初めての闘争
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前世、というものがあった。
その前世では、びる、という高い建物が並ぶなか、音楽を聴く、いやほん、という謎の紐を耳につけて身体にピッタリとくっつく服を着て汗だくになりながら走っていたのを覚えている。
苦しく、喉が乾き、腹がすいていた。それでも足を動かし、水も飲まずに、何も食べずに走っていた。水の中で溺死する寸前のように苦しかった。
覚えているのはこれだけ。何故、このような苦しい思いをしていたのか。なぜ、この記憶の男はこんな思いをして走っているのか。
それは、今では何も分からない。それに、別に思い出そうとも思わない。そんな事で今、腹は膨れない。
なにせ、今の自分はコボルト。最弱種族のコボルト。前世などより、今日を生きるのに必死なのだから。
「イクザ!遅い!もっと速く走れないの!」
声が頭の上の耳に響く。うるさい!と怒鳴り返してやりたいが、そんな余裕は生憎と無い。
仲間の声はもうかなり遠くだ。というより、あの声の主以外は全て後ろの鈍足の事など気にせずに逃げ去っている。足の遅いものには非情なのだ。
「待てぇ!犬ころがぁ!」
後ろを少し振り向く、緑色の肌に申し訳程度に巻かれた腰巻。コブリンと言われる種族だ。そこそこ、丈夫な木の棍棒を持って追いかけてくる。足はそれほど速くはないが、それでも数が多く、組織的な行動によって何体もの同族が狩られているのだ。
それは、彼らの首に巻かれているコボルトの犬歯の装飾品が証明品になる。
あぁ、なりたくなければ逃げることだ。これが、コボルトに生まれて三年の間に嫌という程学んだ事の一つ。
「もう!遅い!コブリンすら撒けないなんて!そんなんじゃ、どのメスともつがいになれないよ!」
「興味無い!」
そう切り捨てて、より速く足を動かす。隣のキャンキャンほえるメスコボルト、キミテに構っている余裕は無い。キミテはやろうと思えば俺とコボルトを置いて一瞬で逃げ切る事ができる程足が速いのだ。
なのに何故、俺のような鈍足をわざわざ待つのか。いまだに理解できないメスである。
「私以外とつがいになる気が無いってこと!?もう!気がはやいんだから!」
頬を染めながら手を頬に当てるキミテ。こんな、舐めた走り方で俺の全力疾走と同じだというのだから腹が立つ。
「流石にコブリン共の体力が尽きるだろ!」
後ろを振り向き敵との距離を確認する。森の中の走りにくい位置を選んで走ってきた。鈍足だから思いついた小細工である。他のコボルトは単純な足の速さで逃げていくし、それが出来るが俺は無理だ。
思った通り、走りにくい所を走らされて疲れて動けなくなったもの、転んだ者と作戦は成功したといえた。
……今日も何とか生き残ったようで、一安心する。
「ねぇねぇ、子供は何匹生む?何匹でもいいよ!きゃー!言っちゃった!」
……………走りにくい道を涼しい表情で、舐めきった走り方をしながら付いてきて、それでなおふざけた事を聞いてくるキミテ。
何とも、コボルト間での才能の格差とキミテのお花畑の頭に余計に腹が立ったのであった。
イクザの知っている事は多くない。生まれて半年ほどまで親の乳を吸い。一年たった頃には2足で走り回れるようになり、二年たった頃には危険な狩りに参加するようになった。
その狩りの内容は里から出て、大人しい小動物を仕留めるか、食べれる木の実を集める事だ。慣れればそう難しい事じゃない。
なのに何故、危険と呼ばれるか。それは、コボルト以外の魔物に見つかった時にわかる。敵共は、知っている。コボルトが魔物の中で最弱であると。逃げる事しか能の無い、狩られる側の存在だと。
