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リスニングだけで英語力をどこまで上げられるか  作者: 多雨
リスニングだけで英語力をどこまで上げられるか(前編)
7/16

2010年7―10月 本当の音を聴け

(注:このエッセイは英語が苦手な方にもお読みいただけるよう、書名以外は極力英単語を使わないように心がけています。しかし、ここだけは英単語の登場が避けられませんので、なにとぞご了承下さい。ただし、発音記号は一切使いませんし、英単語のところも読みとばして大丈夫なようにしてあります)

 テキストの母音の部分をだいたい読み終わったある日のこと。

 私は駅からアパートに帰る途中の農道を歩きながら、さりげなく背後を振り返りました。誰も歩いていません。

 私は口を開いて唇の形を注意深く整えてから、そっと唱えてみました。


「awe(オー)」


 母音の章を読んでいて、こんな音はそもそも発音可能なのかと一番謎だった音です。

 ここでは便宜的にカタカナで日本語における一番近い音を示していますが、本当は全く別の音です。また、アルファベットで示している単語は、偶然同じ発音なので使用しているだけで、この際、意味は全くどうでもいいのです。私も発音してから、そういえばこんな単語があったような、と思い出したくらいですから。

 さて、声に出してみたものの、本当に合っているかどうかは分かりません。リスニングの音源に耳を傾けながら、同じ音だと思った音が出てきた時に真似してみました。数回練習したところで、農道が終わって住宅街に入ってしまったので、その日の発声練習はそこで終了です。




 翌日。

 朝は同じ時間帯に同じ道を通る人が多いので発声練習は諦め、帰りに駅から遠回りをすることにしました。そっちには農道こそありませんが、結構交通量が多くてしかも歩道を歩く人はあまりいないという、素晴らしい道路があったのです。

 私はリスニングの音源に耳を傾けながら、それらしい音が出てくる度に「awe(オー)」と小さな声で唱えました。口の形を色々変えながら試していくうちに、何となくカタカナのオーではなく、目指す音に近い音が出せるようになってきました。


 少し慣れてきたところで、今度は、頭に子音と半母音をくっつけてみることにしました。といっても、まだテキストの子音のところは読んでいなかったので、a、e、i、o、u以外のアルファベットを順番に頭に思い浮かべて、ゆっくりと唱えていきました。


「b+awe(ボー)、c+awe(コー)、d+awe(ドー)、f+awe(フォー)、g+awe(ゴー)、……」


 kはcと同じになってしまうので飛ばし、qとxはどう処理していいのか分からなかったので、これも飛ばしました。ようやくzまでたどり着いたところで、一息つきました。一つ別の音がくっついただけで、すごく発音がやりにくくなって、元の「awe(オー)」が崩れてしまうのです。

 練習をしているうちに、予定以上に遠回りをしてしまい、その日の帰宅時間はずいぶん遅くなってしまいました。




 数日後。私はまた遠回りの道を歩きながら、色々な単語をセットで呟いていました。


「hall、hole」(カタカナではどちらもホールだが、本当の音はどちらも違う)

「cop、cup」(同じくどちらもカップとなるが、やはりどちらも本当は違う)

「pan、pen、pin」(パン、ペン、ピンとなるが、実は全部違う)


 とはいっても私が練習したのは、全部の母音ではありません。単独で発音が難しいものと、聴き分けができない分だけです。


 それから、テキストにはアメリカ式とイギリス式の2種類の発音が掲載されていましたが、理屈だけは頭に入れておいて、発音練習はアメリカ式だけにしました。唯一のリスニング音源であるデュオのナレーターが二人とも米国出身だったので、必然的に私もアメリカ英語を選択することになったのです。


 実は発音記号の世界に足を踏み入れるまで、英語の発音が国によって違うことすら知らなかった私です。

 何も考えずにマザーグースを聴いていた頃のことを思い出し、もしかしてあれはイギリス英語だったのだろうか、とぼんやり考えたりしました。でも確認することはできません。アメリカ英語の限られた音でさえ処理しきれない私の「耳」に、さらに別の音を入れるわけにはいかなかったからです。

