アンデッドマンズ・ハンド
「Be advised, hostile UAV is incoming」
ヘッドホンからアナウンスの声と共に銃声が聞こえる。コントローラーを握り直し、目の前にあるテレビ画面の中に映る敵影を、一人称視点の自分が手に持つアサルトライフルで撃ち殺す。血飛沫をあげて敵は倒れ、キルストリーク――敵を殺したポイントで使えるアイテムのことだ――のゲージに百ポイントが加算される。
あと一人殺せばキルストリークが使える。そう思いつつ先ほど殺した敵の死体を踏みつけて進もうとした。
その瞬間、爆発とともに自分のキャラクターは宙に投げ出され、無様に死体として地面に転がった。どうやらスキルを使って死に際に爆発物であるC4を起爆させたようだ。
「くそっ……!」
俺はヘッドホンを頭から引き剥がし、コントローラーを乱暴に机の上に置くと、ゲーム機の電源を切った。
***
俺が生きることに消極的になったのは、中学三年生の終わり頃だったと思う。
それまで誰よりも真面目に勉強し、積極的に部活に取り組み、与えられた課題や仕事は完璧に近い状態まで仕上げた。自分が無愛想だということは自身がよく知っているから、友達は少なかったように思う。家庭では親の言いつけにはきちんと従ってきたし、反抗するようなこともなく親の期待に答えられるよう努力した。学校でも教師の指示や校則には極力従った。家でも学校でも、それなりに充実した生活を送っていたつもりだった。
だが、高校受験を終えて全てが変わった。
俺は第一志望高に落ち、続く第二志望高にも落ちた。失意のどん底に四つん這いになりつつ第三希望の高校の合格を望んだ。結果として第三志望の高校には受かったが、入学してからが最悪の日々の連続だった。周りの人間は俺が嫌いな「ちゃらちゃらした連中」ばかりだった。スマホを片手に囲んではゲームの話をして騒いでいる奴、うるさく騒ぎ立てクラスの人気者の地位を築き上げる奴、表面上では仲良くしているくせして裏では陰口で罵る奴……どいつもこいつもソリが合わない。関わりを持つことをやめ、距離を取るといつの間にか連中の笑い話のネタにされている自分がいた。
一挙手一投足にまで目をつけられ、何かしらミスをするとそれをあげつらい、皮肉な笑みを浮かべながら哀れみの目線を向けられる。良いこと――大抵は成績のことだ――が起こると嫉妬深い目線とともに批判めいた言葉を並べ始める。最悪の日々だった。
丁度その頃だった、自分が生まれてきた意味を、生きる意味を探し始めたのは。
村八分にされ、無意味に過ぎていく毎日。やりたいこともなく、本当にやるべきことすら見いだせない日々。気が付けば大学受験を終え、大学生になっていた。
中学生時代までの気力は見る影もなかった。講義に出て、課題をなんとなくこなす。やりたいことがなかったから無難な学科に進んだが、それもやはり心からやりたいことではないため、すぐに飽きがくる。将来の目標も、まだ見えない。
ゲームをし終わった後は身体が気だるい。周囲の空気が鉛にでもなったみたいだ。椅子の背もたれに全体重を預け、ぐたりと天井を見上げる。
一人暮らしを始めて早一年。新築……ではないが、入居した当初は壁紙が張り替えられており、きれいな印象があった。今でもこまめに掃除しているから、部屋全体は片付けられ整っている。
なのに、白いと思っていた天井は何故か薄汚れて見えた。
***
ゲームをするのはもっぱら休みの日だけだ。平日は講義と課題で追われているから、ゲームをしている暇がない。いや、暇はあったとしても、疲れて寝ていることが殆どだ。
下宿の俺は朝早く起きる必要はないが、遅く起きていると生活のリズムが崩れると思い、早めに起きている。布団を仕舞い、朝食を食べて着替え、教科書類をカバンに詰め込むと、学校へと歩き出した。
大学から徒歩五分。学生たちの溜まり場になりそうな地理的条件だが、そうはならない。なぜなら友達と呼べる存在がいないからだ。友達がいなければ家を訪ねてくることもない。下宿先に来る人間といえば、せいぜい宅急便か郵便の配達人しかいないのだ。
講義室を変えながら講義を受ける。後ろの席は男女の少数グループが占領しているから、いつも前の席だ。教授がだらだらと自分に興味のない分野の話をする。最初は苦痛だと感じたが、もうそれすらも感じない。俺は板書を機械的に写した。
「――渡真利君。渡真利理志君はいるか?」
板書に夢中になっていたせいか、自分の名前が呼ばれたことに気がつかなかった。周囲を見渡すと皆、俺のほうを一瞥しこそこそ話をしていた。学生らの目線から誰が渡真利なるものかを悟った教授は俺の方を見た。
「君が渡真利君か。提出物について尋ねたかったのだが……私の話を聞いていたか?」
「いえ、板書を写すのに必死で……」
「板書は結構だが、人の話もきちんと聞くべきだ。板書だけが講義の全てじゃない。社会に出てからだと、マニュアルみたいに形あるものを読むことより話を聞き取る方がより重要なんだ。分かっているのか?」
「……はい、分かります」
「なんだ、その顔は。私の話はそんなにつまらんか!」
機嫌が悪いのか、やけに突っかかってくる。俺以外にも携帯を机の下でいじっていたり、寝ていたり、他の科目の課題をしている生徒が大勢いる。なぜ俺だけが一方的な怒気を向けられなければいけないのだろう。
しばらく俺の態度をネタにしつつ持論を展開し、怒りが収まったのかその後は普通に講義を再開した。こんな講義なんて聞いてられるか、とさじを投げたくなったが、また目を付けられても面倒なので、変わらず板書をノートに写す作業を続けた。
今日ある全ての講義が終了した。この後はバイトに行くだけで、俺の自由時間は確保される。
