-3- 『変わった者と変わらぬ者』
この町で久しぶりの朝。うだるような暑さで目覚めたのが印象的だった。
今日も暑くなりそうだ。窓から差す日差しが一層強く感じられる。
夏だ……。
「お~い、ふーくぅん!」
ドンドンと扉を叩く音が聞こえる。
「ん~」
「まだ寝てるの? だらしないなぁ~、ふーくんは。開けるよ?」
返答も待たずに扉が開かれる。そこから現れたのは、普段着の上にエプロンを着た菜有で、片手に調理器具を持っている。
「なんだそれ。まさかとは思うが、料理でもするのか?」
「そうだよ」
半ば冗談で訊ねたつもりだったのだが、本気の返答に言葉に詰まった。
しかし、よく考えてみればわかることだ。
菜有の両親は町の商店を経営しているから、朝から夜までほぼ家にいない。その為、家のことは昔から菜有がしていたし、こうしてエプロン姿で料理をしているのも頷ける。
「……ごめん。手伝うよ」
「~~!? きゅ、急にどうしたの?」
「いや、俺は一応、ここに泊めてもらっている立場だし、それくらい当然だろ」
「……関係ないよ。だって、ふーくんは家族も同然だもん。今呼びに来たのだって、ご飯出来たからだよ?」
既に、終わっていたようだ。
どれくらい寝たのかと壁にかけてある時計を見ると、まだ朝の七時だった。
「菜有、何時から起きてるんだ?」
「朝の四時。もう習慣だからね~~」
昨日は散々失礼なことを考えたが、頭が上がらなかった。
とにかく着替えを済ませてから、居間に向かうこととなる。
「おぉ……」
食卓を見て、最初の一言がそれだ。
完璧な朝食が並んでおり、誰しもがそれに空腹をなじられると思しき光景だった。
「ふーくんはそこね。箸も買っておいたよ」
「そんなに俺が来るのを楽しみにしてたのか?」
「もちろん~~。久しぶりだし、こうやって泊まるのってあまりなかったからね!」
そうだったかもしれないな。
しかし、今はそれよりも目の前の朝食に気をとられて仕方がなかった。
椅子に座ると、香りがよりいっそう届いてくる。
本当に美味しそうなんですが……。
「これ、菜有が一人で作ったのか?」
「そだよ?」
「料理本も見ずに?」
「あはは。そんなの見てたら、時間たんないよ?」
菜有は冗談と受け取ったのか、小さく笑った。そして箸を取り、手を合わせる。
「食べよ?」
「あ、ああ」
「「いただきます」」
感想……驚くほど美味しかった。その一言に尽きる。
食事も終え、食器洗いも終わり、俺達は一度居間に集まっていた。これからどうするのかという相談だ。
「やっぱり、公園の方に行こうよ!」
「……この歳で、公園か?」
「公園は年齢制限ないよ?」
「そうじゃない。体裁の話をしてるんだ」
「てーさい? どこの地方? 都会では有名なの?」
あー、頭痛い。
料理は完璧だったものの、やはり菜有は菜有だった。
だからこそ、この頭痛も嬉しさの悲鳴に感じられる。
「公園以外だと、神社とか?」
「神社か……」
小学生の頃、通い詰めるように遊んでいた場所だ。神主がいるわけでもない見放された神社。今思えば、よくあんな場所で遊んでいたものだ。若さは恐れを知らないらしい。
「行ってみるか。……懐かしいな」
「うん。そんじゃ、みんなに連絡しとくね!」
「……みんなって、あそこで集まるのか?」
「その方がウチ達っぽいもん」
「まぁ、そうだな」
「決まり! 連絡しとくから、出かける準備しててね。行けるようになったら呼ぶから!」
「あいよ」
会議はこれにて解散となった。俺は部屋に戻り、待機するだけだ。
部屋に敷きっぱなしになっていた布団を片付け、することもなく寝転がった。
天井を見て、懐かしむ様に昔を思い出してみる。
この家に来たことは何度もあったから、この部屋に入ったことも多分あっただろう。
その時は、俺と菜有だけの時もあっただろうし、これから会う予定の彼らが一緒だったこともあっただろう。
俺達はいつも四人で、この田舎町を駆けまわっていた……はずだ。
しかし、何かが引っかかっていた。昨日味わった「何かが抜け落ちた感覚」だ。
そうだったはずなのに、どこか断定できない。実はそうではないのかという錯覚のような何かが、俺の言葉を制限している。
