立たないのだから。
次の日、モチは全員のコボルトを集めた。不安そうな顔をするコボルト達は何を言われるのかと戦々恐々としていた。
「………分かってはいると思うが…俺達にもう逃げる場所はない」
ざわつきはしない。それは、もう全員分かっているのだから。
「だが…俺は死にたくはない、絶対にだ。なら、どうするか…1日をかけて考えた」
モチの喋る顔は、発言の重い内容と違い何かに吹っ切れたように清々しいものであった。その顔を見て、コボルトは何か案が思いついたのだろうと期待を寄せる。
しかし、何故だろう。イクザは、背中を這いずる嫌な予感というものを感じていたのだった。
「答えは出た。俺は!この群れのリーダーを辞める!」
はっ?と、時が止まる。しかし、それを無視してモチは話を進める。
「俺ではこの先、この群れを生き延びさせる事が出来ない。だから、新しいリーダーを迎えようと思う!イクザ!出てこい!」
「嫌だ!」
「紹介しよう!みんな知っているイクザだ!」
「待て!話を進めるな!」
「昨日、イクザとリーダーの座を賭けて木ノ下をやった!イクザはそれに勝ったのだ!俺は新しいリーダーに全てを任せようと思う!」
「お、おま!お前!ふざけるな!昨日のはそういう「イクザ!モチに勝ったの!?凄いよ!」
「お兄ちゃん…が…負けた?嘘…」
キミテとザワつくコボルト達に発言を封じられ、完全に気を逸した。
「さぁ!新しいリーダーの方針を聞こう!」
大きい岩の上に立つモチはニヤリと、昨日の意趣返しが出来たとほくそ笑みながらその場から降る。キミテがイクザの背中を押し、岩の上に押し上げて群れの最前列に立って尻尾が千切れるんじゃないかと思うほどの勢いで振っていた。
「……はぁ…」
コボルト達の期待と不安の混ざった視線を一気にその身に受けて、その場に立つ。この場に立って、辞めますを言えるほど強心臓は持ち合わせていない。
それに、心のどこか。そのほんの片隅に、こうなることを望んでいた己がいた。それは、前世とは関係なくこのコボルトの己の願望。
「…名はいいな。皆、知ってる顔だ。…俺達に逃げる場所は無い。安息の地はコブリンに奪われた。里の僅かな蓄え、親の命も全て!だが、我々はそれを耐えて逃げた。この屈辱を!晴らすことなく狩られる側に甘んじてきた!その結果がこれだ!その行き着く先、至った場所がここだ!」
言い訳など出来ない。その通りだ。その状況を打破出来ないからここにいる。それは、全員が自覚していた。
「だが、それも今日までだ。今日からコボルトは変わる。奪われた物を取り返し、安息の地で再度暮らし、さらにその先に行く!」
さらにその先?それは、なんだ?それは、イクザすら分かりきっていない。口をついて出た言葉。しかし、己の願望を表す言葉だ。
「戦うのだ!命を賭けて!敵を降し!己の糧にし!己を通せ!」
初めての価値観。己の我を通す事など、考えたことすら無かった。まさに、未知に考え方。それに、恐怖を感じるコボルト達。
なにせ、未知の情動に身体がうち震えるのだから。
それは、幼い頃に封印した魔物としての本性。己の力で敵を討ち滅ぼし我を通す事。それを、イクザはコボルトから引きずり出した。
「出来るのかという疑問はもっともだ!だから証明してやる。我々でも勝てるという事をな!」
その演説はこの群れを確かに変えるだけの力を持ち、イクザをリーダーだと思えなかった者達の認識を変えようとしていたのだった。