騎士団
5章 騎士団
バルアドス帝国が進軍を開始したという知らせが、王都ローウェンに届いた。進軍開始から2日後のことだ。その知らせに一部の家臣は慌てふためいたが、フェリシア女王の姿はどこにも見当たらなかった。
思慮に欠けた彼らは王都全域に捜索隊を出し、重臣達が気付いた時には女王不在が城下に知れ渡ってしまった。宰相のロバート・フォセットが、女王は病気療養中で不在は噂に過ぎないと布告したものの、城下の動揺は収まる気配を見せていなかった。
「やれやれ。宮廷魔術師殿に続いて、陛下もいなくなっちまうとはな。」
「無理矢理関係を引裂かれた恋人に会いに行ったんだ。そう言うな。」
ライナスの言葉にエドワードが応じるが、表情は硬い。
2日前の夜、女王の単騎での王都脱出に加担したのはアルバートだった。
通常であれば護衛無しなど考えられないのだが、マジックアイテムで身を固めた女王のいでたちに、アルバートも護衛不要と判断したのだ。馬もマジックアイテムで、名馬以上の速さで駆けることが出来る。普通の馬では護衛が足手まといになる。
その事実が今しがた、ユリアからエドワードに伝えられたのだ。
商人や旅人達により、バルアドスの軍勢が7万を超えると伝えられている。不自然に早いその情報は帝国の斥候が流布しているのだろうが、7万以上という兵力が正しいことは間違いなかった。
「……で、どうすんだ?」
ライナスがエドワードに問いかけたところで、シオンが戻ってきた。そのままエドワードの反応を伺う。
「東の国境線であるテウベ川まで、通常の進軍で5日。川の西岸一帯には湿地帯が広がっている。敵の先鋒より先に布陣できれば、向こうも全軍が揃うまで渡河はしないはずだ。それで数日は時間を稼げる。」
「女王陛下の命令もないのに、出陣するってのか?」
ライナスの言葉に、エドワードは答えなかった。この件で話すことは何もないという無言の返答だ。
シオンがわざとらしくため息をつく。
「そんなことを言いながら、銀十字の先鋒は既に出陣しているでしょう?」
「俺が指示した覚えはないんだけどな。」
シオンの指摘に、ライナスが肩をすくめる。銀十字騎士団は、各隊長が独自の判断で行動することもできるようになっている。今回はライナスの指示より先に各部隊長が動き出しているのだ。そして、隊長達の行動はライナスの思いと一致していた。
シオン自身もエドワードの命令を受けないまま、出陣を前提に行動している。
「先ほど、宰相閣下に出陣の挨拶をしてきました。越権行為に及ぶ気はないが、貴君らの判断を否定するつもりもない。とのことです。」
「あの狸親父……」
そう言いながらも、ライナスの口調は楽しそうだ。明らかに肯定的なつぶやきだった。
「後は、なる様にしかならねーか。」
既にライナスは歩き出していた。
ライナスは騎士団の隊舎へ向かいながら、思考を巡らす。
女王の一件にも、宰相が間違いなく関わっているはずだ。その上で淡々と出陣を容認した。全ては想定の範囲内で、自分達が宰相の手の内にあるのは間違いない。だが、お互いの認識が一致しているということでもある。背後を心配することなく、政治的な思惑に翻弄されることもなく、自由に動けるということだ。
銀十字騎士団の団長となって、改めてミレーナの体制に感謝していた。硬直した組織では、自分の居場所はないだろうと思う。まぁ、それならそれで、適当に生きていくだけなのだが。
「団長!」
隊舎の方から、ライナスの姿を見つけたマウロが声を掛けてきた。
「各隊の状況は?」
「ベイル隊長とハジェス隊長は、それぞれ十騎程の部下を連れて出陣しました。3番隊は全員出陣しています。」
「残りは?」
「まもなく装備を整えられるはずです。」
「よし。最速で前線まで到達し、リオンの丘の上に布陣。行軍はお前に任せる。」
「はい。団長は?」
「4番隊に指示を出して前線に向かう。」
「了解しました。」
マウロが隊舎の方へ走り去っていった。
ローウェンの街中に、何台も荷馬車が並んでいた。物資が次々と積み込まれている。
ライナスは馬から降りながら、褐色の美女に声を掛けた。4番隊隊長のサラだ。
「すまない。先行人員の装備の運搬も頼む。」
そう言いながら、ライナスが頭を下げる。