「……なんだろうな、これ」
「ふーく~ん! 二人とも、来れるって~!」
今日も分からず仕舞いのまま、菜有に呼ばれて思考を停止した。
菜有の家からだと、歩いて十五分程度の所にそれはある。田んぼが広がる景色から一変して、木々が広がる場所。その中に、神社がぽつりとあるわけだ。
「どう? 懐かしい?」
「ああ。あの狛犬、怖いくらい覚えてる」
顔が半分砕け散った狛犬。
小学生の時は、どうして怖くなかったのだろう。そしてあれは、神社的にどうなのだろう。
……ここはミステリースポットに名を連ねていないだろうな。
「そろそろ到着だって! 連絡来たよ」
菜有は携帯電話を開いてそう言った。
俺達は二人を待つことにした。
神社の境内はそれほど荒れておらず、割ときれいな状態で、まるで俺達を待ち受けていたかのようだった。思い込みか。
「そういえば、あの二人とはまだ仲良いんだったか?」
「うん。同じ高校だよ」
「変わったのか? 二人とも」
「う~ん、どうだろ? ずっと一緒だから違和感ないけど……」
「お~い、二人とも!」
「あ、来たよ!」
声がした方向を見ると、木々の隙間を縫うようにして二人がやって来た。
「お、もしかして楓馬? 全然変わってないじゃん」
「………………そう言うお前は、別人みたいに変わったな」
「そっかなぁ? 気のせいじゃない?」
先に声をかけてきた男の方は「西園善治」。
昔は泣き虫で、すぐ俺の後ろに隠れていたような奴だったが、今はどうしたことか。都会の若者ファッションに身を包んで、少しカッコいい雰囲気を醸し出している。傍から見れば、俺の方がダサいだろう。
背もすらりと伸びて、俺より高くなってるし。
「なんかさ、楓馬は全然変わってなくて安心したなぁ。いよぉっ、いぶし銀!」
「からかっているのか?」
「じょぉだんだよ! 怒った?」
こいつ、こんな鬱陶しい性格だったか?
殴りたい。
「楓馬。そんな阿呆に構ってないで、こっちに顔を見せなさい」
「阿呆って酷いなぁ! 咲楽ちゃんっ」
ブチッ!
あ、そういえば……名前を「ちゃん」付けで呼ぶのは御法度じゃなかったか?
「西園……夜道、気をつけなさいよ?」
「ひぃ~! おまわぁりさぁ~ん!」
善治はわざとらしく叫んで菜有の後ろに隠れた。これには怒った彼女も呆れて、追うことはしない。
「ごめんね、楓馬。せっかく久しぶりなのに、あんな馬鹿の相手しちゃって」
「あいつ、あんな感じだったか?」
「全然ッ! でも急にああなったのよ。高校デビューってやつかしら」
そうか。高校デビューだったんだ、あいつ……。
「今じゃ女子にモテて有頂天なの。何がいいのかしらね、あんな猿の」
そう言って善治を蔑視するのは「天来咲楽」。
俺と同じくらいの背丈で、生まれ持った茶髪がきれいに編み込まれている。纏っている清楚な服の上からでもわかる程スタイルもよく、善治とは違った意味で異性から人気が出そうだ。
彼女は昔からこうだった。凛としていながら、どこか話しやすい。
「まあ、あいつと同じ意見はヤだけど、変わってないわね、楓馬」
「……だろうな。俺は昔から地味だったから」
「自覚、あるのね……」
「そこを真剣に驚くなよ」
「ごめんごめん」
咲楽はそう言って笑った。見た目とは裏腹に、話しやすくて助かる。
こうしてみんな集まったところで、俺はまた先程の感覚を蘇らせていた。
だが、それも善治の一言にかき消される。
「いやぁ、こうしてみんなで集まれるなんてねぇ。ぼく達、運命の糸で結ばれてるんじゃない?」
「そうだとしても、あんたとだけは結ばれたくないわね」
「いやぁ~厳しいなぁ、咲楽ちゃ……咲楽」
善治はホッと肩を撫で下ろしている。どれだけ馬鹿なんだ、アイツは。
「――とまあ、みんな集まったけど、これからどーすんのさっ」
そう言って善治は菜有を見た。俺や咲楽も、釣られて見てしまう。
「どうって、なにが?」
「なにがって、神社に集まろうって言ったのは菜有だぞ! ノープランなのか?」
「え、うん。そうだよ?」
「「「………………」」」」
「だって、昔は何も考えなくても、ふーくんが遊びを考えてくれたもん」
――なにその責任転嫁!