 いつかもう一度、マザーグースが聴ける日が来たらいいなと思いながら、私は発音練習を続けました。




 テキストの子音の部分に入ると、体系的に子音が並んでいるので、いったんその順番を覚えてしまうと、苦手な母音の頭に子音と半母音をくっつけて発音する練習が楽になりました。以前やっていたアルファベットを使う方式だと音の数が全然足りないので、全てやり直しです。

 でも、母音のついでに苦手な子音の練習もできたので、ちょうどいいと思うことにしました。


 テキストには、日本語の音で代用できる音についても色々と書いてあります。でも私は、代用手段は一切使わずに、特に子音はネイティブが一番多く使っている音に近づけるよう、こだわりました。

 突然、英語の学習意欲に目覚めたとか、そんなことは一切ありません。きっかけはただの好奇心でした。ところがやってみて気づいたのですが、子音を全てネイティブ仕様に合わせると、舌を動かす範囲が狭くてすむのです。そして結果として発音が楽になります。……当然、楽なほうがいいに決まっているではありませんか。

 ちなみに母音のほうも、子音をネイティブ仕様に切り替えてから、全体的に出しやすくなりました。何か相関性があるようですけれど、私にとっては楽になるという一点のみが重要だったので、特に理由は考察しませんでした。

 発音練習は、大学院修了という目的のための手段の手段に過ぎない英語読解力向上のための手段に過ぎないリスニングを楽に済ませるための手段の手段に過ぎないのです。そんな些細なことのために、何をか考える必要がありましょうや。




 必要最小限、母音と子音と半母音の練習を終わらせたところで、私は再びリスニングに集中し始めました。

 以前よりもずっと音が拾えます。しかしきちんと拾える音がある一方で、まだ聴き取れない音があちこちにあることが分かりました。


 やむをえず、見るからに面倒くさそうだからやりたくなかった、音の連続の章に取り組むことになりました。

 この組み合わせの場合には舌の位置がずれるとか、案の定、本当にややこしいです。「鼻腔開放」とか「側面開放」とか、こんなの人類に出せる音なのか、信じられない、とぼやきながら練習しました。当時、発音できるようになったらこんな専門用語は全部忘れてやる、と固く心に誓っていたのに、この2つだけは覚えていて、今このエッセイで書けてしまうのが残念でなりません。


 だって私は英語の勉強がしたいわけではないのです!

 単に、通勤時間と買い物時間限定の、お手軽なリスニング環境がほしいだけなのです!


 でも結局、テキストは、音の聴き分けには関係ないイントネーションとアクセント以外の章を、全て読む羽目になりました……。




 通勤と買い物の間だけの限られた時間でしたが、私はひたすらリスニング音源に耳を傾けました。

 すでに文章の意味などどうでも良くなっていて、単語の存在すら忘れかけていました。私が聴いていたのは、音だけです。聴き取れる音、聴き取れない音。いくら聴いても、分からない音は分かりません。2、3の候補までは絞り込めるのですが、これだと断定することができないのです。

 英語の音の理屈はだいたい頭に入れましたし、発音練習も最小限ですがやりました。この方法は別に間違ってはいないはずです。なのにどうして私は、「耳」を手に入れることができないのでしょうか。


 ――でも、私は他の人より元々「耳」が悪い。まだ、何かが足りないのだ。


 私は色々と考えをめぐらせました。そしてふと、妙なことを思いついたのです。「その場所にその音があることが分かっているのならば、私の耳でも聴き取れるのではないか」と。

 当然といえば当然のことです。今から「awe(オー)」と言いますよと宣言して「awe(オー)」と言うようなものですから。誰でも分かるに決まっています。


 完全に本末転倒なのは分かっていましたが、私はやってみることにしました。音源に入っている全ての英文を書き出して、全ての発音を調べ上げるのです。


 早速、私はデュオのテキスト版を取り寄せましたが、すぐに失敗に気づきました。

 デュオはそもそも単語集なので、見出し語以外の発音記号は載っていないのです。それに加えて、発音記号の表記が、何だか私の好みではなかったのです。別に何も悪いわけではなく、単に個人的な好みの問題です。