事実そうだ。コボルトには、狩りに使う小さい牙と爪があるがそれは小動物ぐらいにしか効かないようなものである。身長もゴブリンと同じくらいの130cm位で、じぇっとこーすたーなるものにぎりぎり乗れるくらいの身長なのだ。
一応は二足歩行生物、手はひとの形に近いがこの森を住処にする我がコボルト達は武器を作る技術も度胸も無い。
全てを逃げ足に頼っているのだ。だから、この広い魔物の森の中を逃げ回りながらコボルトは生きていた。長くて20年という寿命を生ききるために。
魔物に遭遇した狩りも、無事に誰一人も死傷者を出すことなく生還することが出来た。
最近は随分とゴブリンの奴らを見かける。ここら辺は奴らの縄張りが近いことは知っているが…それにしても頻繁に見すぎだ。そう感じるのは、狩りに参加して1年半の若造だからだろうか。
他のコボルトはコブリンなど、簡単に撒けると自慢げに言う。逃げ足の速さを競うことに違和感を感じるのも俺だけのようで、若さゆえの違和感だろうとすぐに忘れるようにする。それか多分、鈍足の己が感じる嫉妬のようなものだろうと納得させた。
まぁ、他のコボルトはコブリンの出現数の多さはとくに気にしていないようだった。そういうものかと、また己を納得させる。
胸に残る、引っかかり、わだかまりが最近どんどん強くなってくる。胸の鼓動が、血が、何かを告げたがっているように錯覚することが多くなった。
非常に癪であるが、相談できる相手がキミテしかおらず、話してみると病気じゃないかとえらい心配されたので、無視することにした。もう、病気でもいいやという開き直りがあったからだ。
……そういえばコボルトには強い、生への執着も弱い方なのかもしれない。
足も遅く、何かの病気持ち、コボルトが持つ唯一のとりえである生への執着すら無いと来た。こういう存在を真に出来損ないと言うのであろう。
「なんだ!イクザ!生き残っていたのか!今回ばかりは死んだかと思っていたぞ!ハッハハ!」
「あぁ!ホントだぁ!お兄ちゃんと同期なのに、私よりも足が遅いイクザだぁ!ぷっぷぅ!」
こいつらは、モチとツキ。兄妹のコボルトである。この2人、実に逃げ足が速く里でも一目置かれる存在であった。
「モチツキ…ぷっ…」
しかし、何故かこの名前に毎回笑ってしまうイクザ。これが、毎度この2人に逆鱗に触れるのだ。馬鹿にしているつもりが、馬鹿にされるのだからそれは怒るであろう。
「おい!笑ったな!鈍足のイクザの癖に!いいだろう!木ノ下で勝負だイクザ!」
「くっくっ!いや、ごめん。笑うつもりは無いのだけど…ハッハ!」
この様子のイクザに更に顔を真っ赤にするモチ。
ちなみに木ノ下とは、かけっこの事だ。百メートル走と言えばわかりやすいか。コボルト間での争いはこれで解決する決まりとなっている。
逃げることを至上とする、コボルトの価値観ではより足の速い方がモテる。そっちの方が鈍足より、子孫を確実に残せるのからだ。
ちなみに、キミテはこの里で一二を争う速さを持つためにかなりの雄に求婚されているが全て無視しているという変わり者だ。
さらに言うと、モチはキミテの事を気に入っており、そのキミテと一緒にいる俺が気に入らないらしい。こっちは別にいらないのだから知るかというのが本音だが。
モチの挑発を無視して自分のねぐらに向かう。途中まで、付いてきてうるさいことこの上なかったが流石に諦めたようでモチとツキは自分のねぐらに帰っていった。
「イクザ!おかえり!」
「……なんでお前が俺のねぐらにいる…」
「もう!そんなの決まってるじゃない!あ、そうか!イクザはまだ知らないのね!子供って、種が無いと生まれないのよ!」
