ローズガーデン
ミレーナ王国の首都、ローウェン。王城から程近いところにローズガーデン公爵の邸宅はあった。その屋敷の中を、黒髪の美女が歩いている。きめ細やかな肌は透き通るほどに白い。ドレスに身を包み、見た感じは貴族の令嬢といった様子だ。
当主の執務室の扉をノックすると、返事を待たずに室内へと入っていく。
「閣下。レイン・レイフォールド、参りました。」
「うむ。」
当主のアルバートが応じる。聖騎士の称号を与えられ、常勝不敗の名将として市民から敬愛されている人物だ。風格があり、騎士の理想像と言っても過言ではない。逆に言えば、ローズガーデンという家名の方が合っていなかった。
元々はレイフォールド公爵家だったのだが、5代前の当主・エルネストが薔薇好きで家名を変えてしまったのだ。現当主のアルバートも、家名のことは気にしていなかった。
「報告いたします。やはり陛下は密かに傭兵を集めている様子。噂通り、隣国の魔導師を攻めるつもりなのは間違いないかと。」
「そうか……」
アルバートは重いため息をついた。
「やはりご息女を……アリエル様を呼び戻されたほうがよろしいのでは?」
「いや、こういう事態に備えてあれを遣ったのだ。表向きは武者修行ということにしているが、行き先を知る者はほんの僅かだ。ミレーナの正規軍が相手でなければ問題は起きんよ。」
「国境の向こう側である以上、その可能性はほぼ無いということですね。」
「陛下がヴェイルードを攻めない限り、だがな。」
ミレーナ王国は大陸でも有数の国家だ。それに比べれば、隣国のヴェイルードは小国に過ぎない。動員可能な兵数だけで比較するなら、雲泥の差があるのは事実だ。
周辺国との軍事バランスを考えるとミレーナがヴェイルードに侵攻する理由は無い。得るものより失うものが多く、どう考えても割に合わないからだ。だが、国王が愚行に及んだ例は歴史上にあふれている。賢者が愚者に変わってしまう可能性が無いとは、誰にも断言できないのだ。
「ところで、閣下……」
「なんだ?」
「なぜ私がドレスを着なくてはいけなかったのですか? 報告に来ただけなのですが……」
「似合ってるぞ。」
「あの……褒めていただけるのは嬉しいのですが……その……照れます……」
レインは顔を真っ赤にしている。
「まぁ、ドレスを着せたのは私の趣味だ。」
「趣味……ですか?」
「それは置いておいて、とにかく無茶はするな。レティシア殿は頭も切れるし、魔法の腕も超一流だ。情報を得られないのは恥でも何でもないぞ。」
「はい。」
レインも真顔に戻っている。
「ですが、自分の師を攻めるのに協力するものなのでしょうか?」
「我々が知らない何かがあるのかも知れないな。ところで……」
「はい?」
「次の報告の時に、着てみたい服はあるか?」
「閣下? そろそろ怒りますよ?」
「ダメなのか?」
「ダメじゃありませんけど……」
「むぅ……」
アルバートが拗ねたような表情を見せた。
「その……私のお願いを聞いていただけるのでしたら……」
レインが赤面しながら小さくつぶやく。
「私に出来ることであれば構わないが。というか、今でもいいぞ。」
「その……心の準備が……」
「心の準備?」
「いえ! 何でもありません! 失礼します!」
レインは脱兎のごとく部屋を出て行ってしまった。
次の報告とは言ったが、報告に値する情報を得られるまでレインが報告に来ることはない。何も無い場合は当たり障りのない挨拶程度の手紙を送ってくる。当然、暗号などは含んでいないものだ。挨拶状であれば情報なし。それが取り決めだからだ。
「今度は随分先になりそうだな。」
アルバートは深いため息をついた。
「私ったら、何を言ってたの……」
レインは顔を真っ赤にしていた。