一時帰宅し、バイトの用意一式を揃えると、俺は駅まで歩き、電車に乗る。数えて四駅目で降り、そこからまた歩いて十分ほどすればバイト先のスポーツショップがある。
これさえ終えれば後が楽。そう自分に言い聞かせた。
だが、そう上手くいってくれるはずがなかった。
まだまだ研修期間の俺は仕事に不慣れだが、それでも自分にできることは何でもした。おもに任されるのは裏方の商品の受け取りや管理だが、やってくれと言われれば本来やる必要のない倉庫の掃除までやった。下っ端とはこういうものなんだと思っていた。
「渡真利君。品出しはまだか?」
先輩に言われてようやく思い出した。商品の受け取りと整理に手間取り、品出しをすっかり忘れていた。
「すいません! 今出します!」
俺は急いで倉庫の方へ行き、商品が乗った台車を引っ張ってきた。
店内に入り、陳列する場所まで持っていこうとしたその時だった。積みすぎたせいだろうか、段差に差し掛かった瞬間、勢い余って最上部の箱が宙を舞った。箱は近くを通りかかったお客さんのカートに衝突。その衝撃と驚きに、お客さんは尻餅をついて後ろにこけた。
「あぶねえだろうが!」
怒鳴り声が店内に響き、周囲のお客さんが一斉に振り返る。社員が俺たちの方に駆け寄ってくるのが見えた。
「申し訳ございません」
店長が何度も頭を下げる横で、俺も謝りながらうなだれていた。幸い双方に怪我はなかったものの、箱の中に入っていた重いプロテインの袋が高価なサングラスを割り潰していた。
尻餅をついたお硬い感じの中年男性のお客さんはその後ブツブツと文句を言いながら帰っていった。社員さんに、
「とりあえず持ってきた分だけ品出しして。そのあとは裏で商品の整理をしてくれ」
と半ば呆れるような目をして言われ、品出ししてからはその日のバイトが終わるまで裏で整理や掃除ばかりをした。
そして帰り際に社員の想田さんに呼び止められた。事務所の椅子に向かい合って座ると、彼は足を組み替え、頬をポリポリ掻きながら俺に言った。
「渡真利君さぁ……もう少し要領良く出来ないかな?」
「はい、自分なりに頑張っているつもりなんですけど――」
「頑張っているのは認めるよ? たださ、もうここ来てから一ヶ月経つじゃん? 研修期間は多めに取って三ヶ月にしてあるけどさ……君、憶えとかが苦手な感じ?」
「そういうわけではないですけど……」
「ふうん……ひとつ言っておくけど、君、このままだと社会に出てもやっていけないよ? 今日みたいに失敗したら誰かが出てきて謝りにきてくれるわけじゃないからさ。もっと責任を持って行動してよ」
「……はい、すいませんでした」
「……話はそれだけ。お疲れ様」
ため息混じりに想田さんは俺を開放した。店から出ると、空には黒い雲が垂れ込んでいて、見ているだけで押しつぶされそうだった。冷たい夜風が針のように肌をチクチクと刺す。街灯のぼんやりした明かりを俯瞰しつつ俺は駅まで歩いた。
帰宅してすぐにリビングに倒れ込んだ。身体が重い。視界がグラグラ揺れる。椅子に座り暗い部屋の中スマホを手に持ち、どうでも良いサイトを開いては閉るという行為を繰り返し、スマホの電源を切った。机の上に投げるように置くと、散らかったもののひとつと接触したのか、プラスティックが割れる音がした。
「俺はダメな人間だ。生きる価値なんかない」
自然と口からそんな言葉が漏れていた。
何をやっても結果が伴わない。自分の努力は報われないのだと思う。社会に必要な人間ではないのではないか。俺一人くらいいなくなったって、世界は今日も回る。
もそもそと押し入れから布団を取り出すと、俺は現実から逃げるように無理やり眠りについた。
***
次の日、俺は朝起きると近所のコンビニエンスストアに向かい、遠出できるようにと多めに金をおろした。そして駅に行くと、すぐに電車に乗り込んだ。
車内を見渡すと、学生や中年サラリーマン、おばさん、お年寄りといった様々な年代の人間が、まるで人形のように無表情で座っている。社会とは一種の大きな機械だと思う。決められた通りに動き、決められた仕事をする。そう考えると、人々の喜怒哀楽といった感情も作り物のようだ。
乗り換えを挟みつつ二時間ほど鉄の箱に揺られ、俺は田舎の駅に降りる。そこからまた約一時間歩いて、とあるアーチ橋に着いた。
ここは自殺スポットでも有名な場所だ。橋の下までは百メートルほどあり、飛び降りれば死ぬ可能性は高い。おまけに車通り・人通りは少なく、発見されるのも遅れるため、瀕死になっても助かる可能性は低い。
そうだ、俺はここで死ぬんだ。もうこの世界に思い残すことはない。このまま楽になりたい。怖いのは一瞬だけだ。何も感じす、何も考えることはない。
ふらふらと落下防止の鉄柵に手をかける。足元を見ると、自殺者の弔いのためか、花束が添えられている。あまり萎れていないところを見るに、最近のものだろう。
鉄柵の冷たさが手のひらから伝わる。ここを飛び越えたら、違う世界にいける気がする。深呼吸して、息を整える。その時だった。
「あなた、怖がってる」
唐突に女性の声がした。その方向をばっと振り向くと、自分と同じくらいの歳の、黒髪ストレートの美人がいた。
「死ぬことを怖がってるように見える。なら、まだあなたはやり直せる」
幻覚ではないだろうか。目をこすり、顔を手でこする。もう一度深呼吸をする。彼女は依然としてこちらを見据えていた。
「……あなたに俺の何がわかるんですか」
「分かるわ。私だってそういう気持ちに何度だってなったし、何度だって身をもって経験したわ」
「いつからそこにいたんですか」
「あなたが電車に乗った時から。ずっと後ろを歩いていたのだけれど、あなたは気付いてなかったのね」
「ずっと、だって……?」