「確かに、楓馬が色んな遊び提案してたっけ」
「そうね。今回も楓馬に考えてもらいましょうよ」
「どうしてそうなった。俺はここに昨日着いたんだぞ? 昔みたいに急に遊んでも、実感湧かないだろう!」
そう叫んでみるが、彼らはそうではない様子だ。
「久しぶりだけどさ、やっぱりここに集まると楓馬が何か言うのがキッカケでしょ」
「うん。『ゼンくん』の言うとおりだよ。ふーくん!」
「だからそのゼンくんって呼ぶのやめてよ、菜有ちゃん! 恥ずかしいって」
「え? だってゼンくんだもん」
善治も、俺と同様に撃沈していた。
――しかし、急に遊びを提案しろと言われても、娯楽施設の乏しい田舎町で出来ることは限られてくるだろう。
「逆に、お前たちは何がしたいんだよ」
「ウチはね、どこか行きたい!」
「善治と咲楽は?」
「ぼくはぁ、楽しければ何でもいいかな」
そのままで十分楽しそうだけどな。
「あたしは、何でもいいわよ」
「そう言うのが一番困るんだが……」
「そ? この面子で何かするなら、絶対楽しいわよ」
「……まあ、それもそうだな」
小学生の頃はこの四人で色んなことをしたけど、つまらなかった記憶はない。
……でも、おかしいな。
何か、忘れている気がする。
「どったの? ふーくん」
「いや……何か思い出せそうなんだが、記憶に蓋がかかるというか、思い出せなくてな。ここに来てから多いんだよな……」
「「「――!」」」
「ん? どうした?」
みんなして一気に視線を逸らしてくる。そんな中、善治が平然を装いながら声を張り上げてきた。
「い、いやぁ、何でもないよ! きっとそれ、昔の痛い記憶が蘇ろうとしてるんじゃない? 本気でヒーローに憧れてた頃とかさ!」
確かに、そう言われるとそうかもしれない。封印したい記憶だってあるだろう。
「……そうかも、な」
「そうそう。だからさ、早く何するか決めようよっ。ねっ?」
「じゃあ、この辺一帯を散策するか。五年間で少し変わったみたいだし」
「さんせ~! ね、菜有ちゃんも咲楽もいいよねっ!」
善治はキョロキョロと二人の顔を見る。菜有は先程とは打って変わって元気に頷き、咲楽は静かに頷いている。
「それじゃあ、ウチが今回のリーダーね!」
「さんせ~」
「異議なしよ」
何となく思い出した。確かこうして、やることを決めてからリーダーを決めていたんだっけか。
「それじゃあ、いこー」
「「「おー」」」
号令をかけた菜有を筆頭に、俺達は森を抜けることにした。
少々、あの神社に心残りがある気がしたが、振り払うように歩みを進めた。
「この辺、昔は空地だったよな」
「そうね。でも今はこう……」
大きな資材置き場と化した空地の目の前を通り、商店の方へと歩いていった。
商店街と呼べるほど大きくはないが、唯一スーパーなどがある。ここは、変わってないな。
「この辺は、よく歩いたよねぇ」
「そうそう。ぼく達が通ってた小学校の通学路だったから、買い食いして怒られたこともあったっけ。ところでさ、楓馬の方はどうなの? 学校の周りに喫茶店とかあるの?」
「そんなのない。あるのはクリーニングの店くらいだ」
真実を語ると、善治はつまらなそうに天を仰いだ。
「ふ~ん。都会って言っても、狭苦しいのかねぇ」
「都会暮らしに希望でもあるのか?」
「まーね。でも、この町好きだしさ、特別な理由がない限りは出たいとは思わないなぁ」
「……お前なら、あっちでも上手くやっていけそうだぞ」
「ん? 何か言った?」
「なんにも」
辺りを歩き、スーパーに入って何か買おうかと提案が出たが、俺は財布を持ってきておらず、不実行に終わった。
商店街を抜け、田園風景を見ながら畦道を歩いていくと、図書館や学校が見えてくる。この町の学校は小中、果ては高校まで一貫性。カッコよく言えばエレベーター式だが、ここの場合は人数不足が原因だ。町にはいくつかの学校があったらしいが、俺が通う頃には小中高一貫の木製の校舎しかなかった。
しばらく歩いていると、後ろを歩く咲楽が足を止める。振り返ってどうかしたかと尋ねると、思いついたように提案してきた。
