レティシア・アルナーク
「マスター。また変な人たちがうろついていますよ。」
「放っとけばいい。」
数日前から遺跡の周辺に傭兵の姿が見られるようになってきていた。セシルとアリエルが気にしていたが、アーネスは平然としていた。遺跡の中に侵入してきたら、その時は容赦しないつもりではあったが。
普段は遺跡の奥にこもっているアーネスにとって、外のことなど気にすることではなかった。そもそも、居住空間への入口を突破できるはずはないと思っているからだ。
「陛下が雇った傭兵ですね。指揮しているのは、レティシア姉さまのようです。」
奥から出てきたアリエルがアーネスに手紙を差し出す。アルバート将軍からの手紙だった。
アリエルの左手に鳥が一羽とまっている。アルバート将軍に依頼されてアーネスが創ったマジックアイテムだ。アーネス自身はマジックバードとか、単に“鳥”と呼んでいる。空を飛んで手紙を運ぶだけの機能しかないが、戦場では大いに役に立ったらしい。だが、名前をもう少し……と、アルバートから言われたことがある。
遺跡には上に上がる階段があり、外に出られるようになっている。街道からの出入口は閉ざしているから、そこから入ってきたようだ。
「アルバート将軍がレインと再婚……押し倒して子種をもらえって……色々書いてあるな。」
「……レティシア姉さまのことは気にならないの?」
「少なくとも、女王とレティシアが対立する線は消えた。その意味ではレティシアに直接的な危害が加わることはない。国としても、内政面の問題は起きないだろう。それに……」
「それに?」
「レティシアなら、傭兵をここに突入させるようなことはしない。無駄だと分かっているからな。そのうち、直接乗り込んでくる。」
「ご明察です。さすがは師匠といったところですね。」
遺跡の奥から、レティシアがゆっくりと歩いてくる。
「えっ?」
アリエルが驚いて振り返る。
「テラスのセキュリティが甘すぎますよ。だからこうして、簡単に侵入されてしまう。」
遺跡の上のテラスはそれなりの広さの空間だが、周囲は崖か岩の壁になっている。普通の人間が入り込める入口ではない。しかも結界を展開してあるのだが、レティシアには通用しなかったようだ。
「レティシア。今のお前は俺の敵か? 味方か?」
「さぁ? どうでしょう?」
レティシアが静かな笑みを浮かべる。
妖艶。
それが適切な表現だと、アーネスは思った。
レティシアが白銀のワンドを構える。それはアーネスがレティシアの為に創ったものだ。
「この杖より使い勝手が良いもの、見つからないんですよ。」
そう言いながら、先端をアーネスの方に向ける。
「魔力の封印は解除させませんよ。……女王陛下の御命令です。このまま、王都まで同行してもらいます。」
やはりこのタイミングを狙っていたのか……
封印を解除しなかったのは正解だったと、アーネスは思う。
「やれやれ。もう少し穏便なやり方はないのか?」
「招待しても、来てはいただけないでしょう?」
「そんなことは無かったんだけどな。セシルをお前に会わせようと思っていたからな。」
「私を追い出しておいて……」
一段低くなったレティシアの声に、怒りの色が混じる。
追い出した? アーネスは疑問に思ったが、それには触れなかった。
「可愛らしい子の方が、師匠の好みだったんですね。」
「弟子に手を出す気は無いと、いつも言っていたはずだが?」
挑発? それとも本気か? アーネスはレティシアの意図を読みきれないでいた。
「私が卒業した時、もう弟子をとる気は無いと仰ってましたよね?」
「その通りだが、強引に居座られてしまってな。セシルは料理が上手なんで重宝している。」
「私より、ですか?」
「料理の腕は、セシルの方が上だな。」
レティシアの顔から、表情が消えた。
「……無駄なおしゃべりはここまでにしましょう。私の指示に、従っていただけますね?」
言葉遣いは丁寧だが、事実上の命令だ。
「俺を倒せたら、な。俺が負けたらレティシアに従おう。その代わり、俺が勝ったら言うことを聞いてもらうぞ。」