全く気付かなかった。というより、周囲に気を配る考えが欠落していたのだろう。それだけ追い詰められていたのか、なんて少しは考えられるようになった。
その女性と少し会話をしただけで、自分の中のドス黒い感情が薄まった気がした。一時的ではあるものの、自ら命を絶つ気力を削がれた。
「死ぬことはオススメしないわ。まだあなたにはできることがある」
「できること、だって?」
その言葉に俺はカチンときた。
「自分が何をするべきかなんてのは自分が決めるもんでしょ。あんたに決めつけられる筋合いはない。それに俺は何をやっても中途半端で、真面目にやっても結果は出ないし挙句の果てにはいらない子扱いだ。俺は社会には必要とされていない。俺がいなくても世界は変わらず回り続けるだけだ。俺にするべきことなんてない。俺の代わりになる人間なんていくらでもいる!」
俺の叫ぶ声が周囲に響く。風が木々を揺らし、乾いた音を立てる。女性の長い髪も揺れた。
「生きる意味なんてもう考えられないんだよ! あるかどうかもわからない、掴めるかどうかも分からない幸せを求めるのにはもううんざりなんだよ!」
誰に対してでもない嘆きや怒り、悲しみを言葉に乗せて喚き散らした。
「……その気持ちはよく分かるわ」
悲しげな表情とともに、女性は目を伏せた。
「必要とされていないと感じるのは辛いものがある……何度でも逃げ出して、でも逃げ切れなかった。戻されたのよ、強制的にね。それに――」
女性は言葉を切って、俺の方をまっすぐ見た。
「あなたと私は、似ている気がするの」
「だから止めに来た、とでも言うつもりか」
俺は彼女を睨みつけた。
「ほっといてくれ、俺のことは。結局のところ、人と人とは分かり合えない。それにあんた、身をもって経験したとか……まるで死んだことがあるみたいじゃないか」
「そうよ」
彼女は淡々と、しかし確実に正気を持って言った。いや、こんなこと言う奴が正気なわけがない。そうだ、きっとこいつも俺みたいにここへ来て――。
「信じられないかしら。ならここで見せてあげるわ」
俺の思考を遮るように宣言すると、彼女は鉄柵のほうに歩み寄り、そして下の様子を確かめる。
「お、おい、何してんだ」
「念を入れておくべきかしらね……これでも多少痛み感じるのよ? じゃあ一分ぐらいたったら橋の脇から下に降りてきてくれるかしら」
まるでかくれんぼの鬼に『数字を数え終わったら見つけに来てね』というかの如く気軽に声をかけると、迷いもなく飛び降りた。
あっけに取られていたが、自分の目の前で起こったことを再度把握すると、急に恐ろしくなった。
「うっ……あああっ……」
ガクガクと膝が震え、腰が砕けそうになった。寒くないのに、歯がガチガチと音を立てて、食いしばることができない。
俺の目の前で、人が死んだ。
あの高さなら確実に死ぬ。彼女はもう、助からない。
頭では理解していたが、罪悪感、自責の念等に塗りつぶされる。俺は転げるようにして脇道を下った。
足を滑らせて尻餅をついたり足や手に擦り傷をいくつも作りながら谷底についた。そこにあったのは無数に散らばった肉片や部位、そして女性が着ていたであろう衣服。岩にはベッタリと赤黒い血が、バケツでかけられたかのごとくシミをつけていた。
「うっ……おえええ!」
胃の中のものを全てぶちまけた。それこそ胃酸を吐き出すかのごとく、とめどなく嘔吐した。頭がクラクラする。口の中が焼けるように熱い。吐瀉物の鼻を突く悪臭が、余計に意識を朦朧とさせる。
警察に連絡をする? でもこの状況で自殺だと向こうは判断してくれるだろうか? 他殺だと認知されたら?
いや、もうどうでもいい。
どうせ俺のような人間はどうなってもいい。
他人の死には疎いつもりでいたが、実際目の当たりにすると衝撃が強かった。それだけのことだ。もっとも、飛び降りたのは向こうで、俺が押し出したわけではない。そうだ、俺のせいじゃない。
俺は一通り吐き終わると、フラフラしながら来た道を戻ろうとした。その時、有り得ない現象が起きた。
ズルズルと背後で引きずる音がしたので振り返ってみると、散り散りになった、人間を形作っていたパーツが全て同時に、そして不自然に動き始めた。と思うと、女性の落下地点へと集まっていく。気がついたときには、橋の上で見た彼女その人が岩の上に横たわっていた。
「――ほら、死ななかったでしょ?」
わかりきった実験を行った科学者のような口ぶりで呟くそのすがたを俺は唖然として見つめていた。
「私は数年前からこんな身体に……不死者になってしまったのよ」
「あ、不死者……!?」
俺は裏返った声で叫んだ。自殺願望は、一瞬でどこかへと飛んでいった。
***
その後、俺は女性に導かれるまま元来た道をそのまま辿り、駅近くの喫茶店に入った。
「私は豊福美幸。あなたのお名前は?」
「渡真利……理志です」
「ふうん、『渡真利』っていうの……珍しい名字ね。どういう字を書くの?」
店内にあったアンケート用紙とペンを使い、余白に名字を書く。
「なるほど、こういう字なのね。見たところ大学生といったところかしら。何年生?」
「二年生……です」
「あら、私よりひとつ下なのね」
その女性――豊福さんは事情聴取するような淡々とした口調で俺のプロフィールを聞き出していた。注文していたミルクティーのストローを持ってかき混ぜつつ、ちらりと俺の方を見た。
「それで……なんであんな真似を?」
それはこっちの台詞だ、と言いたかった。もはやトラウマのレベルだ。生き返らなかったら俺は発狂していた自信がある。むしろ生き返ったことにも驚愕している。今も普通に会話しているが、内心口から心臓が飛び出そうだ。
「さっき言ったじゃないですか、俺が別に生きてたって何の意味もないからですよ。死んでも悲しむ人なんていないだろうし」
「あら、ご家族は?」