衣裳部屋に戻ったレインは、ローズガーデン家のメイド達に手伝ってもらいながらドレスを脱いでいく。それにつれて引き締まった肉体が露わになる。鍛え抜かれ、芸術的なほどの美しさだ。レインがドレスを脱ぎ終わると、メイドたちは退室していった。
レイン・レイフォールド。王国内でその名は、聖騎士の左腕として知られている。
アルバート将軍の麾下には2つの騎士団がある。ひとつは従来から指揮していた薔薇騎士団。もうひとつは、聖騎士に叙された時に設立された、銀十字騎士団だ。
2つの騎士団は補完関係にあり、銀十字騎士団は遊撃部隊の性格を帯びている。諜報や機動性が必要な事例など、騎士団が不慣れな任務を担当している。その銀十字騎士団の事実上のトップは、副団長のレインだった。
要所を補強してある軽装の鎧を身につけ、その上から騎士団の上衣を纏う。普段の服装に戻ったからか、レインが落ち着きを取り戻す。
「アルバート様。行ってまいります。」
レインは小さくつぶやくと、屋敷を後にした。
王城に入るなり、レインは貴族の子弟5人に行く手をふさがれた。先日、アルバート将軍に対する暴言を吐き、自分が叩きのめした奴等だ。
「これはこれは、ご機嫌麗しく……」
「なんとかにも衣装というやつですかな。とても捨て子だったとは思えませぬなぁ。」
いやらしい声音でレインに語りかける。
レインは孤児ではあったが、捨て子ではない。18年ほど前、北方のファルセティ王国との戦争で、ネリスという小さな村が消滅した。戦略的にも価値のない寒村だったが、膠着状態を打破しようとした敵の大部隊の攻撃を受けたのだ。
両軍の陣の間に存在する村々の多くは中立を宣言していたが、ファルセティ王国はそれを許さなかった。虐殺もあり得るとの情報を入手したミレーナ軍は、可能な限り避難を指示していた。だが、ネリスでは再三の勧告にもかかわらず、半数の村人が村に残っていた。
敵軍動くの報告を受けたアルバート将軍は軍を動かし、敵軍を急襲・殲滅。これにより、趨勢はミレーナ側に大きく傾くこととなった。現在でも戦の勝敗を決めたと称えられるネリスの戦いだ。
戦には勝った。しかし、残っていた村人は1人を除いて全員が殺されていた。廃墟と化した村で唯一生き残っていたのが、まだ赤ん坊だったレインなのだ。
賞賛の声とうらはらに、アルバート自身は村人を救えなかったことを悔やんだ。その子を自分の手元で育てたいと思ったのだが、長期に渡る戦乱で戦災孤児があふれている現実もあった。それ故、アルバートは孤児院を設立し、レインはそこで育てられた。
捨て子と戦災孤児は違うのだが、バカ相手には指摘するだけ無駄だ。そもそも、どちらであっても、それのどこが悪いと思う。
挑発に乗らず、レインは落ち着いて周囲の気配を探る。目の前の5人の他に、まだ数名が隠れているようだ。レインにも、自分を、そしてアルバート将軍を陥れようとしているのだと推測がついた。少なくとも人目のある場所でなくてはこちらに不利だ。
「悪いが急ぎの用がある。そこをどいていただこう。」
「そうはいかねぇんだよ!」
「そう言って1人が剣を抜き放った。」
右前方の柱の影に王城警備兵の制服が見える。が、動く気配はない。自分が剣を抜いたら、反乱者として捉える計画なのだろう。
たとえ素手だろうと……
レインがそう思った瞬間、ぐえっ! と、奇妙な悲鳴がいくつか聞こえてきた。次の瞬間、剣を抜いていたバカ貴族が奇声を上げながら数メートル吹き飛ばされた。続けて残りの4人も宙を舞った。
「大丈夫ですか?」
その声と共に姿を見せたのは、宮廷魔術師であり、フェリシア女王の側近でもあるレティシア・アルナークだった。
「助けていただき、感謝いたします。」