アーネスがレティシアの方に歩いていく。レティシアもアーネスの意図を察したのか、奥の方へ歩き始める。
「セシル。アリエル。今から修行部屋でレティシアと戦うが、お前達は絶対に部屋に入るな。入口から中の様子を窺うのは構わないが、な。」
「にいさま……」
アリエルが不安そうにしている。レティシアはアーネスの味方だと信じていたからだろう。
レティシアは振り返りもせず、修行部屋に入っていく。アーネスもそれに続き、入口に追加の結界を施した。外部からの侵入を防ぐ為の結界だ。
「よろしいのですか? 弟子の助けはなくなりますよ?」
アーネスは答えなかった。
「……いきます。」
次の瞬間、アーネスを中心とする5メートル四方が炎に包まれた。アーネスは高速移動で回避する。
「次は回避できませんよ?」
レティシアが次の魔法を発動させた。レティシアの周囲を除いて、部屋の全域が炎に包まれる。立て続けに魔法が発動し、部屋全体に次々と爆発が起きる。
「なんて雑な攻撃だ。」
フィールドを展開して攻撃を防ぎながら、アーネスは毒づいた。
このやり方はレティシアらしくない。それがアーネスが抱いた感想だった。魔力の差という優位性にのみ頼り、力任せに攻撃する。一撃必殺は確かに理想かもしれないが、それは力量差がある場合の話だ。現にアーネスはダメージを最小限に抑えている。
何がレティシアにそうさせている? アーネスは思考を巡らす。
「はぁ……はぁ……」
大規模な魔法を連続して発動させ、既にレティシアは肩で息をしていた。本来ならここまで消耗するはずはない。相当無理な魔法構築を繰り返した反動だ。
「雑な攻撃だな。お前らしくない。これではつまらないな。」
「つまらない? 防いでいるだけで、どうやって勝つつもりです?」
「こうやって勝つのさ。」
そう言いながら、アーネスが一振りの剣を出現させた。魔力を集中させて擬似的に物質化した剣だ。
レティシアが様子見とばかりに火球をアーネスに放つ。だが、アーネスは剣を構えたまま動かない。そして、火球は剣に吸い込まれてしまった。
剣の輝きが僅かに増したように見える。
「フレイムドラゴン!」
5本の火柱が出現し、竜のように同時にアーネスに襲い掛かる。だが、その全てがアーネスに届く前に消滅する。
「ブリザード!」
炎が通用しないなら氷。思考が止まっているとアーネスは思った。吹雪がアーネスを取り囲むが、アーネスの周囲だけ吹雪が消えてしまう。氷の刃もフィールドに阻まれ、次々と砕けては消えていく。
立て続けの攻撃で魔力を吸収し、剣がまばゆいほどの輝きを放っていた。防御用のフィールドと同時に魔力を吸収するフィールドを展開し、魔力の全てを剣に集約しているのだ。
「攻撃が単調だな。俺の剣が魔力を吸収していると気付いているはずだ。」
レティシアは反応しない。
そういえば、以前にもこんなことがあったような気がする。そう。あれはレティシアの修行時代だ。
……拗ねているだけか?
「セシルに嫉妬しているのか?」
「くっ……」
レティシアの表情が、一瞬歪む。
「大国の宮廷魔術師殿が嫉妬に狂ったのか?」
アーネスが挑発するように言葉を続ける。
「…………っっ!」
レティシアの肩が小刻みに震えている。
「そんなに俺を独占したかったのか? 俺をセシルに奪われて悔しいのか?」
「聞きたくない!」
レティシアが再び杖を構える。その瞳には涙が浮かんでいる。
「聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくないっっっ!」
レティシアが無防備の大きな動作で魔法の構築を始める。
「アンチマジック。」
アーネスが部屋全域に展開したフィールドで、レティシアの魔法が未完成のまま消滅する。そして、アーネスがゆっくりと近づいていく。その手には魔力で創り出した剣が握られたままだ。剣の輝きは次第に薄れていくが、まだ形を保っている。
レティシアを打ち負かすには、一度心を折るしかない。
アーネスは剣を振り抜いた。
キィンッ!