「みんな……ろくでなしですよ」
「それはあなたが思っているだけじゃなくて?」
その可能性は否定できない。現に、俺は1人で考え、1人で行動してきている。自分で勝手に思い込んでいるという事も有り得なくはない。言ってしまえば、俺より劣悪な環境で生きている人だって、もしかしたらいるかもしれない。
「ただ、そうだとしても、どのみち俺には生きる意味が分からないです」
「では意味があれば生きるのかしら? あなたはさっき死のうと思うまで意味を持っていたの?」
「それは……」
これまで意味を持って生きてきたのかというと、そうではない気がする。何となく、というのが本心だろう。他人に言われるがまま、レールの上を脱線することなく走り続けてきた人生――そんなものに意味をもとめることはできない。
「じゃあ豊福さんには意味があるんですか? 生きることに」
「ないわ」
即答だった。他人のこと言えないじゃないか、と反論したくなったが、ここまではっきりと自信を持って言われると、むしろ潔いまである。
「だったら――」
「自分と同じじゃないか、とでも言いたいのかしら?」
「……そうです」
「私は生きる意味を失ってはいるけれども、探している途中なの。私はあなたと似ているといったけど、違うのはそこかしらね」
そう言って豊福さんはミルクティーを飲んだ。つられるように、俺も注文したコーヒーに口をつける。深みのある苦味とほのかな酸味が口いっぱいに広がる。
「私もあなたみたいに思った時期があったわ。辛くて、とても苦しかった。それこそ死にたいと思うほどに」
「でも豊福さんは――」
「そう、死ねなかった。一種の呪いね。数種類の死に方を試してみたわ。でも結局死ねなかった。死ぬほど痛い思いはするのだけれどね」
俺は「死ぬほど痛い思い」という言葉で、人としての原型をとどめていなかった時の彼女の姿を思い出し、胃の中が不自然に動き出しそうになった。
「因みに不死者という名前は……」
「ええ、自分でつけたの。変だったかしら?」
豊福さんは女性だから「不死女」と名乗るほうがしっくりくるんじゃないかと思ったが、細かいことは言わないようにした。どうせこんな特殊能力者なんてそうそういない。本人が呼びたいように呼ばせるのが道理というものだろう。もっとも、実際に見たりしない限り信じないだろうし、ただの妄想と思われるのがオチだろうが。
「さて、これかどうしましょう?」
「どうしましょう、と言われても。大学に戻って講義を受ける気にもなりませんし……」
「なら、提案があるのだけれども」
「どんな?」
「私と一緒に『生きる意味』を探しに行きましょう」
豊福さんの顔を見る。無表情ではあったが、真剣な眼差しをこちらに向けていた。
「唐突ですね。意味が分からないですよ」
「意味を求めたがるのね……なら『生きていて良かったというようなことを探す』という言い方なら理解できるかしら」
「言葉の意味は理解できますよ。俺が何故あなたと共にそんなものを探さなきゃならないかということですよ」
出会ったばかりの見知らぬ綺麗な女性と生き甲斐を探す。どんな展開だよ。夢でも見ているんじゃないかと錯覚しそうになる。昔の俺なら美人な女性と一緒に行動するというだけでこころ踊っただろうが、今の俺はそうじゃない。怪しさマックスだ。
「では知りたくない? 『生きる意味』というものを」
「それは……」
知りたくない、というと嘘になる。だが自分と歳がさほど離れていない相手が『生きる意味』なんていう大それたものを他人に教えられるとは思えなかった。
「私になら……いえ、私達になら見つけ出せるかもしれないわ。何度も死を経験して、それでもなお生き続ける私もいるしね」
新手の宗教の勧誘文句に近かった。馬鹿げている、といつもの俺なら一蹴してこの場を立ち去っただろう。だがこの黒髪美人の瞳を見ると、虚ろながらもかすかに生命の灯火が残っている気がしたのだ
。
しぶしぶ、というよりのせられるようなかたちで、俺はひょんなことから出会った女性と二人で出かけることになった。
***
他人が汗水垂らして稼いだ金で『生きる意味探し』だなんて、おこがましいし、罪悪感がある。それと同時に「自分のものではない」という気楽さや一種の満足感もある。どちらにせよ、一度おろしてしまった金だ。わざわざ戻しに行くのも面倒だ。
俺はその親の金を使い、豊福さんと共に水族館に来た。水族館なんて何年ぶりだろう。昔に子ども会の旅行で行った記憶があるが、行ったという記憶がかろうじてあるだけで内容はほとんど覚えていない。
「生き甲斐探しなのに何で水族館なんですか?」
熱帯魚コーナーで豊福さんに問いかける。アロワナとかいう竜の鱗のようなものを纏ったデカい魚を見ながら、俺の問いにこう答えた。
「綺麗な生き物や不思議な生き物を見ているだけで幸せな気持ちになることもあると思うの。それが生き甲斐につながることだってあるわ」
「でもわざわざ水族館だなんて……」
「それは私が来たかったからよ」
これまたあっさりと言い放った。「綺麗ね……」なんて言いながら水槽を悠々と泳ぐアロワナを見つめている。確かに鱗がキラキラと光っていて美しいとは思うが、ぎょろりとした目と大きな下顎を見ていると無性に腹立たしくなった。
「……ねえ、今この魚達は何を考えているか分かる?」
不意にこちらを見据えて豊福さんは問いかける。一瞬戸惑ったが、答えはすっと出た。
「何も考えてないですよ、たぶんね」
「でも、人間は考えるわよね? じゃあ何も考えずに生きるのとひたすら日々考えながら生きること、どっちが幸せなのかしら」
「何も考えないほうが……幸せな気がします」
何も感じず何も考えない。不可能には近いが、そうすることで辛いことや悲しいこともなかったことのようにできるのではないだろうか。