「まったく。あんたは命令してればいいんだよ、団長。」
「頼む。」
もう一度頭を下げると、ライナスはあっという間に東の城門の方へ消えていった。
その様子に、サラが苦笑する。
「変わらないねぇ、あの頃から。」
2年半前、ライナスとサラが出会ったのは、北方での戦争の最中。銀十字騎士団の副団長と、レオーネ騎士団の下で物資を輸送していた輸送部隊の隊長。その時はそんな関係だった。
−2年半前 北方戦線−
「副団長。アルバート様が早く決めろって言ってますけど?」
レインがライナスの陣幕に、アルバートからの指示を伝えに来ていた。
ライナスが銀十字騎士団の副団長になって1か月余り。今回の北方での戦争が落ち着いたら、古参の団員の多くが引退することになっている。その世代交代の準備の為に、ライナスが副団長に任命されたのだ。そして、銀十字騎士団の組織化を命じられている。隊長候補は、アレン・カニンガム、レイン、マウロ、ハジェス、ベイルの5人だ。
ライナス自身は、アレン・カニンガムが副団長になるものだと思っていた。アレンは子爵家の次男で、家柄も申し分ない。王都で毎年開催される剣術大会でも優勝したことがある。だが、当人に家督を継ぐ気は全く無く、交易や商売に興味があると公言している。
副団長候補に名前が挙がったとき、アルバートに補給部隊の隊長をやりたいと申し出て了承された。この時アレンは、ライナスを副団長に推薦している。
ライナスは東方部族の出身だ。東方部族とはミレーナが東方へ拡大する時にミレーナ国民となった人々、その後に東方から流入してきた人々の総称であり、ミレーナとは人種も文化も異なる。東方部族と呼ばれる人々も人種や文化は様々で、学術的に分類すれば数十の部族に分けることが出来るらしい。一部の貴族に彼らを差別する気配はあるが、ミレーナ国内では国民として平等に権利が認められている。
ライナスは王都で生まれ、祖父のイィマ・スィームルグから英雄譚を聞かされて育った。剣の腕を磨き、傭兵になろうとした頃、王都で事件が起こった。毎晩のように市民が襲われ、何人もの怪我人を出したのだ。怪我の状況から素人が剣を振り回しているだけということは分ったが、犯人は捕まらなかった。
ライナスは犯人を捕まえようと行動を開始。3日後には、あと一歩の所まで追い詰めた。だが、薔薇騎士団に先を越されてしまった。捕らえられたのは貴族の子弟で、王都の警備体制に一石を投じる結果となった。
この一件でライナスはアルバートに気に入られた。エドワードの側近となるように誘われ、今に至る。現在では側近というより、兄弟か悪友かというところだ。
アルバートに聖騎士の称号が授与されると、ローズガーデン家の私兵集団に銀十字騎士団という名称が与えられた。そして騎士団設立から7年。ライナスが初代副団長となった。
そのライナスは、慣れない作業で苦しんでいた。
銀十字騎士団の編成については、アルバートから3隊にするよう指示されている。騎士団の規模からすると妥当な指示だ。そして、輸送部隊はアレンが担当すると決まっている。
ライナスは1番隊隊長をレイン、マウロを副団長職の代行を想定して副官とするつもりでいる。
レインの実力は折り紙つきで、副団長候補にも名前が挙がっていたと聞いている。1番隊隊長として申し分ない。
マウロは5人の中で最も若く、端正な顔立ちで優しげな性格の金髪の少年だ。特に年上の女性から人気が高い。某伯爵家の子息だが、家督争いを嫌って家名を捨てたらしい。だからなのか、自分は戦災孤児で家族の名前は知らないと公言している。出自はともかく、剣の腕、知識、戦術眼を持ち合わせている稀有な存在だ。
ここまでは決定しているのだが、最後の一人が選べないのだ。
ハジェスとベイルは東方部族の出身だ。ハジェスは褐色の肌、ベイルはライナスと同じく、やや赤みがかった肌をしている。2人とも血気盛んで、若さから暴走気味になることがある。実力は互角で、お互いをライバルとして認め合っている。それだけにハジェスとベイルのどちらを2番隊の隊長にするのか決められないのだ。
「決められないんですか?」
レインの問いかけを受けて、不意に疑問が浮かんだ。
……レインを隊長にしておくことに妥当性はあるのか?