レティシアの後方で、3名の警備兵が床に倒れ伏している。柱の陰に隠れていた者達だろう。
その時、騒ぎを聞きつけたのか、他の警備兵達が集まってきた。
「向こうの3名と、こちらの貴族5名を拘束しろ。反逆者だ。」
レティシアが指示を飛ばす。警備兵達が命令に従うが、数名の反応が明らかに遅れる。
「動きが遅れた者達も捕らえよ! 反逆者に加担している可能性がある。」
レティシアは一瞬でその場を掌握していた。
レインはその才覚に圧倒されていた。埋められない差を見せつけられた気がしたのだ。自分より、僅かに年上なだけなのに……
「さ~て、どうしようかな?」
不意にレティシアの口調が軽くなった。
「バカ息子達の助命と引き換えに領土の一部を差し出すか。もしくは処刑を受け入れるか。どっちを選ぶと思う?」
レインは何も答えられなかった。急にそのような質問されても、返答に困る。
「アルバート将軍は陛下の剣であり、盾でもある。将軍への侮辱は陛下への反逆にあたる。それすら理解できない低能な貴族の3男と4男達。果たして当主が助命するのかな?」
レティシアがレインに、笑顔を向ける。
「ま、家ごと潰しちゃってもいいんだけどね。」
食後のデザートを決めるよりも容易い感じの発言だった。
「ところで……」
レインが意を決してレティシアに声をかける。
「陛下が傭兵を集めていると噂で聞きましたが、どこかと戦争をするのですか?」
「戦争なんて仕掛けないわ。内政の方が今は重要よ。」
その返答にレインは後悔していた。傭兵を集めているのか否か、その答えを聞けなかったからだ。本当なのですか? と聞くべきだった、と。
その考えを見透かすように、レティシアが言葉を続ける。
「でも、傭兵を集めているのは本当よ。やらなきゃいけないことがあるから、ね。」
悪戯っぽい微笑を残して、レティシアは去っていった。
「完敗……ですね……」
レインは自分の未熟さを痛感していた。しばらくの間、呆然と立ち尽くすのみだった。
「雨が降り始めたな。」
アルバートが椅子に座ったまま、執務室の窓から空を見上げた。
「左様でございますね。」
執事長のレイアムが応じる。そのレイアムが、レインの姿を見つけた。降りしきる雨の中、ずぶ濡れになりながら、力なく歩いている。
「旦那様。レイン様がみえられました。」
「レインが?」
「はい。随分と気落ちしておられる様子ですが。」
「分かった。落ち着いたら、この部屋に通してくれ。」
レイアムが軽く頭を下げ、退出していった。
「レイアム様。」
廊下の向こうから、メイド長のユリアがレイアムに声を掛けた。
「レティシア様からレイアム様に手紙が届いています。」
「私にか……」
レイアムが手紙を受け取る。
レティシアは、ローズガーデン家への私的な手紙を全てレイアム宛で送っていた。レイアムが全般を取り仕切っていることを知っているからであり、気兼ねせずにローズガーデン家と連携できるからだった。
レイアム・ハーヴェンシュタインはレティシアにとって先生でもある。
レティシアがアーネスに弟子入りした頃、アルバート将軍がアーネスを屋敷に招いたことがあった。アルバートは臆面も無く、有能な魔導師とのコネクションの維持が目的だと言っていた。
アルバートとアーネスの年齢は離れてはいたが、よほど気が合ったのだろう。アルバートは自分の子供達の教育をアーネスに依頼し、個人主義者のアーネスが3か月も屋敷に滞在することになった。この時、アーネスの希望でレイアムがレティシアに貴族の礼儀作法などを教えたのだ。もっとも、レティシア自身、基本は既に身につけていたのだが。
「恋文ですか?」
ユリアが冗談めかして声をかけた。ユリアはレインと同世代なのだが、年齢に不相応なほど童顔で、可愛らしい顔立ちをしている。その口元は笑っているが、目は笑っていない。