「まあ幸せと感じている時点で何も考えないというのはいささか無理があるのだけれどね」
「はあ、ひっかけですか……」
ドヤ顔(無表情)を決めている彼女にため息が漏れた。
「そうとも限らないわ。幸せを感じることが出来ないならば、それは『幸せではない』と言えるのではないかしら? そうなるとやはり考えながら生きることが幸せにつながると思わない?」
正論のような屁理屈のような、妙な議題を持ち込んでくる豊福さん。確かに「ある」ものをそうと認識できなければ「ない」と同等であると言えなくもない。だが認識や感性などといったものは個人によって異なる。ましてや「幸せ」なんていう概念は括りが大きすぎる。
ふと「考えるな、感じろ」なんて台詞を言い放った俳優もいたっけな、とよそ事が頭をよぎった。
「ほら、考えることって素敵なことでしょ?」
「考え過ぎも良くないですけどね」
「そこは加減ね。何事もほどほどによ」
「それが分かれば苦労しないんですよ」
青白くぼんやりと光るクラゲを見つめる。こいつは何も考えてないんだろうな。俺の頭は考えるたびにモヤがかかっているというのに。
その後もイルカショーなんてのを見たりしたが、俺にとっての生き甲斐にはなりそうもなかった。豊福さんは、それこそ何も考えていないかのようにたのしんでいたのだが。
次は動物園に来た。ここに来ることを望んだのは俺だが、別段意味があったわけじゃない。水族館に行ったから動物繋がりで何となく選んだだけだ。
ゾウやライオン、ゴリラといったメジャーなものから、爬虫類コーナーに至るまで、一通り見た。感想としては「ああ、こんな生き物もいるんだ」ぐらいしか浮かばなかった。正直興味なんてあまりなかったのだ。
豊福さんは水族館の時と同じように愛らしいと思うものを見つけては食い入るように見ていたが、反応が先程に比べて明らかに悪い。
「……陸上生物、嫌いなんですか?」
少し気になり、訊いてみた。
「いえ、そんなことないわ。ただ……」
「ただ?」
「檻の中に入れられてる動物を見るのがあまり好きではないの」
「はあ……檻の中と水槽の中ってそんなに違いがありますかね?」
「イメージの問題ね。なんかこう……囚われてるという感じがするから」
そう言った豊福さんの顔は、何かを哀れむような、あるいは痛ましさを堪えているような表情をたたえていた。
「に、人間もほら、自由だと自分では思っていても案外こういう見えない檻みたいなのに入れられちゃってるのかもしれませんね」
咄嗟に出た言葉が負のベクトルをもつものだったことは仕方がない。こういう時どんなことを言えば良いのかわからないのだ。
「……そうね、自由だからって何でもしていいわけじゃないし、何でもできるわけがないものね」
「理性で抑えている部分もありますしね」
「えっ……今抑制中なの? 私に手を出そうとしてたの?」
「なんでそうなるんですか」
俺が何を抑制しているというのだ。美人な女性の近くにいると緊張するというのは認めるが、手を出そうという考えまでは至らない。理性のない肉食動物ではなく、理性ある草食動物なのだ。
「まあそれは冗談として」
「たちが悪いですよ……」
現に周囲の目線が痛い。確実に見境のない男として見られている。
「自由なことは幸せかしら? それとも不幸かしら?」
「極論ですね」
「どちらかで考えてみて」
人差し指を立ててくいくいっ、と横に小さく振る仕草が、凛とした見た目に反して可愛らしかったため一瞬意識を持っていかれたが、腕組みをして俺は考えてみた。
「……幸せ、だと思います」
「それはなぜ?」
「選択できる権利があるからですかね。自由がなければ、人は目の前に敷かれたレールの上をただ進むことしか出来ない。でも無数の分岐点があり、そのレールの末端が複数あるとしたら、結果がどうであれ自らの手で選び取ったものの積み重ねになる。自分でいくらでもこの先を、未来を変えられるという事自体が幸せなんじゃないかと」
「なるほど……結果にではなく過程に幸せは存在する、と。ではあなたは――いいえ、私達はその無数にある選択肢の中から『死』を導いたというわけかしら?」
「それは――」
俺は言葉に詰まった。
無限にあると言える人生の分かれ道。その中で自ら命を絶つことは道の終着点に至る。一寸先は闇、ということわざがあるように、一歩踏み出した先に道がないことだってある。予測もつかない未来の先にあるそれは、果たして本当に自分が選び取ってきた過程から生まれた答え(死)なのだろうか? そして、その答え(死)を掴み取り、振り返って歩んできた道を見て俺達は――幸せであると言えるのだろうか。
「何が正しくて何が間違いなのか……人生にそんなものは存在しないし、そうなってはならないわ。それに、自由があることで幸せに思う部分もあれば不幸に思う部分もあると思う」
「……つまり、何が言いたいんですか?」
俺は豊福さんの言葉を促した。焦っているわけでも、急かしているわけでもない。ただの無愛想で……今の自分を否定するような言葉を聞いて楽になりたいだけの気持ちから出た言葉だった。
「つまり――」
彼女は語気を強めた。それは俺への、あるいは彼女自身に強く固定するための楔を打ち付けるための予備動作なんだろう。
「自ら死を選んだその瞬間、後にも先にも道はなくなるわ」
あたりがしんと静まり返る感覚があった。環境音は相変わらず耳に届いているはずなのに、その言葉だけが、耳の奥深くで反響した。
***
気が付くとあたりが仄かに暗くなり、藍色が空を覆いつつあった。
そろそろ夕飯時ね、と豊福さんは言うと、俺を連れて都市部に移動した。何処へ行くのかと思って数歩後ろから追従し、行き着いたのはとあるビルの上層階のレストランだった。
