2011年1月 文法はいらないから、ネイティブにしか分からない「感覚」を教えてほしい
「耳」の本の実物を確認しに行った時から、私は1、2か月に一度、用がなくても少し大きな書店に足を運び、語学書のコーナーを眺めるようになっていました。何か良さそうな情報やリスニング音源があれば、実際に手に取って確かめたかったからです。
その日、その本に目を留めたのは、本当に偶然でした。
・『aとtheの底力 冠詞で見えるネイティブスピーカーの世界』
「冠詞」という単語に覚えはありませんでしたが、文法用語だろうということは、何となく見当がつきました。
……文法は私の天敵です。
しかし、この本のサブタイトルの「見える」という表現には魅力を感じました。視覚は五感の1つです。文法の知識はひとかけらも要りませんが、「ネイティブスピーカーの世界」が本当に「見える」のであれば、ぜひとも見せてほしいものです。
中身をぱらぱらと確認したところ、あまり小難しいことは書いてなくて、私にも読めそうな雰囲気です。しかし、構文本の失敗があったので、念には念を入れるべきだと思いました。私は自宅に戻り、ネットでじっくりと内容や口コミ、レビューを確認してから、ようやく本を取り寄せました。
しかし本を一読した私は、首を傾げました。
分かったような、分からないような……。そうかと言って、熟読するのも何か違うような気がします。
そこで私は、マイペースで続けているリスニングを利用することにしました。本の内容に関係あるところが出てきた時、何でそうなっているのか、一瞬だけ考えるのです。
すると、しばらくするうちに、何となくですが、その本が伝えたかったらしい感覚がどういうものなのか、分かってきました。
どうやら再読する必要は全くなさそうなので、本はデュオのテキスト版と一緒に、丁重に古本屋さんへ送り届けました。どちらも私はほとんど使わなかったので、もっと大事に使ってくれる方に巡り会っていることを願っています。
ネイティブの「感覚」というものを説明しろと言われたら、ほとんどの方がとても困るのではないかと思います。例えば私は、日本語で何気なく、一個、一粒、一本、一枚、一冊、一台、一匹、一頭、一羽、と色々なものの数え方を使い分けていますが、その理由をうまく説明することができません。何となくそうしている、としか言いようがないのです。
私は文法は嫌いです。でも、「感覚」を論理的に解き明かし、できるだけ簡潔に体系化したものが「文法」なのだとすれば――たまには文法書もいいのではないかと思いました。ただし、私に読めるかどうかが、大きな問題なのですが。
こうして、文法無視から少しだけ宗旨替えした私ですが、残念ながら今のところ、そんな本には2、3冊しか巡り会っていません。積極的に探したわけでもなかったので、そんなものなのでしょうか。
ちなみに、いまだに私は「冠詞」が正確に何を意味するのか分かっていないのですが……知らなくても別に困らないので、それでいいことにしています。