「フム……それなら嬉しいのだがな。」
愛妻家として有名なレイアムも、冗談で応じた。
2人とも、レインの状態から深刻な事態を想定していた。だからこそ、心に余裕を持たせる為に冗談めかした会話をしたのだ。2人の間では稀に行なわれる。
ユリアがペーパーナイフを差し出し、レイアムが手紙の封を開ける。そして、ざっと目を通した。
「レイン様は随分落ち込んでいらっしゃいます。今は湯浴みをしていらっしゃいますが、一言、申し訳ありません。とだけつぶやいたそうです。」
報告するユリアに、レイアムが手紙を差し出す。ユリアも目を通す。
「では、レイン様の様子を見てまいります。」
ユリアはレイアムに手紙を返し、軽く頭を下げると廊下を戻っていった。
レイアムの姿は既に無かった。アルバートだけが残った執務室に、レインが入ってきた。その表情は、暗く沈んだままだ。
「……申し訳……ありません……」
不意にその瞳から涙が零れていく。
アルバートはレインの頭に手を置き、わしゃわしゃっと撫でてやった。
「アルバート様ぁ……」
レインが子供のような声をだした。
「レティシア殿は別格だ。そんなに自分を卑下することはない。」
レティシアからの手紙には、城内での騒動のことしか記されていなかった。レインが冷静に、適切に対応したとレティシアは賞賛しているのだが、レインの様子からアルバートには分かっていた。レインがとてつもない敗北感にとらわれてしまったことが。
泣き止まないレインに対し、レイアムに届いた手紙を差し出す。
「他に報告することはあるのか?」
敢えて報告を命じる。
「女王陛下とレティシア様が傭兵を集めているのは事実でした。レティシア様は内政が重要と言っていましたから、他国との戦争を行なう気は無いようです。」
涙をこらえながら、レインが報告を終える。
そのレインを、アルバートが優しく抱きしめた。
「よくやってくれた。」
それはアルバートの本心だった。少なくとも、噂が事実だったとの裏付けが取れたのだ。それだけで十分だった。
「ふぁあっ……アルバート……様ぁ……」
レインがまた泣き出した。今度は、安心しきって泣いてしまったのだ。
「ところで、私に何をして欲しい? 約束だからな。」
ほんの数時間前に交わされた約束だ。
レインがアルバートを見つめる。
「抱いて、下さい。」
しっかりとした、強い意志が込められた声だった。
「私を抱いてください。」
レインが目を閉じ、キスを求めるように唇を差し出す。アルバートがそれに応じた。
アルバートが唇を離すと、レインが嬉しそうに微笑んでいた。
「小さい頃、孤児院で聞いたんです。ネリスの戦いのこと。アルバート様が私を助けてくれたって。でも、違うんです。何年も前から、いつもアルバート様のことばかり考えて……その……ダメだって自分に言い聞かせても止められなくて……」
秘めていたレインの思いが溢れ出した。
「一度だけでいいんです! だから……んっ!」
アルバートがレインの唇を塞いでいた。
「レイン。お前を妻に迎える。」
「えっ?」
予想外の言葉に、レインが驚く。
「妻のマリエルが流行り病で亡くなってから、もう5年だ。アリエルが嫁に行くまでは……とも思っていたが、構わんだろう。」
「ですが……その……本当によろしいのですか?」
レインが不安そうな顔を見せる。家柄や、様々なことを考えてしまっているようだ。
「家督をエドワードに譲る準備は整っている。アリエルは、まぁ、上手くやってくれるだろう。後は、自由にさせてもらうさ。」
そう言いながら、アルバートがレインを軽々と抱き上げる。
「アルバート様……」
「様なしで呼んでごらん。」
「アルバート……さま……」