お花畑を通り越して、ヘブン状態になっているキミテをねぐらから追い出して、耳を丸めて音をシャットアウトする。
しばらくキャンキャンうるさかったが、照れてるのね!と勝手に納得して自分のねぐらに帰っていった。なぜ、キミテは年中発情期なのか…なにか、危ない薬でも飲んでいるのだろうかと軽く恐怖心が湧いたのだった。
その日は、コブリンとの逃走劇に疲れていたのだろう。すぐに、夢に落ちた。見ているのは前世の記憶。赤い、綿を詰めた皮袋ようなものを手につけて、相手を殴ったり殴られたり。顎を打ち抜かれ意識を持っていかれそうになっていた。
そうか、顎を打ち抜くと敵は意識を失うのか。
この謎の前世の夢がたまに有益な情報をくれる。
有益?何を言っているのであろう。俺はコボルト。闘う事など無いというのに。何故…。
己に湧いた疑問とは別に夢は続く。だうん、をとられ絶対絶命なか、最終らうんど残り10秒の合図がなった。己は立っているが、判定で負けるだろう確信があった。
夢の己は賭けに出た。己が食らった顎。それを、狙って蹴った。それは、合図を聞いて安心した相手の顎に綺麗に吸い込まれ、打ち抜いた。
「イクザ!イクザ!お願い!起きて!敵よ!逃げなきゃ!」
また、キミテがねぐらに忍び込んだかと思ったが。様子がおかしい。耳をピンッと立たせて周りの音を拾い、急いで起き上がる。
「コボルト共の里だ!逃げ道を塞げ!ねぐらに入ってるやつは逃げれなくなる!」
「不味い!もうコブリンが道を塞いだ!逃げられない…」
「お兄ちゃん!やばいよ!」
「ぐっ…なんとか、横を通って…」
無理だ。道が狭すぎる。あそこを抜ける事は難しい。ねぐらには、その他にも多数のコボルトが嘆いていた。もうダメだと。
……何故だろう?敵は1体。コボルトとコブリンにそれほどの実力差は無い。ただ、好戦的かどうかそうではないかだ。無理やり押し通る事だってやろうと思えば出来るだろうに。
「ねぇ…コブリンって確か他の種族でも交尾するんだよね……。ごめんね…私…捕まったら…イクザの子供産めなくなっちゃう…」
キミテが泣いていた。いつも明るく、馬鹿みたいに騒がしいキミテが。
「…グルルッ!」
何故か、無性に腹が立った。何故、1体だけの敵を倒さない?何故、逃げる事しか考えられない?何故…俺のメスが敵に奪われないといけない…っ!
「どけ…キミテ。すぐに走れる準備しておけ」
「え…待っ」
夢を見た後は、自分がコボルトか人間か分からなくなる。
多分コボルトとしては、おかしい事をしているのであろう。いや、別にいい。逃げるなんてしょうに合わないのだから。
両腕を曲げて、左腕を前、右手を後ろに構え、タッタッと軽くジャンプしリズムをつけて前にでる。
前世の記憶があるからなのかスムーズに基本の構えができた。夢でのいめーじとれーにんぐの成果というのであろうか。
「グルルルルルァ!」
牙を剥き、威嚇するコボルト1体。少し怯むコブリン。逃げることしかできないはずなのに立ち向かってくるとは、予想外であろう。
しかし、応援なのか2体目コブリンが出てきたのを見ると安心したように、余裕の表情に変わる。
「舐めるなよ…俺はさっきそんな顔をした奴を倒したばかりだ!」
蹴りの射程内に近づきコブリンが棍棒殴りかかってくるのが見える。道が狭いためか、1体ずつしか来れない。
「フンッ!」
タイミングを見計らって、脱力し鞭のようにしならせた蹴りを放つ。狙うは顎。
それは、夢と同じで綺麗な軌道を描きながらコブリンの顎に吸い込まれていき。
「ラァ!」
乾いた音と一緒に、打ち抜いた。
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