透明な金属音と共に、切り裂かれたワンドが宙を舞った。
「あっ……」
その瞬間、レティシアから殺気が消える。そして、糸が切れた操り人形のように床に座り込んだ。
レティシアの手から半分になったワンドを取り上げると、アーネスは部屋の入口の結界を解いた。
「セシル。」
「はいです。」
アーネスに呼ばれてセシルが入ってくる。
「レティシアを部屋まで連れてってくれ。」
「分かりました……あの、マスター?」
「ん? なんだ?」
「どうしてマスターの剣は、消えなかったんですか?」
「密度の差だ。アンチマジックは魔法力を強制的に拡散させるフィールドだ。だから、魔法の効果も消えるわけだ。しかし、高密度に圧縮された魔力であれば、しばらくは維持できる。そういうことだ。」
「なるほどです。」
「私も手伝うわ。」
アリエルも入ってきた。
「すまない。助かる。」
2人に抱き起こされ、レティシアは力なく歩き出す。
やりすぎたか?
レティシアを見送りながら、アーネスは心の中で呟いていた。
「……ねぇ……セシル……」
「はい?」
ベッドに座っているレティシアが、疲れきった表情でセシルに話しかける。
「セシルは、卒業したらどうするの?」
「ここに残って修行を続けます。」
「えっ?」
レティシアが不意をつかれたような表情を見せる。
「えっと……ですね、卒業したからって、出て行かなくてはいけないってわけじゃ、ありませんよね? マスターに聞いたら、研究の邪魔をしないなら居てもいいって言われました。」
「あ……」
レティシアの顔が真っ赤になっている。
「それにですね、卒業したら元弟子ですから、マスターに手をだしてもらえるかもしれません。ようやくレティシアさんやアリエルさんと同じ位置に立てます。」
レティシアがセシルを抱きしめた。気恥ずかしくて、今の顔をセシルに見られたくなかったのだ。
レティシアは卒業したら出て行かなくてはいけないと勝手に思い込んでいた。師匠に関することだけは、何故か思考が止まってしまう。
「ねぇ……」
「はい?」
「師匠、怒ってないかな? 私、師匠に嫌われたんじゃないかな?」
怒りの根拠を失ってしまい、レティシアが弱気になる。
「大丈夫ですよ。マスターはそんなに偏狭じゃありませんよ。」
「だって……杖だって壊されちゃったし……」
「マスターはレティシアさんのこと、いつもすっごく褒めてますよ。」
「嘘……」
「ほんとですよぉ。確か、容姿端麗、眉目秀麗、頭脳明晰、性格も申し分ない、才色兼備の超美人って言ってましたし、戦術では自分より上だって言ってましたよ。」
「ああっ……」
レティシアの顔が喜びで満たされている。まさに恋する乙女と言った感じだ。
「それに、胸もこんなに大きいし、スタイル良いじゃないですか。うらやましいです。」
そう言って、セシルがレティシアの胸に顔を埋める。
「やん。セシルだって可愛いじゃない。胸だってちょうど良いサイズでしょ。」
「……私はぺっちゃんこなんですけどぉ……」
タイミング悪く戻ってきたアリエルが落ち込んでしまった。
「師匠の好みってどっちなのかな?」
「ん~……この間、私のバスタオル姿を見た時は焦ってましたけど。弟子に手を出す気は無いって……ひはい!いたひですぅ~!」
セシルのほっぺたを、レティシアが両手でつまんで引っ張っていた。
「ダメでしょう。弟子がそういうことしちゃ。私だってやらなかったのに……」
レティシアの声が、ちょっと怒っていた。
「ふはほうりょふれふよ~!」
「不可抗力ですよ?」
セシルが首を縦に振る。
「……セシルのほっぺって結構伸びるのね。柔らかくて気持ちいいわ。肌もすべすべだし。」
ようやくレティシアがセシルを解放する。
「ところで、アリエルは何でここにいるの?」