温かく、そして優しいオレンジ色の照明。乳白色のテーブルクロス。その上には照明に照らされて緩やかな銀色に光るナイフやフォーク、スプーンが綺麗に揃っていた。大きなガラス窓からは、街中の様々な光が一望できる。そよ風のごとく耳に流れ込んでくる低音のBGMのもとで、気品に満ちた老若男女が談笑している。とても学生がふらっと立ち寄って良いお店ではないということが分かった。
「ちょっと……これ、大丈夫なんですか?」
「なに? お金の心配? なら問題ないわ。学生にとっては少し高めだけど、払える額だと思うわよ。なんなら私が足りなかった分を払うわ」
「お金の問題もありますが……ドレスコードとか本当にないんですか? ほかのお客さんを見ているとわりときっちりした服を着ている方が多いようなんですけど」
「今のあなたの服装なら問題ないわ」
「それにこのレストラン、予約とか必要なパターンですよね? いつの間にしたんですか?」
「トイレに行くついでに、ね」
驚きのあまりため息が出てしまう。彼女の思うようにことが進んでいるようで、全て何かしらのために仕組まれた巧妙な罠なんじゃないだろうかと思えてくる。
テーブルに案内されてしばらく唖然としていると、前菜が運ばれてくる。料理のことについて豊福さんは喋るが、雰囲気に押しつぶされそうで耳にはあまり入ってこない。出てくるものを食べ続け、気が付くとデザートが目の前に置かれていた。
「どう? 満足できたかしら」
ナプキンで口周りを拭きつつ、豊福さんは俺に語りかける。どうやら彼女はすでにデザートを食べ終えているらしいということに、今更気付く。
「いや、正直びっくりしていて味わうどころじゃなかったですよ」
俺は完全に場の空気に呑まれていた。
「美味しいものを食べることが生き甲斐であったり、それで幸福になることもあるんじゃないかしら」
「ええ、まあ……」
生返事で返す。そしてこれまでに溜まってきた、彼女に対する素朴な疑問をぶつけた。
「豊福さんって何者なんですか? こんな見ず知らずのチンケな男子大学生にここまで付き合ってくれますし、おまけにこんな場所まで用意して。一体何が目的なんですか?」
「言ったでしょう? 共に幸福と言うものを――」
「俺が聞きたいのはそこじゃないんです!」
思わず声を荒げてしまった。周囲の人間が一瞥し、目の前の彼女は驚いたように目を見開く。気まずくなったので周囲に軽く頭をさげると、もう一度穏やかに話すよう心がけた。
「そう考えるようになったきっかけが知りたいんです」
俺が若干テーブルに身を乗り出しながらいうと、彼女は目を伏せ、一息つく。
「――じゃあ、私の話をしましょうか」
***
お金持ちやエリートなんてロクなもんじゃない。
私が物心ついた頃にはそう自然と思うようになっていた。
父親は大手企業の社長で、母親はその秘書。彼らは忙しくて幼い私の相手なんてしてくれなかった。一緒に家族旅行に行った思い出なんて、私の中には残っていなかった。事実としてあったのかもしれないけど、思い出すことができなかった。つまり、その程度のものでしかなかったということだ。
欲しいものはお金を出せば手に入れることができた。ただ、本当に欲しいもの(・・・・・・・・)はお金なんかじゃ買えなかった。
小中高とエスカレーター式に進学校へ進んだが、私の父の立場からか、仲良しと呼べる子なんて殆どいなかった。いや、皆話しかけてはくるのだ。ただ、それはいわゆる強者に対するおべっかのようなもので、私は若いうちにそういう大人の醜いやり方を覚えてしまった人たちと関わることが嫌だった。友達という関係が、私は欲しかった。
大学も名門を受けさせられる予定だった。センター試験の勉強をしているうちに、私はプレッシャーを始めとしたストレスに悩まされ続けた。そして、センター試験当日に私はとんでもないミスを犯してしまったのだ。
得意科目の数学だった。他の科目よりは出来が良かった自信があった。しかし、いざ結果を見てみると二十三点。解答欄がひとつズレていたのだと私は考えた。単純で明快、そして奈落への一歩だった。
名門校への道は閉ざされた。結果を聞いた親からは呆れられ、私は見放された。かわりに、私の影に隠れて陽の目を見なかった妹が、今度は両親の期待の的となった。妹も妹で努力していて、学問もスポーツも優秀だったからだ。
私は妹には優しく接してきたつもりだ。しかし、妹はそれを優しさではなく、憐れみや情けだと受け取ったのだろう。私は常に妹から僻み、疎まれ、そして最後には罵られた。
実家からなるべく離れたかった私は、遠いところの大学を選び、一人暮らしを始めた。両親や妹、それに親戚や関係者の目から逃れるためだ。大学のレベルはそれほど高くはなかったが、私にとってはどうでも良いことだった。飼い殺しを決め込んだか、口座には毎月多額のお金が振り込まれるが、私に必要なのはお金ではなく生活能力だった。家事なんてお手伝いさんがやってくれていたし、料理だって家庭科の授業でやったことしかなかったから、何もかもが初めてで上手くいかなかった。ファーストフードやコンビニ弁当、外食店を転々と回ることが多かった。
大学でも私は孤独だった。講義は今まで溜め込んでいた知識と、少しの勉強心でなんとかなった。だが、誰と何を喋っていいのか分からなかった。話題についていけなかった。喋りかけてくれる子もいたが、誰ひとりとして信用できなかった。薄っぺらい笑顔をはりつかせてそっけない態度をとり続けた結果、今まで通り私は浮いた存在となってしまった。
そんな日々を送るうちに、元から干からびていたような私の心はついには死んでしまったのだと思う。生きる意味、幸せはなんなのかということを考えるようになって。でも見つからなくて。そもそも見つけ方を知らなかった。
