2010年6月 計画の見直し――私の記憶も耳も信用できない
6月になった頃、基礎編の日本語訳の内容がだいたい頭に入ったため、復習編に切り替えました。
最初はナレーターが変わったことなど雰囲気の違いに戸惑いましたが、基礎編に比べると、復習編のほうが私には合っていました。
第一に、CD5枚組ではなく1枚なので回転率がまるで違います。それに、日本語と英語が交互に入っている状態は、当初はそれがなければやっていけなかったとはいえ、私にとってはストレスだったようです。英語だけになったことで、ずいぶんすっきりした気分で聴けるようになりました。
いい感じになってきたと私は機嫌よく、リスニングを続けました。しかし、それはつかの間のことでした。
徐々に、意味が分かっていたつもりの英語の内容が分からなくなってきました……。そう、基礎編で聴き覚えた日本語訳の記憶が薄れてきたのです。
これはまずいと焦りを覚えました。私は実用的な語彙が増やしたくてリスニングを始めたのです。しかしこの状態では、いくら英語を聴いても語彙が増えようはずがありません。
もう一度基礎編に戻るべきかどうか悩みました。ですが、英語だけで聴いていたマザーグースが楽しかったこと、そして日本語入りの基礎編から英語のみの復習編に移行した時、すっと肩の力が抜けたように感じたことを思い出しました。……そう、基礎編にはお世話になりましたけれど、私とは相性が悪いのです。
日本語と英語のナレーションが両方入っている教材はかなり多いので、おそらくそれが向いている方も多いのでしょう。ただ、「私には」全く向いていない、単にそれだけです。
では、日本語なしで英語の語彙を増やすにはどうすればいいのでしょうか。
私は日本語しか使えません。当然、日本語だけで日本語を身につけました。ですから、英語だけで英語を学ぶことも可能なはずです。
思考をめぐらせた結果、私は、同じ単語を複数の文脈で聴けば、感覚的に身につけることができるのではないか、と考えました。2種類の文脈で聴いて分からなければ、3種類聴けばいい、それでも分からないならばさらに増やせばいい。どんどんサンプルを投入すれば、いつかは意味が分かるだろう、と思ったのです。
そこで、デュオと系統の似た単語集で、付属CDが英語単独のものはないか探してみました。複数見つかりました。もちろん、デュオに入っている単語の全てを網羅することは不可能でしょうが、完全にマスターするのではなく一定の割合が覚えられればいいと割り切ってしまえば、追加サンプルには事欠かないようです。
リスニング計画を修正することと、教材面においてはそれが可能なことを確認してから、私は別の問題に目を向けました。
この計画を実行するには、十分なサンプル数だけでなく、単語を聴いてすぐにそれを同定する能力が必要となります。
例えば、私がまだ意味をきちんと把握していない、ひとつの単語Aが例文Bに含まれているとします。
デュオ基礎編では、例文だけでなく重要単語・熟語の読み上げがありましたから、復習編に移行しても、Aがその位置にあることを私は知っていました。しかし、全く知らない別の例文Cの中にAが登場した時、私はそこにAがあると気づくことができるでしょうか。
不可能です。私にはそんな「耳」はありません。
実のところ私は、英語以前に日本語のリスニング能力もあやしい人間なのです。
職場で電話を取った時、はきはきと「××の××です」と名乗られても、100%聞き取りに失敗します。必ず後で「恐れ入りますがもう一度お名前を――」とお尋ねしなければなりません。
電話でなくても、初対面の方とお話しする時は、必ずその方の口元のあたりに目線を向け、さりげなく唇の動きを観察するようにしています。自分でも頭の中でどうやって処理しているのか分からないのですが、唇の動きで耳から聞こえる音を補助するのです。それだけで、初めてお会いする方の言葉がずいぶん聞き取りやすくなるのです。
日常生活の中で日本語を使ってやりとりするならば、分からなくても聞き返せばすみます。あるいは視覚情報で聞こえてくる音を補うこともできます。
しかし、一方的かつ機械的に流れ続けるリスニング音源の場合は、そういうわけにはいきません。あくまで自分の耳だけで、やっていかなければならないのです。
「耳」を鍛えなければ、新しいサンプルを追加しても無駄だ、と私は判断しました。聴くだけですぐに、そこに単語Aがあると気づくことのできる耳が必要だ、と。