アルバートが首を横に振る。
「アルバート……」
「レイン。妻になってくれるね。」
そう言って、アルバートが唇を重ねるだけのキスをする。
「レイン?」
「はい……」
「返事が聞こえなかったよ。」
意地悪するように、アルバートが返答を要求する。
「レインは、あなたの妻になります。ずっと……アルバート様と一緒に……」
「んっ……」
かすかな痛みと倦怠感。それを感じながらレインは目を覚ました。窓の外の様子から、目を覚ましたのはいつもと同じ時間だと思う。ただ一つ違うのは、自分がアルバートの腕の中にいることだ。
自分の身体に、アルバートの優しさと力強さが刻み込まれた。そう実感できるのは、レインにとって心地良かった。
アルバートはまだ寝ているようだ。このまま甘えていたいと思いつつ、レインはいつも通り起きようとする。だが、意思に反して身体は動かない。本能的に、アルバートから離れたくないと主張しているようにも思える。
「もう少し、隣にいてくれないか?」
目を覚ましたアルバートが、レインの肩を抱く。
「はい。」
レインは甘えるように、アルバートに寄り添った。
「とりあえず、レインを銀十字騎士団から除籍する。今日からローズガーデン家の人間として、私の傍に居てもらう。」
「はい。」
今までのような働きが出来なくなるのは残念ではあった。だが、今まで以上にアルバートに尽くそうという気持ちが湧き上がってくる。
「とりあえず、今日はドレスを注文しようか。」
「はい?」
「私の妻なら、社交界にも出てもらわないといけないからな。礼儀作法とかは大丈夫だろうから、採寸を早く済ませておかないとな。」
「あの! その!」
「後は妻として、私の子を孕んでくれ。」
「あう……」
アルバートの言葉に、レインが赤面した。
キンコーン!
遺跡の中に、鐘の音が響いた。街道に面した入口のセンサーが反応したのだ。壁にある大きな鏡が、様子を映し出す。
「マスター。鎧姿の金髪の女の子ですけど、お知り合いですか?」
セシルに聞かれて、アーネスも鏡を覗きこむ。
「ああ。迎えに出た方がいいな。」
そう言って玄関の方へ歩き出す。セシルもそれに続く。
壁面が開き、目と目が合った瞬間だった。
「にいさま!」
鎧姿の女の子はアーネスの顔を見るなり飛びついていた。
アーネスが顔を歪める。鎧の角が当たって、ちょっと痛かったのだ。
「久しぶりだな。アリエル。綺麗になったな。」
「にいさまに最後に会ってから3年です。私も、もう大人です。」
アリエルは満面の笑みでそう応じた。
アリエル・ローズガーデン。アルバート将軍の娘だ。身につけた鎧にも、ローズガーデン家の薔薇の紋章が描かれている。
アーネスが初めてアリエルの姿を見たのは7年前。その頃の愛らしさは今も残っている。だが、3年前に会った時の幼さはすっかりなくなっていた。綺麗になったと言ったのはアーネスの本心だ。
「ところで、どうしてここへ?」
「父から伝言があります。」
アリエルはそう言うと、手紙を取り出した。ローズガーデン家の薔薇の紋章で封印された正式な手紙だ。
「手紙の内容は知っているのか?」
アーネスは手紙を開きながら、アリエルに問いかける。
「はい。フェリシア女王がにいさまを攻めようとしているようなので、注意するように。とのことです。」
確かに手紙にも同じ内容のことが書かれている。
「どうしてそれを?」
「そこまでは……ただ、にいさまのところへ行き、力になるようにと言われました。」
「女王に逆らうようなことをして、アルバート殿の立場は大丈夫なのか?」
「公式には、私は修行の旅に出たことになっています。でも、行き先を知っているのは父と一部の者だけです。」
アリエルは悪戯っぽく笑った。