そして行き詰まり、狂った私は海の断崖絶壁から飛び降り自殺をした。
一瞬の浮遊感と、目の前に迫る尖った岩肌。衝撃と激痛が同時に私に襲いかかり、五感が停止した。
気が付くと私は海辺に打ち上げられていた。自殺に失敗したのかと思っていたが、死ぬ間際に見た光景からして助かる見込みなどなかったはずだ。身体中には傷の代わりに海藻が絡みつき、潮臭かった。
これが私の「不死者」としての能力に気がつくきっかけだった。
数種類の死に方を試してみた。失血死、焼死、窒息死……どれも文字通り死ぬほど苦しかったし痛かった。そして死ぬたびに私はなぜか生き返るのだ。生き返る可能性を危惧してなるべく人目につかない場所で死んだのが功を奏した。誰しも人が死ぬ瞬間など見たくないだろうし、そして死んだ人間が生き返るという神か悪魔の力など目の当たりにしたくないだろう。また研究者に捕まりでもしたら、モルモットにされて苦痛をおそらく永久に受け続けることになりかねない。私は自殺しようという気すら失せた。死ぬような思いをしても死ねないのだ。ならば仕方なく生きるしかないと思った。
生きて日々を過ごす中で、私は自分の能力について調べ続け、どうして私にこの能力が宿ったのか考え続けた。再生するのは身体だけだが、どうやら衣服等も再生される場合があるようだ。焼死した時に、燃やすように着た服がそっくりそのまま無傷で残っていたのだから。一酸化炭素を使った窒息死の時は困った。気がつくたびに徐々に意識を失うのだ。自分の周りの環境を変える能力は持ち合わせてない事も分かった。だが、いくら考えても私にこの能力が宿った理由だけはわからなかった。
能力が発達したのかは分からないが、そのうち他人を見ているとその人がどれだけ死に近いのかが身体を覆うオーラで分かるようになってきた。死に近い人ほど纏うオーラは黒くなるということも、なんとなくわかった。なぜなら子供はオーラなど発せず、老人ほどオーラの色が濃いからだった。
そんな時に、若い歳で黒いオーラを纏っている青年を見つけ、気になって後をつけてみて、その子が自殺志願者であることを悟った。
オーラを見つめながら頭をよぎったのは、「もしかしたらこの人も私と同じ目に遭うのではないか」という恐ろしい繋がりができることであった。
私は「この青年を救ってあげたい」と思った。
声をかけてみて、話を聞くと、育った環境や受けた苦しみの種類は違えど、生きる意味や幸福について考えていたことだけは同じだった。
***
彼女は話終わると、一息ついてコップの水をあおった。彼女にしてはよく喋ったほうだと思う。
「……さて、目的についてだけど……自分でもよくわからなくなったわ」
「はい?」
俺は呆れ返った。
「見ず知らずの人間の自殺を止め、あまつさえ『生き甲斐を一緒に見つけましょう』とかどんだけお人好しなんですか」
「そうね……または自ら命を絶った事への罪滅ぼしみたいなことがしたかっただけかも」
そう言って自嘲気味に薄く笑う彼女に、俺は何を言うべきか戸惑った。
「でも俺は……案外悪くなかったです、よ。ただデートまがいのことをしただけですけど」
なんとか言葉を振り絞って口にした。単なる慰めの言葉だったが、豊福さんは優しく微笑むと、
「ありがとう」
と言った。今日で一番、感情がこもった表情だった。
***
食事のあと、俺たち二人は夜景が一望できる小高い丘の上に来た。七色……というと大げさだが、黄色と白色を中心として真夏の太陽に照らされる海のように、街の光が煌めいていた。正直食事の時の風景で俺は十分満足していたのだが、どうしてもという豊福さんの意向により俺も付き添わざるを得なかった。
「……時間みたいね」
豊福さんはそう呟いた。
「時間?」
俺は豊福さんを見た。夜景をバックに佇む彼女は幻想的だったが、その身体に背後の夜景がうっすらと映っているように見えた。夜景の光に混じって、彼女の身体からキラキラと光の粒が天へと登る。
「豊福さん、身体が……」
「少し前から妙な感覚があったわ。まるで自分が空に浮くような、そんな優しい感覚が、ね」
自分の透けてきた身体を見回し、俺に向き直る。
「どう? 生きる意味は見つかった?」
「見つかったって……そんなの、勝手すぎる」
俺は拳を握りしめた。
「勝手に現れて勝手に人の命を救うような真似して……それで最後は自分だけ満足して消えるってか? いい加減にしてくださいよ」
怒りがふつふつと湧き上がってくる。豊福さんに対しても、そして彼女と共にいられる時間が少ないことにも。
「最初は胡散臭いと思ったよ。でもな、あんたのその能力と言葉を信じて今日一日付いてきた。だけどな、結局は恋人ごっこみたいにしかならなかった。生きる意味? 本当の幸せ? 考えたところでそんなのが一日やそこらで見つかるはずないんだよ!」
「……」
豊福さんは黙っていた。曇りのない、透き通った瞳で俺を見つめていた。
「他者に幸せを求めるのなんて間違ってたんだよ……!」
俺はやり場のない怒りを込めて地面を蹴飛ばした。土が飛び散り、それは豊福さんの方にも飛んでいったが、彼女に当たることはなかった。
「なら、求めるところはひとつだけね」
彼女はそう言って、微笑んだ。
彼女の瞳と同じくらいに、彼女の身体が透明に近づいていく。
「え……ちょっと! 待ってくださいよ!」
手を伸ばし、彼女の手を握る。手はまだ透けていないのか、温かみが感じられた。
彼女は目を閉じる。
「そう……これが、そうなのね」
彼女は最後にポツリと呟くと、握った手の感覚も消え、光の粒は星の光に紛れるように、見えなくなった。
温かさの残滓が、じんわりと手に纏わりついていた。
***
「Be advised, hostile UAV is incoming」