レインの実力は申し分ない。騎士としての理想像に近いとさえ思える。だが、薔薇騎士団と同じでは銀十字騎士団の存在意義がない。
かつて、レイフォールド公爵家がローズガーデン公爵家に変わったとき、当時の銀十字騎士団も薔薇騎士団へと変わり、その名は失われた。似たような騎士団が2つとなれば、いずれ銀十字騎士団は薔薇騎士団の一部隊となるか、解散させられるか……過去の例と同じく、消滅することになるだろう。
現在、アルバート将軍が両騎士団の団長を兼務している。普段は副団長に一任されているが、将軍あってこその銀十字騎士団だ。それならば……
「レイン・レイフォールド。」
レインから返事は返ってこない。
「レイン・レイフォールド。」
「……私……ですか?」
レインが戸惑ったような表情を見せる。孤児であるレインは、今まで姓を名乗ることがなかったのだ。
「団長から、レイフォールドの姓を名乗って良いと言われてるだろ?」
レインの反応を無視して、ライナスが続ける。
「レイン・レイフォールドを特務遊撃部隊隊長に任命する。俺の指揮権から独立して行動して良い。そして、何があっても団長をお守りしろ。」
「あの……」
「団長の傍に居ろって言ってるんだ。団長の傍に居るなら、レイフォールドを名乗った方が何かと便利だろ? 必要なら、何人か選別しろ。」
レインが頬を染めている。
「1番隊と2番隊はハジェスとベイル。実戦部隊は2人に競わせながら指揮させる。隊の番号は実績で入れ替えるようにする。3番隊は輸送部隊としてアレンに一任する。精鋭は3番隊に集める。マウロを副官兼副団長代理として俺の傍に置く。以上だ。団長へ報告を頼む。」
「あっ……はい!」
レインが普段見られない慌て様で陣幕を出て行った。
やれやれ……やっと決まった。そう一息ついた時だ。
何だ?
急に周囲が騒がしくなった。人が集まり始めているようだ。ライナスは剣を取ると陣幕を出る。そして、人だかりができている方へ向かう。
「何度でも言ってやる。貴様らなど居ても居なくても同じだと言ったのだ。」
耳障りに甲高い声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。レオーネ騎士団の小隊長の一人で、リスターとかいう姓だったような気がする。確か、小隊長になったばかりだったはずだ。そのリスターと対峙しているのは、褐色の肌の美女だ。サラという名だったと記憶している。
「何の騒ぎだ?」
ライナスがシオンを見つけて声を掛けた。
「あのバカが輸送部隊に絡んでいるだけですよ。予定より2日も前に到着したにもかかわらず役立たずと罵って、輸送部隊など要らないとほざいている最中です。」
シオンにしては珍しく、声に若干の怒気が混じっている。
「今回の輸送計画、かなり厳しかっただろ?」
「そうですね。」
「それを2日も短縮させたとなれば……」
シオンがライナスの顔を覗き込んだ。
「何を考えているんですか?」
「いや、あの輸送部隊を頂いちまおうってな。」
「大問題になりますよ?」
そう言いながらも、シオンに止める気配はない。
「俺の首1つで、何とかできるだろ?」
ライナスはタイミングを窺う。
「不要なものを不要だと言って、何が悪い!」
リスターがこの言葉を発するのは何度目だろうか。だが、今回は横槍が入った。
「では、要らないのであれば、当方が頂きましょう。」
ライナスの一言に、周囲が静まり返る。
「私は銀十字騎士団副団長のライナスと申します。先ほどから拝聴していましたが、そこまで輸送部隊が目障りなようでしたら、当方で引き取らせて頂きます。」
リスターの顔が怒りで真っ赤に染まる。
「物資を横取りしようというつもりか!」