「それから、にいさまの子種を貰ってくるように言われています。」
「は?」
アーネスが間抜けな声を出した。
「ですから、にいさまの子供を孕むまでは帰ってくるなと言われました。今晩からお願いしますね。」
「ダメです!」
2人の会話にセシルが割り込んだ。
「えっと……まだ名前聞いてなかったっけ?」
アリエルの口調がすっかり変わっている。状況によって口調が変わるのは、貴族や騎士の習性のようなものだ。
「弟子のセシルだ。」
「セシルです。」
セシルが挨拶する。
「私はアリエル・ローズガーデン。よろしくね。」
アリエルも挨拶を返す。
「ところで、セシル。何でダメなの?」
「マスターを独り占めするのはダメです!」
「それなら、2人で抱かれればいいじゃない。」
「えっ?」
急な提案に、セシルが戸惑った。
「私の知ってるにいさまは、束縛できるような人じゃないから。私もにいさまの愛人でいいんだけど。それじゃダメかな?」
「そ、それならいいですぅ。」
「勝手に話を進めない。」
アーネスが2人の会話を止める。
「セシル。弟子に手を出す気は無いと言ってるだろ? それに、アリエルも話が急すぎる。」
「じゃあ、ゆっくり理解しあいましょう。今日からここに住みますから、よろしくお願いしますね。」
「マスター。アリエルさんのお部屋は私の隣でいいですか? 手ごろな部屋で空いているのは、そこか、レティシアさんの使っていた部屋ぐらいですけど?」
……追い返せそうにないな。
やれやれと思いながら、アーネスは警告してくれたアルバート将軍に感謝する。
「アリエル。家事仕事はしてもらうからな。」
「にいさまの為に料理も練習してきました。」
「そうなんですか? アリエルさん。レシピを教えてくださいね。」
「いいわよ。その代わり、セシルも私に教えてね。」
「はいです。」
他愛もない話をしながら、セシルがアリエルを奥へ連れて行った。
2人の姿が消えるとアーネスはため息をついた。気になるのは、フェリシア女王が何を考えているか、だ。
手紙に記されたのは、あくまでも噂話の域を出ていない内容だ。それだけにレティシアのことが気にかかる。レティシアと女王が対立した場合、殺されることはないだろうが、反逆者として追われるという可能性もある。
アーネスは天の水晶を手に取った。地の水晶の封印を解除するのは難しくない。自力でも解除できるし、魔晶石を使えば更に簡単に解除可能だ。だが、アーネスは解除しないことにした。
理由はといえば、その方が面白そうだから。
結局、アーネスはそういう男だった。
城の一角。そこに薔薇騎士団の隊舎があった。隊舎とされているが、実際には砦と言ってもいい造りだ。籠城戦になった場合には防衛拠点になる建物だ。
街を見下ろす小塔の上で、エドワード・ローズガーデンは雲を見ていた。
そこに、ライナスがやってきた。
「聞いたか、エドワード。」
「とっくに聞いてるよ。親父からも手紙が来たしな。」
「まだ何も言って無いんだが……まぁ、そのことだ。で、どうすんだ?」
「どうもこうもあるか。親父が再婚して、年下の新しい母親ができた。それだけだ。」
「妹のように可愛がっていたレインが、お母さんになったんだからな。」
「まぁ、そこは複雑な気分だが、レインは親父に惚れ込んでいたからな。幸せになってくれれば、それでいいさ。」
「お~! 大人なコメントだねぇ。」
「祝福がてら、久しぶりに顔を出してみるさ。実際、目と鼻の先に居るんだからな。」
エドワードが上体を起こし、ライナスの方を見た。
「それより、今日からお前が銀十字騎士団の団長だぞ。」
「いぃ?」
「変な声を出すな。俺が家督を継ぎ、薔薇騎士団の団長になる。一応俺にも指揮権はあるが、銀十字騎士団はお前に任せる。」
「本気か?」