「何でって、にいさまの子種を貰いにきたんですよ。ついでに、陛下の動静に注意するようにって手紙を持ってきました。」
「……逆です。」
セシルが静かに指摘する。
女同士の戦いの火蓋は、既に切られているようだ。
「アリエル。子種をを貰いにきたって言ったけど、師匠の愛人で良いの?」
「とりあえず愛人でいいんですけど。」
「じゃ、私が正妻ってことでいいわね。大丈夫よ。たまには貸してあげるから。」
「ひっど~い! そんなこと言いながら姉さまが独占する気でしょ!」
「あう~……早く卒業したいです……」
「なによ! セシルが一番若いし、有利じゃない! にいさまに手取り足取り腰取り……」
アリエルの発言に、レティシアが敏感に反応する。
「セ・シ・ル・ちゃ~ん。そ~んなことまでしてもらってるんだ?」
「嘘! 嘘ですよぉ! レティシアさん、怖いですぅ……」
レティシアがアリエルの方を向く。
「アリエルちゃんもぉ、嘘ついちゃ、ダ・メ・で・しょう?」
表情は笑っているが、相当怖い。
「そうですよ! アリエルさんの方が手取り足取り腰取りって状態だったじゃないですか!」
ピキーン!
空気が張りつめるような音がした。セシルはそう感じた。
「どういうこと?」
セシルがレティシアのプレッシャーに押される。
「マスターって、剣の腕もあるじゃないですか。2日前、アリエルさんに教えるときに後ろにピッタリくっついて、ホントに手取り足取りって状態で教えてたんですよぉ。」
「いいわねぇ……アリエルだけ、そんな良い思いしてたんだぁ……」
「3年ぶりなんだから! それぐらい良いじゃない!」
あ、キレた。セシルはそう思った。
「そういえば、そうね。」
「ふぇ?」
急に、意外なほどあっさり肯定されて、アリエルが戸惑う。
「1年でもこんなに苦しいんだもん。3年はもっと苦しいよね?」
レティシアは悲劇のヒロイン状態になって自己陶酔している。
「姉さま……それはそうと、にいさまに許してもらえそうなんですか? もしかしたら破門とか?」
「あっ……」
不意の反撃に、今度はレティシアが固まってしまう。
「いぢめちゃダメですよぉ。」
セシルが苦笑する。
「やれやれ。ずいぶん盛り上がってるな。」
アーネスが部屋に入ってきた。
「師匠……」
レティシアは横を向いてしまった。どういう顔でアーネスに接したら良いか、分からなくなっていたからだ。そんなレティシアにアーネスがワンドを差し出した。見た目は以前のものと全く同じだ。
「えっ……」
レティシアがワンドとアーネスの顔を交互に見る。
「修復したついでに、改良しておいた。」
レティシアがアーネスに抱きついた。
「ごめん、なさい……」
「ん……」
アーネスがレティシアを抱きしめる。
「にゃん♪」
「ところで……」
「甘えさせてくれないんですか?」
アーネスの言葉を遮り、レティシアが上目遣いで抗議する。
「食事当番。」
「はい?」
「負けたら言うこと聞く約束だろ? よろしく。」
「それで良いんですか? 私の身体、求めてくれないんですか?」
「それじゃ罰ゲームにならんだろ。それから、洗いざらい話してもらうからな。」
「……もしかして……師匠、同性愛者になっちゃたんですか?」
「なってない。」
「まだ引きずってるんですか?」
言った瞬間、レティシアは、しまった! と思った。
ズーン・・・
今度はアーネスが固まってしまった。
「……じゃあ、食事の支度しますね。」
レティシアが逃げるように部屋を出て行く。
「マスター? マスター?」
「にいさま?」
アーネスは2人の呼びかけには答えず、生ける屍のようにふらふらと姿を消した。
「姉さま。にいさまは何を引きずってるんですか?」
レティシアは首を横に振った。
「私からは言えないなぁ。師匠に聞きなさい。」