 でもデュオにはお世話になっているから、お礼代わりに1冊購入したと考えればいいか、と思い、今度は自分の持っている、上のきょうだいから譲り受けた古い辞書に目を向けました。発音記号を確認すると、やはり何かが違います。

 語義はどうでもいいから、好みの発音記号が載っている辞書が必要だ、と思いました。


 次の休日、私はちょっと遠出をして、ビルのフロア2階分を占めるかなり大きな書店を訪れました。

 早速辞書のコーナーへ足を向けました。最初は英英辞書からチェックし始めたのですが、ネイティブ向けのせいか発音記号は何だか見慣れない上に、結構おおざっぱな印象があります。すぐに英和辞書へと狙いを変え、片っ端から中身を確認していきました。


・『パーソナル 英和辞典 第2版』


 意外なことに、「私の」辞書はとても小さな辞書でした。約16×9×2センチ。お財布にも優しくて、すごくほっとしました。

 ちなみに、この辞書の発音記号の表記は少し独特で、音声学のテキストとはかなり違います。でも国際的なナントカの規格に合っているかどうかは、どうでもいいのです。私にとっての扱いやすさ、それだけが大事でした。




 私は分厚いノートを準備し、せっかく購入したのでCD版についている付録本ではなく、本来のテキスト版を見ながら、英文を書き写し始めました。

 後で発音を記入するために、ものすごく行間を空けて書いているので、みるみるうちにページが消化されていきます。ただ、スペルを知らない単語が大量にあって、1文字ずつ確認しながら書くことも多く、筆写作業は結構大変で時間もかかりました。


 全文を筆写した後、私はせっせと小さな辞書を引き始めました。幸い、私は辞書を引くことは全く苦にならない体質なのです。かつて、英語が苦手なのに英語の原書を読みたい一心で、膨大な回数辞書を引きまくった経験があったからです。

 私はひたすら辞書を引きました。中1レベルの単語でさえ確認しました。全く自信がなかったからです。「problem(問題、プロブレム)」や「standard(スタンダード)」のような、すでにカタカナ外来語と化していて誰でも知っているような単語も、全部辞書を引きました。だって本来の発音を知らないのですから。


 しかし、私は全文にわたって発音記号を書き込んだわけではありません。

 自分が聴き分けられない音、音の連続によって変化する音、分かるけれど日本語のカタカナ音に変換して聴いてしまいそうになる音、それだけです。しかも自分に分かればいいと思って書いているので、音声学のテキストとも小さな辞書とも全然記述が違って、専門家に見られたら激怒されそうな状態です。

 魔改造した発音記号を書き込みながら、私は回数が分からなくなるほど聴いた英語を思い出していました。ああ、あの分からなかった音はこれだったんだ、と何度も驚いたものです。




 私はしばらくの間、完成したノートを持ち歩いていました。分からない音が出てきた時、実際に立ち止まってノートを開くことができるのは、駅からの帰り道だけでしたが、それだけでもずいぶん役に立ちました。

 どこにどの音があるのか全て分かっている状態になったので、私は頭の中で、分からない音にも無理矢理ラベルを貼って分類していきました。この音とこの音は同じ、この音とこの音は違う――。

 ほぼ全ての音にラベルを付け終わった頃、不思議なことに、ばらばらに分解されていた音が少しずつ固まりをなして、単語が聴こえてくるようになりました。やがて、どうしても違って聴こえてしまう2つのフレーズ以外は、全ての単語が聴き取れるようになりました。

 ただ、意味は何となくしか分かりません。全文筆写で一度は内容を思い出しましたが、また記憶が薄れてしまったからです。

 でもそれでもいいと思いました。私は日本語を使わないと決めていたからです。




 不器用な発音練習を始めてから、4か月が過ぎようとしていました。聴き取れないフレーズは棚上げにしておいて、そろそろ、サンプルを増やしてもいい頃合いだと思いました。

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