「親父からは好きにしろとの指示だ。俺が信頼できるほど有能で、部下に対する責任感がある人間……」
「で、お前とタメ口をきける人間は俺しかいないってか?」
「有能な隊長を外して、薔薇騎士団を弱体化させるつもりもないからな。」
「それはひどい理由だねぇ。ん?」
この話は終わりとばかりに、エドワードが手紙を差し出す。
「なんだ?」
「例の伯爵家のお嬢様からだ。平民を母親と呼びたくないってよ。」
「はぁ?」
ライナスが手紙を受け取り、目を通す。
「自分から擦り寄ってきやがって、俺と結婚するつもりでいたらしい。ただのバカだ。」
「厳しいねぇ……」
「お前も注意しろよ。こういう言い方はしたくないが、平民ってことでやっかまれるぞ。東方部族の出身でもあるしな。」
「へいへい。注意しておきますよ。」
ライナスが苦笑する。
「ああ、そういえば……」
「なんだ?」
「宮廷魔術師殿に叩きのめされた貴族の子弟連中いただろ?」
「ああ。」
「全員処刑されるのが決まったってさ。」
「さすがに、助命が領地の割譲と引き換えでは、そうなるな。」
「買収されてた兵士の連中は、金を没収されて無罪放免だと。減給はされたらしいがな。……城下にその話が故意に流されているらしい。怖いねぇ。あのお嬢のやり様は。」
ライナスの言葉に、エドワードは僅かに笑っただけだった。
「ところで、そろそろ参りましょうか? ローズガーデン卿。」
「そうだな。行くとしようか。スィームルグ卿。」
「平民に卿などつけてよろしいので?」
「その前に騎士団長だ。問題ない。」
エドワードの言葉に、逡巡は無い。
「それ以前に、スィームルグなどという姓を名乗るとは。正気ですか?」
階段の影から、参謀のシオン・アルファートが姿を見せた。
「盗み聞きとは、良い趣味とは思えませんが? アルファート卿。」
「私が居ることに気付いていたでしょう? 盗み聞きではありませんよ。」
ライナスがにやりと笑った。
「相変わらずだねぇ。参謀殿は。」
「言葉遣い、元に戻ってますよ。」
「おっと。」
ライナスの反応を無視して、シオンが言葉を続ける。
「一つだけ明言しておきます。私はあなたを信頼しています。」
「それで?」
「だからこそ、確認しておく必要があります。あなたは、王を生みたいのですか?」
「そんなつもりはねえよ。」
シオンとライナスの視線が交錯する。
「話が見えないんだが?」
エドワードが怪訝そうな表情を見せる。
「スィームルグというのは……」
「東の国の建国神話で、王となるべき者を育てた、聖なる鵬の名だ。」
ライナスがシオンの言葉を遮り、続けた。
「俺たちの部族には家という感覚があまりねぇ。部族全体が家族みたいなもんだからな。そんな環境だから勝手に姓を名乗ったり、有名な親族がいれば、誰々の息子だの叔父だのという意味の姓を名乗ったりしている。」
ライナスがシオンを指差した。
「要は、俺とお前が玉座を狙うか否か、はっきりさせろって言ってるのさ。」
「それと、周囲に不審と思われることは避けるべきです。」
「残念ながら変える気はねぇよ。俺にいろんな昔話をしてくれた父方のじい様が、この姓を名乗っていたからな。」
シオンが小さく頷く。
「それに、俺は面倒なことが嫌いだしな。エドワードにその気がないのも知ってんだろ?」
「あなた方は約束を守ることにこだわるタイプですから。明言して欲しかったのですよ。百年の平和の為に。」
百年の平和……
それは、シオンの口癖だった。
「平和の為に軍略を極める。私の行為自体、大いなる矛盾ではありますが。」
「それでも、たとえ半歩でも進むべきだ。そうだろう。」
エドワードの言葉に、ライナスが屈託のない笑顔を見せた。
「いこうぜ、ご両人。百年の平和の為にな。」