2010年5―6月 さらに迷走する
私に使える手段はリスニングだけです。というか、英語のためにそれ以外の面倒なことはしたくありません。
ですから、読んだり書いたりして勉強するタイプの単語集は排除し、CD付属のものだけを狙って、じっくり比較しました。その間も、英語に耳を慣らすために、マザーグースのリスニングは続けていました。
色々吟味した結果選択したのは、『Duo3.0』のCD版でした。
・『Duo3.0/基礎編』CD5枚組
・『Duo3.0/復習編』CD1枚
レビューなどで評価が高かったということもあるのですが、選んだ一番の理由は、基礎編と復習編に分かれているという点でした。
基礎編は日本語と英語が両方入っていますが、復習編は英語のみです。ですから、最初に基礎編から開始して日本語訳の内容を頭に入れ、それから復習編に移行すれば、本を読む必要はありません。私には、とてもお誂え向きでした。
スペルについては、実際に見たら分かるだろうと楽観的に考えることにしました。
英語のアルファベットは所詮表音文字ですから、外来語でない限り、それほどとんでもない綴りになることはないはずです。ということで、英作文の必要がない私は、スペルは無視することにしました。ちなみに今になっても無視し続けていますが、読めるけど書けない漢字のようなもので、英語の読解しか興味がない私にとって、特に困ることはないのです。
さて、マザーグースにデュオ基礎編を追加した途端、またしても背筋の寒気が復活しました。英語の部分は完全にノイズと化し、頭が痛くてたまりません。
ですが、日本語の部分を聴いているだけでも、私の知らない英単語が大量に入っていることが分かりました。現代の日常生活と一般教養に関する内容が多く、間違いなく私に欠けている分野をカバーしているようです。
最初のうちは、CD5枚分を聴いたらマザーグースが待っている、それだけを頼りに堪え忍んでいましたが、数回聴くうちに、興味の持てない英語部分も徐々に耳に入るようになりました。
やがて、肩こりも頭痛もなく聴ける状態になったので、マザーグースを外しました。ここからが本当のスタートです。
その一方で、私は別の不安を抱いていました。文法が嫌で今まで完全に無視してきたけれど、本当にそれでいいのか、と。専門文献は、勢いと根性で読める小説とは全く違うはずです。
でも私に文法が全く向いていないのは、高校までの学校英語で十分すぎるほど分かっていました。そこで、文法が駄目なら、何か別の方法で補強する手段はないだろうかと思案し、構文はどうかと思い至りました。
デュオを投入して1週間もしない内に、私は英語構文の本を探し始めました。それだけ不安だったということです。
そして、CD付属のものがいくつか見つかったので、一番簡単そうなものを選んで取り寄せました。ただし、念のために新刊ではなく、CDがついているだけが取り柄の中古本にしておきました。どうせ用があるのはCDだけなのですから。
届いた現物を見た途端、私は失敗に気づきました。
この本のCDは、英語と日本語が交互に入っているバージョンしかなかったのです。デュオを英語のみの復習編に切り替える時に、構文のほうをそのまま使い続けると足を引っ張りそうです。しかし現実として英語版が存在しない以上、自分で編集して作成するしかありません。
通勤時間限定のリスニングのつもりが、自宅での作業が必要になってしまいました。しかも私は、音楽CDをコピーする程度しかその手の経験がないのです。
しかしよく考えてみると、そもそも英語・日本語版と、英語単独版の両方が揃っているデュオのほうが異色なのでした。だからこそ、私はデュオを選んだのです。
私は諦めのため息をついて、音響作業に着手することにしました。面倒くさいことは嫌いですが、快適なリスニング環境のためなら仕方がありません。良さそうなフリーウェアを色々ダウンロードしては試し、自分に使えるものを選び出して、四苦八苦しながら何とか英語版を作り上げることができました。
しかし、作業とはまた別に、構文のオリジナル音源を追加してリスニングを続ける内に、私はある根元的な問いに悩まされるようになりました。
――構文とは、そもそも何ぞや。
聴いても聴いても、何のために聴いているのかさっぱり分からないのです。しかも、学習者が構文に集中できるように配慮しているのか、中学レベルの単語ばかりなので例文の内容が簡単すぎて、あまりにも退屈なのです。
構文とは、構文とは、と哲学者になった気分で思索し続けること1週間、私はようやくひとつの結論に到達しました。
――私には構文は分からない。
そうです、私は構文という得体のしれない概念の前に敗北しました。本当に分からないのだから、仕方ないのです。
これ以降、構文というものを無視することにした私ですが、実は特に困ったことはありません。どうやら私とは縁のないものだったようです。
私はせっかく編集した構文CDのデータをきれいさっぱり削除しました。
本は状態の悪い中古本だったので古書店に持っていかずに、図書館に寄贈しました。図書館の蔵書になることはないでしょうが、結構人気のある本だったので、おそらく無料配布のイベントで、私よりもずっと良い持ち主に巡り会っていると思います。
こうして私は、再びデュオだけを頼りにリスニングの旅を続けることとなりました。
しかし、構文CDの編集で身につけた技術は、それから2年以上経ってからですが、どうしても欲しいけれど日本語が邪魔なCDを編集する時に活用することになります。
ですから全くの徒労だったかというと、そういうわけでもありません。ただし当時はそんな未来は知るよしもありませんでしたから、かなりがっくりきたものです。……面倒なことなんてしたくないのに、面倒でしかも大いなる無駄な作業をしてしまった、と。