あか
特に理由も無く、炊き込みご飯を作ろうと思った。
思い立つとすぐ行動に出るのが私の長所だ。
さっそく作り方を調べてみる。
いろいろと具の入ったものから銀杏ご飯のようなシンプルなものまで、炊き込みご飯といっても様々あるのを知る。
「鯛めしも炊き込みご飯なんだ。あ、栗ご飯もいいなぁ」
それはまるで人の個性のようで面白い。
様々な人間がいるように、様々な炊き込みご飯がある。
もしかしたら、人の数だけ炊き込みご飯は存在するのかもしれない。
ならば、私だけの炊き込みご飯を作ってみよう。私らしい、私だけの炊き込みご飯。
冷凍庫から腿肉を取り出して、水を張ったボールの中へ放り込む。
「少し冷たいかもしれないけれど、我慢してね」
彼に話しかけるように私は囁く。料理には食材に対する愛情も大事なのだ。
「そういえば……」
せっかく料理をするのだから、彼にも食べてもらおう。一人で食べる食事は味気ない。
彼に電話をかける。出ない。ここのところいつも電話は話し中なのだ。
「最近彼に逢ったのはいつだったかしら?」
なんだかその辺の記憶が曖昧だ。もう随分と逢っていないような気もするし、ついさっきまで一緒に居たような気もする。
私は多分、疲れているのだと思う。
ワインレッドのロングスリーブワンピース。
お気に入りの外出着に着替えるとハンドバッグを持って街へ出た。
家の冷蔵庫の中は肉しか入っていないのだ。
これでは私らしい炊き込みご飯をつくるのは無理なので、スーパーへ食材の買出しに行かねばならない。
夏から秋へと移り変わってゆく空気の色は、まるで私の心情を溶かしているようで何処か切ない。
私の心はいつも何かが欠けている。とても大切な何かが。
街の喧騒の中で、その欠落は一層際立つ。
私とは無縁に咲く、擦れ違う学生達の花。手を繋ぐ恋人たち。
ただいまとおかえりなさい。今日は何食べたい?
可愛い雑貨屋さんの前をただ通り過ぎる。風を纏う街路樹。オブジェの沈黙。空の青。
すべてが私を孤独にさせる。
立ち止まると人の流れに置いていかれてしまうような、ぼんやりとした不安。
息の吸い方、心臓の動かし方、歩き方、誰に習ったのだろう。
愛の囁き方を誰も私に教えてくれなかったから、私の中に空洞が出来た。
どうして私はいつも独りぼっちで、どうして私だけ何処にも居なくて、どうして私だけこんなにも虚ろで、どうして私だけ寂しくて、悲しくて、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――どうすればいいの?
プチトマト、パプリカ、ビーツに赤ピーマン。
私は赤が好きだ。赤いものを見ると、ついつい手を出してしまう。
だって赤は生命の色だ。燃えさかる情熱の色だ。
恋をする乙女に相応しい色なのだ。
彼に電話をかけてみる。お腹を空かせて来てねと伝えるために。
また話し中だ。もしかして、避けられているのかもしれない。
何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。だから怒って電話に出てくれないのだろうか。
でも、きっと私の炊き込みご飯を食べれば機嫌を直してくれるはずだ。笑顔になるはずだ。
「よし、奮発して苺も買おう!」
会計を済ませると、急いでマンションへと帰った。
肉は丁度良い具合に解凍されていた。
赤い模様の入ったお気に入りのエプロンをして包丁を探す。
「あれ?」
キャビネットの中の包丁ポケットには一本も収まっていない。
「包丁、包丁~っと」
キッチン周りに包丁が一本も無いなんて、几帳面な私らしくもない。
私は少し考えてからバスルームを開けた。
「やっぱり、ここか」
包丁はすべてバスルームの床に心許無げに転がっていた。
私はそのうちの一本を手に取ると、赤く光る刃をシンクで洗う。
少しだけ頭がぼーっとする。
さて、調理開始です。
私は肉を切るのは上手いのだ。どんな肉も綺麗にさばくことが出来る。
これは人に自慢できる唯一の特技かもしれない。自慢したことはないけれど。
研ぎ込んだお米の中にダシ汁と薄く切った肉片、それと様々な赤を入れて炊飯器のスイッチに触る。
携帯が鳴った。
「はい」
きっと彼だ。私の胸は高鳴る。
「どうしていつもあなたが出るの? ケンちゃんは何処にいるの?」
いつも悪戯電話をかけてくる女だった。その気弱そうな声に気が滅入る。
「それケンちゃんの携帯でしょ。あなたケンちゃんをどうしたの!」
ケンちゃん。泉 健太郎。私の彼氏だ。
「あなたこそ誰? 悪戯も大概にしないと警察沙汰にするわよ!」
「私はケンちゃんの彼女です。ケンちゃん言ってた。頭のおかしい女に付き纏われているって。あなたがケンちゃんを何処かに隠したんでしょ!」
「健太郎くんの彼女は私です! 彼が何処で何をしているのかはコッチが知りたいくらいだわ!」
強い口調で反論する。頭がおかしいのはどっちなんだか。
女は涙声で電話を切った。私はため息をつく。
どうして私だけいつも責められなければならないのか。私を責める奴は皆、私の前からいなくなればいいんだ。
夕暮れの赤の中で、炊飯器から煙が昇り始めた。
「健太郎くんの匂いがする」
私を安心させる匂い。彼は初めから私の部屋に居たのだ。そして、もう何処へも行くことはない。
肌寒くなってきたので上着を一枚余計に羽織った。