スープの味見をしながら、最後の仕上げをする。
「ん、いい感じ。」
「失恋、ですか?」
アリエルが食い下がる。
「そんなに気になるのか?」
「わっ! にいさま!」
「ま、隠すような話でもないけどな。」
そう言いながら、アーネスが席に座る。レティシアが鍋をテーブルに置き、アーネスの隣に座った。セシルとアリエルも、いつもの席に座る。
ある程度食べた所で、アーネスが口を開いた。
「昔、俺にも結婚を約束した相手が居たんだけどな。数日街を離れて、戻ったら最初から居なかったかのように姿を消していた。同棲していたわけじゃないから金品を盗まれたとかはなかったんだが、結構ショックだった。まぁ、貴族の御令嬢か何かで連れ戻されたんじゃないかって思っているけど、最後に会えなかったのが心残りだな。」
「じゃあ、その人に操を立ててるんですか?」
アリエルが問いかける。
「もう5年も前の話だ。そういうつもりはなくなっている。遺跡にこもってるから、女性との出会いがないってことだな。」
「にいさま! 私達じゃダメなんですか?」
「いや、自分の教え子には気分的に手を出しづらいというか……」
「私、待ってますから。」
レティシアが、さらっと言ってのける。表情ひとつ変えず、食事を続けていた。
「私も! レティシアさんみたいな美人になってみせますから!」
「それは無理。」
レティシアが、再びさらっと言ってのける。
「なんでですかぁ?」
「だって、セシルは可愛い系だもの。それで私みたいになったら、アンバランスでしょ?それに、ハーレムを作るときは違うタイプの女性を集めるものよ。だからセシルはそのままでいいの。」
「はうぅ。」
ハーレムを想像したのか、セシルとアリエルが頬を染めている。それに対してレティシアは相変わらずだった。事実を語っているとばかりに、淡々としている。
「ところで……」
「何です?」
「なんで俺が襲撃されなきゃいけないんだ?」
「さぁ? 私は陛下の指示に従っただけですから。知り合いじゃないんですか? もしかして、師匠の元婚約者とか。」
「それなら手紙一通で十分だろ?」
「そうですね。なら、知らないところで恨みを買ってるんじゃないんですか?」
「レティみたいに逆恨みとか?」
レティシアが驚いたような表情を見せた。
「……今……なんて言いました?」
「逆恨みか?」
「その前です。」
「……レティって呼んだとこか?」
「にゃ~んっっ♪」
レティシアがアーネスに抱きついた。普段とのあまりの落差に、アリエルとセシルが固まっている。
「……気にするな。甘えるときに猫化するのは昔からだ。」
「ふにゃあっ……」
「ずるいですぅ。1人でマスターに甘えるなんてぇ。」
セシルが不満そうな声を上げた。
「ところで、姉さま。今後はどうするつもりなんですか? このまま、にいさまに甘えてるんですか?」
「それもいいけど、そうもいかないのよね。そもそも師匠が許してくれそうにないし。邪魔に思われたら、嫌われちゃうじゃない?」
レティシアが抱きついたまま、上目遣いにアーネスを見る。
「レティは状況をどう分析する?」
「そろそろ、ヴェイルードの方が騒がしくなりそうですね。ジェナス王が健在なら問題はないでしょうけど、城内で意見の対立が表面化する頃です。」
「そうだな。」
…………
「あの……レティシアさん。説明してもらえますか?」
セシルが沈黙を破るように、レティシアに声をかけた。
「そうね。もしあなたがヴェイルードの家臣だったとして、偽装した傭兵を自国内に送り込んでいるミレーナ王国に対して、どういう対応を取ればいい?」
「様子見するか、傭兵を追い払うか……根拠がなければ抗議できませんし……難しいです。」