「いいえ。リスター卿が不要だと仰った人員だけ頂きます。もちろん、物資の一切はリスター卿にお任せいたします。」
リスターが周囲を窺うが、みな視線を外してしまう。聖騎士直属、銀十字騎士の副団長と揉めたくないというのは、当然の反応だった。
「じゃあ、私達は銀十字騎士団所属ってことでいいのかな?」
サラがライナスに声を掛けた。
「現時刻をもって、銀十字騎士団に4番隊として編入する。」
ライナスの返答に、輸送部隊の人員が銀十字騎士団の陣へと移動を始めた。
「ちょっと待てぇ!」
リスターが甲高い声を上げる。
「何か問題でも?」
ライナスは表情も変えず、静かに応じる。
「後でどうなっても知らんぞ!」
「御自由に。」
程度の低い脅しを受け流し、ライナスはリスターに背を向けた。
銀十字騎士団が輸送部隊の人員を強奪した。その話で陣中は大騒ぎになっていた。
今回の作戦で物資輸送を担当しているのはレオーネ騎士団。ライナスが奪った輸送部隊は、レオーネ騎士団に所属しているわけではない。戦時に雇われる部隊ではあるが、実績を積み上げ、全軍から信頼されていることが話を大きくしていた。
レオーネ騎士団としても、作戦行動中に接収されたとなれば面子に関わってくる。
「さて、この件をどうしようか?」
集まった騎士団長達に、ロイド・マクレーンが切り出した。マクレーン将軍はアルバート・ローズガーデンと共に、王国の双璧と言われている。北方の前線にこだわり聖騎士の称号も断った人物で、この陣中の最高指揮官だ。
「……あの小隊長は捕縛し、王都へ送還した。後日、厳罰に処す。」
レオーネ騎士団の団長、ジョン・マイヤーは苦渋の表情でそれだけを言った。長年マクレーン将軍と共に北方の最前線で戦い続けてきたが、このような失態は初めてのことだ。小隊長の任命は各部隊長に任せていたが、自分に責任が無いとは思っていなかった。
「当方も、副団長を平の団員まで降格させよう。但し、あの輸送部隊は銀十字騎士団に所属させて貰う。」
アルバートの言葉に騎士団長達が顔を見合わせる。どう考えても処分が厳しすぎる。輸送部隊の代償に、副団長の首を差し出すということか。
「確かに……聖騎士の配下であれば、此度のようなことは起きないだろう。だが……」
「分っている。私物化するようなことはしない。」
アルバートの返答にロイドが頷く。
それで、この話は終わりだった。解散の言葉を受けて騎士団長達は陣幕を出て行く。
「ペテン師め。」
騎士団長達が居なくなるなり、ロイドが毒づく。
「お前は誤魔化せないと分ってるよ。」
アルバートが応じる。
「で、当人は納得しているのか?」
「あいつから降格を言い出したんだ。まぁ、少し自由にさせるのも悪くない。」
「余裕があるなら、俺のところによこせ。また鍛えてやる。」
「ライナスに伝えておくよ。それと、今回のは借りにしておく。マイヤーにも、よろしく言っておいてくれ。」
そう言い残して、アルバートは陣幕を出て行った。
「グレン。」
「はい。閣下。」
控えていた青年が応じた。グレン・マクレーン。将軍の息子だ。
「しばらく、アルバートの所で戦え。薔薇じゃなく、銀十字の方でな。」
「承知しました。」
「分っているとは思うが、騎士だけでは戦争は出来ん。戦の全てを理解するには時間が足りんが、概要を……いわば戦略の部分、それと場合によっては政略まで意識できれば、良き指揮官になれるだろう。」
「はい。」
「兵を愛しすぎると、そのことに煩わされるという。だが、人をモノとして扱えば、必ず報いを受ける。そのことを忘れるな。」
「はい。」