「学校、行きましょうよ」
指さした先には、確かに学校が見える。信号も車も少ないこの町なら、目と鼻の先にあるあそこまですぐに着くだろう。だが、賛成意見は出なかった。
「ヤだよ~。夏休み中に学校なんか行きたくないぃ~」
「ぼくも、どうかぁ~ん。教師に見つかったらめんど~でしょ」
「……そうかしら。良い提案だと思ったんだけど。ねぇ?」
こちらを見られても……。俺も、あの二人に賛成派だし。
咲楽は諦めたように溜息をついていた。
あれからしばらく歩き、俺達は菜有の家の前にやってきていた。
既に昼もまわっている。今日はここまでということで全員が一致した。
「じゃ、また明日ぁ~」
「菜有、楓馬。また明日ね」
「うん」
「おう」
二人が去っていくのを見届けて、俺達は家の中に入った。そして、菜有の作った昼食を食べると、午後は大いに暇になった。
ゴロゴロとやることもなく転がっていると、テーブルの上の携帯電話が振動した。
新着メールだ。しかし、宛名に一瞬固まる。
「菜有?」
何故同じ家にいるのにメールしてくるのだろうか。奴の行動は不思議でたまらない。
『だるだるだぁ~』
「……これだけか?」
「うん、それだけ」
「――って、ぬわあぁっ!」
急に聞こえた声に横を向くと、メールを覗き込んで笑っている菜有がいた。あまりの驚きに、俺は飛び退いてしまっている。
「いきなり現れるな! びっくりするだろう!」
「え~? 家にはウチとふーくんしかいないんだよ? 普通はびっくりしないよ~」
「する奴はするんだ。心臓に悪いからやめろ。……それより、なんなんだこのメール」
「暇だったから送ってみて、ちゃんと届いたか見に来たの」
今まで散々やり取りしてきただろう。今更こんな確認するのか……。
「お前は本当に変わらないな……」
「え~~! 少しは大人っぽくなったよ!」
「どこが?」
「……さぁ?」
「自分でわかっていないのに、俺がわかると思うか?」
「……それもそうだね。そうだ!」
今度はなんだ。
「今日、楽しかったね~」
「ただ散歩しただけじゃないか?」
「それでも楽しかったよ! またこうして、みんな集まれたんだもん」
「……そうだな」
「ね、明日は何して遊ぶ?」
「まだ今日が終わってないのに、そんなこと訊いてくるな。第一、宿題とかないのか?」
「あったけど、一日で終わらせたよぉ。ふーくん達とたっぷり遊ぶために!」
こいつは、こういうことになると驚異的な集中力を発揮するタイプだったな、そういえば。
「用事もないのか? 俺を迎えに来るときは随分と忙しそうだったろ」
「あ、あれは何でもないよ! 用事なんてないの!」
どうしてここで焦っているのか。不思議な奴だ。
しかし、俺も特にすることが無いだけあって、無碍に断ることはしない。
「……じゃあ、明日までに考えておく」
「ホントに? わぁ~い!」
飛び上るほど嬉しいのだろうか。
「やっぱり……」
「……?」
急におとなしくなったかと思えば、菜有はどこか淋しげな表情でこちらを見ている。
「やっぱりって、なんだよ?」
「こうやってふーくんもいなきゃ、つまんないなって思ったの……。それだけ」
「……!」
「それじゃあね。ふーくん」
「あ、おい!」
声をかけるが、菜有は部屋を出て行ってしまう。
追いかけることもできるが、そこまでする必要があるかと考えた時、足は自然と止まっていた。
ずっと、菜有は今日を待っていたのだろうか。
再び四人で集まれる日を待ち詫びていたのだろうか。
俺なんか、この五年間はこちらのことを考えたこともなかった。
それなのに、あいつは待っていたのだろうか。
結局、先程の言葉の真意は分からなかった。
あれから訊ねることも出来たが、わざと明るく振舞われ、話す機会もなく、気が付けば夜になっていた。
「……」
天井を見ている心情は、昨日と今日では違う。
先程の菜有の言葉も、ずっと気になっている何かが剥離した様な感覚も、全部が混じり合って整理がつかなかった。
「寝よう……」
明日、菜有と思い切り遊んでやろうと思い、目を閉じた。