ヘッドホンから流れるアナウンスを聞き、ゲーム内のキャラが空を見上げる。取り出した「スティンガー」と呼ばれる携帯式対空ミサイルの照準を、空を飛んでいる無人機に合わせる。ミサイルは弧を描きながら無人機へと向かい、それを粉々に爆散させ空の塵へと変える。
武器を持ち替え、走りだそうとしたところで目の前に敵が現れる。すかさずアサルトライフルを構えようとするが、コンマ数秒相手のほうが動作は早かったようで、間に合わず俺のキャラクターは撃ち殺され、試合が終了した。
「はあ……負けちまった」
ヘッドホンとコントローラーを静かに机の上に置くと、仕事に行く支度を始めた。
豊福さんが消えてから、数年。
後になって俺は、豊福さんの言っていた言葉の数々がなんとなく分かってきた気がした。単純に俺が心も身体も大人に近づいたせいもあるだろうが、ただ大人になるだけではこうはならなかっただろう。そもそも、大人になる前に、この命の灯火は消えていたはずだ。
生きる意味を見つけた……というわけではないが、少なくとも死のうと思うことはなくなった。どんなに辛いことがあっても、彼女の姿を思い浮かべるとなんだか乗り越えられそうな気がしたのだ。
あの後、連絡もなく外泊したこと(帰る電車が途中でなくなったのだ)と、口座から大金をおろしたことで両親にはこっぴどく怒られたが、それ以外は特にこれといって何もなかった。何かあったとしたら、それは俺の内面の方だろう。
足りない単位を足りない頭で補いつつギリギリで大学を卒業後、これまた足りない頭を使って在学中に取得した教員免許を方に背負い、俺はとある田舎の高校で理科教員の仕事に就いた。慣れないことも多いし、正直辛い事のほうが多い。ゲームで憂さ晴らしをしたりするのだが、そういうときに限って上手くいかないのだ。
「せんせーは付き合ってる人とかいないのー?」
放課後、複数人の女子生徒が質問をしに来た時、そんなことを訊かれた。
「いないよ。フリー。それがどうかしたのか?」
「えーっ! せんせーモテそうなのにー」
「そうそう、かっこいいしねー」
「ダメだよ、真白には黒羽君がいるじゃん」
「えっへへー」
「はあ……俺は生徒と問題を起こすつもりなんてないぞ?」
下手な発言をすると事なので真面目に答えつつ、俺は消えた豊福さんのことを思う。
不死者であった彼女。黒髪ストレートの美人。冷静で、感情の起伏が少なくて、それでいて透き通った瞳をした、優しい笑みの持ち主。
……もしかしたら、俺は彼女に恋でもしていたのかもしれない。
「馬鹿馬鹿しいか」
ボソリと1人で呟く。しまった、と思って咄嗟に周りを見渡したが、生徒たちは俺のつぶやきなどそっちのけで、甘酸っぱい青春を謳歌していることを口々に話している。
「ちょっとー、質問はいいのー? 先生が嫉妬に満ちた視線をむけてるよ」
「向けてねえよ。つかお前ら何しに来たんだ……」
一人の生徒の声で皆我に返る。おしゃべりをやめて、俺の方に向き直る。
「おっと、忘れてました! ここ教えて下さい!」
「電気分解の論述か。ここはどういうふうに考えるかだが――」
化学反応式を生徒のノートに書き込みながら、思い返す。
あの出来事はもしかしたら夢や妄想の類だったのかもしれない。彼女は元からこの世にはいないはずの存在で心残りがあって現世に縛り付けられていた、という設定で、そして俺は彼女に救われて想いを寄せ、その彼女は消えてしまう……といったようなストーリー。リアルな夢だったな、また見れると良いな、と起きがけに覚えているくらいの、強烈なやつだ。
恋だとか愛だとかを、取り憑かれたような妄想の対象に抱くのは、不気味だ。画面の向こうにいる可愛く描かれたキャラクターに恋なり愛情を抱いているというほうがまだ説得力がある気がする。
リアルかファンタジーか、それは分からないだろう。
でも、たったひとついえることがある。
それは。
不死者の手 (アンデッドマンズ・ハンド)は、今まで繋いだ誰の手よりも暖かかったということだ。
Fin
どうも、お久しぶりです。津雲です。
身の回りが忙しかったのと、自分の書きたいことが本当に書けているのかという疑念に囚われ、しばらく作品を投稿できてませんでした。申し訳ないです。「いきなり出だしで謝罪と言い訳かよ」ってかんじなのですが……あと感想とかも書いていただいているのにこちらから返信ができなかったり、返信したとしても「は? これいつ送ったやつだよ」って思われてしまうくらい遅く返信してます。これも非常に申し訳ないです。ただ、ちゃんと感想や良い点・悪い点は読んでいます。今後の作品に活かしていきたいと思っていますので、何卒ご理解の程を。
さて、今回の作品ですが……正直自分の伝えたかったこととか作品のテーマとかが読者の皆さんに伝わっているかどうか怪しいです。筆者も疑心暗鬼です。なので、伝わってないなーって思ったら遠慮なく感想等を送っていただけると幸いです。できれば改善点も添えて……。
きっかけはとあるFPSゲームをしていた際に、作品名と同じような名前の技が出てきて使えるな―ってことと、ラブコメ以外に何か真面目なものを書いてみたいなーってことからです。該当のゲームをプレイしたことある読者の皆様からしたら「ああ、あれね」と口角をうっすら上げるのではないでしょうか。……え? ゲームしてたから投稿のペースが遅いのではないかと? うーん……ノーコメントで(笑)
最後に、この作品を書くにあたって参考にさせていただいた某FPSゲームの金字塔シリーズに感謝を。そしてここまで読んでいただいた読者の方々に最大の謝辞を。次書くのもまた真面目な内容になると思います。でもギャグも書きたかったりして……お楽しみに。ではでは。