「銀十字の連中は、ほとんどが平民だ。騎士団でありながら騎士団では無い。あそこに居れば、今まで見えなかったものが見えるかもしれん。」
「閣下は、ずいぶんと銀十字騎士団を買われている様子……」
「やつらは何でもできるからな。同数で勝てる騎士団は、おそらく存在しないだろうよ。たとえ薔薇騎士団でさえもな。」
グレンは言葉を失う。
「今までの主力連中は、今回を最後に引退するらしい。となれば、これが最後の機会だ。薔薇騎士団を勝たせる為の騎士団。その本質、見極めてこい。」
「はっ!」
グレンがロイドに敬礼する。
「ああ、何人か連れてって構わんからな。」
グレンが頭を下げ、陣幕を出て行った。
「これが無駄にならなければ、貸しはチャラにしてやるよ。アルバート。」
銀十字騎士団による輸送部隊の接収。それから2年半。ロイド・マクレーンは未だ北方の前線に身を置いていた。アルバートのように引退する気は、まだ無かった。
ロイドにも、バルアドス帝国が動いた知らせは届いていた。
「さて、こっちも困ったことになったな。」
傍からは深刻そうには聞こえない口調でつぶやいていた。
村ひとつ、見捨てるか守り抜くのか……
その村がネリスであることが、撤退という選択肢を許してくれないのだ。かつてと同じ場所に再建されたネリスは、当時と違い戦略的に最も重要な拠点になっている。今はジョン・マイヤー麾下のレオーネ騎士団が守備に当たっている。
かつてミレーナと死闘を繰り広げたファルセティ王国は、既に滅んでいた。1年半前、春を待ってファルセティの大部隊がミレーナへ進軍を開始した直後だった。新興のヴァイセン王国がファルセティ王国に侵攻し、瞬く間に制圧。皮肉にも、精鋭が揃っていた城塞都市ペラムだけが最後まで残った。
そのペラムも1年前に陥落。実質的に崩壊していたファルセティ王国は、完全に滅亡した。
ヴァイセンの動きに対しては、ミレーナは静観の姿勢を崩さなかった。混乱に乗じて係争地域の街や村を制圧しても、ミレーナを仇敵と認識しているであろう住民への対応に苦慮することは明白だったからだ。難しい内政と、勢いに乗る新興勢力との対決を両立させるよりは、境界を明確にする方を選択したのだ。
ペラム制圧後のヴァイセン軍は、ミレーナが設定した境界を侵さないように様子見を続けている。だが、バルアドス帝国の動きにヴァイセンが呼応した場合、辛い戦いを強いられることになる。兵力にも限りがあるのだ。
ミレーナ側から見た場合、ネリスはペラムの正面に突出するように存在している。放棄してしまえば守備の負担は格段に軽減される。反面それは、攻勢に出るための拠点を失うことも意味している。
「閣下。私に策があります。」
ロイドに声を掛けたのは、5番隊隊長を務めるグレンだった。
「犠牲を出さずに、ペラムの街を制圧できると?」
「勝算はあります。バルアドスとの戦を控え、ヴァイセンとの交渉で優位に立てるかと。」
「……分かった。但し、両軍に犠牲を出すことは許さん。これは厳命だ。」
グレンは深々と頭を下げた。
「さて、困りましたね。まさか留守中に失陥するとは。」
斥候中のフレデリック配下の兵士が、街を逃げ出してきた住民からペラム陥落を伝えられたという。
早馬で届けられた知らせに対し、フレデリックが深刻そうな気配も見せずに言った。
「それなら、呼びつけた俺にも責任があるな。」
フレデリックの兄であり、王太子でもあるシグヴァルドがそれに応じる。
そこに、妹のエリザベートが入ってきた。
「お兄様! 何をのんきなことを!」
そう言いながら、手紙を差し出す。
「替わりに届けにきましたわ。」
伝令から強引に奪い取ったんだな。2人はそう思ったが口には出さなかった。