「もしジェナス王が健在なら、傭兵の排除を選択するわね。まず、ミレーナ王国に親書を送り、敵意が無いことを明確にしながら、山賊が出没しているという理由で街道に騎士団を展開する。そうなったら、私も傭兵を撤収するしかなくなるわ。傭兵が捕まったら、色々とまずいことになるからね。」
セシルは興味深そうに聞き入っている。
「でも、ジェナス王は病床にあるでしょ? 重臣達は、ジェナス王亡き後の政治を考えないといけないから困ってるのよ。」
「同じ対応じゃいけないんですか?」
「ヴェイルードが隣接しているのは、東のミレーナと、北と西にレイベック王国。南西に都市国家のガルドー。そして、ミレーナ以外は常にヴェイルードを攻めようとしている。だとしたら、国王不在の混乱した状況下で、ミレーナの機嫌を損ねるようなことはしたくないと考える人も出てくるわ。」
「じゃあ、様子見ですか?」
「足元を見られないようにしながら、ご機嫌取りって選択肢もあるわね。」
「ご機嫌取り……って、どうするんですか?」
「例えば、ジェナス王亡き後の降伏の密約。自治権のある公国として併合されることを申し出るとか。王城にある魔法王国の遺産のいくつかをつければ、ミレーナは絶対に断らないでしょうね。元々は同じ王国だし、遺恨なんかもとっくの昔に解消されちゃったし。」
ミレーナ王家は魔法王国を統治したフェリーナ王家の血筋を引いている。ヴェイルードは重臣の血筋だ。魔法王国に崩壊の兆しが見え始めた頃、ヴェイルード一族が叛乱を起こし、王族を追放したのだ。追放された王族は苦労の末にミレーナ王国を建国し、今では大陸でも有数の国家になっている。
一方、王族を追放した後の魔法王国は混乱の極みといった状態になった。
ヴェイルードの叛乱は悪政の是正が目的であったのだが、国王追放後に重臣の間で権力争いが勃発。混乱を収束することができないまま、地方の離反を招いてしまった。そして、空前の繁栄をみせた魔法王国は難攻不落の首都のみとなってしまい、終焉を迎えた。
権力争いに勝ったヴェイルードはヴェイルード王国の建国を宣言し、今に至る。
両国とも建国から既に二百年以上の歴史がある。その過程で和解し、比較的良好な関係を築いているのだ。ヴェイルードが降伏する気になれば、障害はなにもない。
ただ、ここ数代のヴェイルード王は自国民の幸せに重点を置いた政治を行なってきている。天険の地に拠った専守防衛。それを貫いてきた。
ミレーナに併合されれば、自国民を戦地に送る可能性がある。それが今のヴェイルードが独立を維持する理由だった。
「後は、領土の一部割譲なんてのもあるわ。」
「割譲?」
「そうよ。フェリシア女王が師匠を欲しがるのであれば、遺跡を含む僅かな領土を譲渡してしまえばいいの。もしくは、お互いに不都合がないように国境線を引きなおすとか。そうすれば、後はミレーナの国内問題になるわ。」
「どちらもジェナス王が王位にある間は無理な方法だけどな。最終的な決定権は、国王にしかないからな。」
「あれ? そうなんですか?」
レティシアがちょっと驚いたようだ。国王の権力がそこまで強いとは思っていなかったのだろう。
「そうか。レティでさえも知らなかったのか。しまったな。」
「大丈夫ですよ。もう、師匠と敵対したくありませんから。」
「ところで、ミレーナの方をどうする? レティにも立場があるだろ。俺に捕らえられていることにしていいのか?」
「その方が良いでしょうね。私が捕まったらしいって報告は、陛下に伝わるはずですから。」
「じゃあ、レティ。女王に会見を申し込む手紙を書いてくれ。俺のと一緒に送るから。」
「文面は?」
「任せる。一応確認するけど、適当に書いてくれ。」
「分かりました。」
「……で、いつまで抱きついているんだ?」
レティシアは満足そうな表情で、ようやくアーネスから離れた。