手紙は2通。1通はミレーナのロイド・マクレーンから。もう1通は、フレデリック配下のハンス・シューバルからだった。
シグヴァルドは目を通すと、読み終えるなりフレデリックへ渡す。
「何て書いてありますの?」
エリザベートが手を差し出す。
仕方ないとばかりに、フレデリックが手紙を渡した。
1通目の手紙の内容は不戦協定締結の打診。条件はミレーナが占領したペラムの街の返還。そして、ネリスの村を中心とする周辺地域の領有権がミレーナにあると認めることだった。
「どうだ? 私は応じた方が良いと思うが。」
「兄上に賛成です。今回は好機かと思いましたが、ここが落としどころでしょう。いっそ、平和条約でも締結した方が良いのではないでしょうか。」
エリザベートが意外そうな顔をした。
「バルアドス帝国の動きを利用するのではありませんの?」
「諦めたよ。」
フレデリックがあっさりと答える。
「隙があるなら、とっくに仕掛けていた。今回は、逆にこっちの隙をつかれた……いや、向こうの奇手が巧妙だったと言っておこうかな。」
「……実際、バルアドスの動き次第だが、この機に我々は仕掛けてみるつもりだった。ファルセティ戦を経験した我が軍は強い。これは驕りではなく事実だ。だが……今回のペラム陥落は士気にも影響するだろう。弱体化した軍では、犠牲も増えよう。」
「でも、それでも十分戦えますでしょう?」
シグヴァルドがエリザベートを見据える。その視線を受けて、エリザベートが身体をこわばらせた。
「いいかい、エリザベート。」
フレデリックが諭すように話し掛ける。
「十分戦えるじゃ駄目なんだ。戦争して勝つことに意味はない。重要なのは、何を得られるか、だよ。ペラムを占領してから1年、僕達とミレーナは戦っていない。睨み合いで両軍にも犠牲が出てない。ファルセティを滅ぼしたことで、区切りがついた感もあるしね。兵達の間にも、厭戦気分が漂っている。」
フレデリックがエリザベートを見つめる。
「緊張感がありながらも安定した今の状況。兵士達の命。その2つを天秤の片側に乗せ、どうすれば釣り合わせることができる?」
エリザベートは答えられない。
「エリザベート。誇りや面子なんて答えを返さなかったのは褒めてあげる。僕達に必要なのは、実利だけだよ。」
フレデリックがエリザベートに微笑む。
「今回のペラム制圧にしても、手紙を信じるのであれば犠牲者は出ていない。それだけのことをやってのけるだけの力がミレーナにはあるってことだよ。こちらの考えも読まれているみたいだし、そんな強敵と戦うのは遠慮したいね。」
フレデリックがエリザベートに差し出した2通目の手紙には、ペラム制圧の経緯が記されていた。
その日、ペラムに近隣の村々からワインと農作物が貢納された。秋の収穫祭にあわせての貢納だ。
フレデリックに留守を任されたハンス・シューバルは、慎重な男だった。数樽のワインを毒見をさせ、問題が無いと判断した上で、兵士達には蔵にあった普段飲んでいるワインを出したのだ。だが、そこに罠が仕掛けられていた。夜陰に紛れて侵入したグレン麾下の特殊部隊が、蔵のワイン樽に即効性の睡眠薬を仕込んでおいたのだ。ハンスの慎重さを計算しての作戦だ。
兵士達が昏倒していく中、混乱に乗じて部隊が行動を開始した。そして、兵士達が気付かぬ間にハンスを捕らえ、ハンスの命をちらつかせながら指揮官達を全員捕らえたのだ。
指揮官を失った状態でも、侵入者を殲滅させることは可能なはずだ。ハンスはその考えをすぐに打ち消した。兵士の多くが眠ってしまっている現状では、ミレーナ軍の本隊が動けばペラムは陥落する。
ペラムの防御は固く、城壁に囲まれた要塞といって良い構造になっている。しかし、要塞を機能させるには一定数以上の兵力が必ず必要になる。現在の兵力では守りきれない。このままミレーナに奪取されれば、間違いなく今後の脅威となる。その状況下で無駄に兵力を失うのは絶対に避けなければならなかった。
ヴァイセン−白の国。その名の通り、冬になれば領土の大半は雪に閉ざされてしまう。併合した旧ファルセティ領も同様だ。山脈が壁となり、雪が少ないミレーナとは対照的だ。その中で雪に閉ざされない領土最南端、ペラムの街の存在は非常に価値があるのだ。
不意をつかれ虜囚となったが、ハンスは優秀な男だった。あらゆる可能性を検討し、打開策を見出そうとしていた。しかし、現実はその暇を与えてはくれなかった。指揮官達は全員が南門で解放されたが、ハンスは荷馬車に乗せられ、そのまま街の外へと連れ出されてしまっていた。
「何故だ。ペラムの奪取が目的ではないのか?」
馬車に同乗している騎士に、ハンスが問いかける。
「もとより、実質的に支配する気はありませんから。一時的にでも占領したという事実で交渉材料には十分だというのが隊長の判断です。」
一定の距離を取ったところで馬車が止まり、ハンスは解放された。そのハンスに、重たい布袋が渡される。
「駄目にしたワインの代価だそうです。」
「律儀だな。」
ハンスは皮肉を込めてそう言った。
「ヴァイセンと敵対したくは無い。その意思表明と思っていただければ……」
「貴殿の名は?」
「グレン・マクレーンと申します。」
「なるほど。隊長自らお出ましだったとはな。」
ハンスが苦笑する。
「では、マクレーン卿。私が責任を感じて自殺すれば、関係は悪化させられるぞ。」
「あなたが無責任で思慮の浅い人物なら、それもあり得るでしょうね。」
「言ってくれる。……そちらが絶対に譲れないものは何だ?」
「この地にあっては、ネリス。」
「確か、聖騎士殿の奥方の故郷だったな。」
グレンの表情が一瞬こわばった。ハンスの一言が、ヴァイセンの諜報能力を示していたからだ。
偶然知っていただけか……それとも膨大な情報の一部なのか……
この一言だけでは判断できない。
ハンスが静かな笑みを見せる。
「フレデリック閣下には、私からも伝えておこう。」
「よしなに……」
ハンスが自ら馬車を操り、ペラムへと戻っていった。
それを見送ると、グレンはようやく一息ついた。
想定通りに事は進んだが、一歩間違えば破滅していた。次善の策は用意してあったが、ヴァイセン兵の練度は想像以上だった。眠らなかった兵士達は、指揮官不在でもミレーナと十分戦えたはずなのだ。ヴァイセンの強さは兵士達の高い意識にある。その現状を目の当たりにして、見積りが甘かったと何度も危機感を抱いていた。
作戦が成功したのは、兵士達が抱くハンスや指揮官達への敬愛の念によるものだと思う。だから捕らわれの指揮官達を前にして、兵士達は動かなかったのだ。そうでなければ、殲滅されていたかもしれない。
二度目は絶対無理だろうな……
それが、グレンの偽らざる本心だった。
収穫祭から2日後、ヴァイセン王太子シグヴァルド・ラウタヴァーラからロイド・マクレーンへ不戦協定受諾の書簡が届けられた。正式な平和条約締結についての打診も含まれている。
ミレーナ王国にとって、初めて北方の脅威が無くなった瞬間だった。戦争で領土を拡大し続けた宿命で、今までは隣接する大国との良好な関係など望めなかったのだ。
「ヴァイセンには、感謝しなくてはならないかな。」
ヴァイセンという新興国が、期せずして負の連鎖を断ち切ってくれた。
冬の気配を帯びはじめた風を受けながら、ロイドが南東の空を見つめる。
「後は東だけだぞ。聖騎士の息子たちよ。」
その声は、どこまでも高く澄み渡った空へと消えていった。