2013年1―3月 英語のリスニング能力とは何か
英語は特に好きでもなく、勉強もしたくない私ですが、それでもちょっとした邪心が芽生えることがあります。
ある日ふと、履歴書の資格欄にTOEICのスコアを書いたら、転職の時に、真面目で勉強熱心な人だとうまく勘違いしてくれるのではないかと、よからぬことを考えました。
しかし、英語が全く喋れないことがばれると、何だか逆効果になってしまうような気がします。
とはいっても、英会話は相手がいないと成立しません。今まで独学だけでやってきた私には、どうしようもない領域です。
そもそも、私には時間的にも経済的にも、英会話教室に通う余裕などないのです。でも、生活費をぎりぎりまで削れば、安い教室なら3か月分くらいの費用は捻出できそうです。もしもそれで何か、手がかりが得られるならば……と妙な方向へ心が動きました。
常識的に考えると、英語の要らない職種ですし、履歴書にTOEICのスコアを書くなどという見栄をはらなければいいだけの話です。入試直前の追い込み学習に加えて、3つ目の資格取得の期限が迫っていたことで、ちょっと逃避したい気分になっていたのかもしれません。
私はいくつかの英会話教室を見学しましたが、銀行残高にとって幸いなことに、どこも受講するまでには至りませんでした。もちろん、どの教室の運営方針も先生方にも何の問題もありません。単に私向きではなかった、それだけの話です。
英会話教室の見学ツアーをして、少し驚いたことがありました。
私がお会いした先生方は、全員日本人の先生でした。これは意図したわけではなく、ただの偶然です。
そして、その先生方の話す英語が、とても流暢なのですが、総じて日本語訛りだったのです。具体的には、母音や子音の数が私が知っているよりも少なく、日本語の音で代用している音もありました。
英語の発音は、テキストにあったアメリカ式やイギリス式が全てではありません。世界各国の人が使っているのですから、地域差があるのは当然のことです。
でも「発音できない音は聴き取れない」のです。
代用している音はともかく、母音や子音が少ないということは、本来は異なる母音や子音が、同じ音に変換されて聴こえていることに他なりません。これは英語のリスニングにおいて、かなりのハンディキャップがあることを意味します。
ですが先生方には、特にリスニングに苦労しておられる様子はありませんでした。普段からCNNやBBCの番組を視聴していて、英検1級とかTOEICスコア980とか、本場の大学院で英語教授法を学んだ経験ありとか、私には想像もつかない高みにおられる方々だったのです。
――どうやってハンディを埋めているんだろう。
私は不思議でなりませんでした。
しかし、先生方に発音のことを指摘するわけにはいかなかったので、質問することはできませんでした。
ですからここからは、私の推測です。
単純に英語の音を拾って識別するという点においては、私のほうが得意かもしれません。ですが、先生方が積み重ねてきた経験と、努力によって身につけた語彙力と文法力は、その差を補ってはるかに余りあるのです。
別の例を挙げてみます。
例えば、電波の受信状態が悪い場所で、ラジオを聴くとします。大人ならば、多少音が悪くても途切れることがあっても、放送されている内容をきちんと理解できることでしょう。
しかし一方で、2、3歳の幼児に、同じ内容をクリアな状態で聴かせたとしたら、どうでしょうか。いくら音の状態が良くても、そんな小さな子供に理解できるはずがありません。
言うなれば、私がお会いした先生方は「大人」であり、私は何も分かっていない「幼児」なのです。
英語のリスニング能力は、単に耳のよさだけで測れるものではありません。英語に対する深い造詣があれば、ネイティブ並の耳がなくても、十分にやっていけるのです。
私が最後に見学した教室の先生は、とてもすばらしい方でした。
わざわざマンツーマンでお試しレッスンをして下さったのに、そこのメソッドと相性が悪かった私は、失礼にも途中でリタイアしてしまったのです。ですが怒りもせずに、ひたすら謝罪しようとする私を制止して、ゆっくり話を聞いて下さいました。
私はこの時初めて、家族にも他の誰にも言わなかったことを話しました。
英語の実用的な語彙を増やしたい一心で、リスニングを始めたこと。発音記号からやり直す羽目になったこと。少しずつサンプルを増やしながら、ひたすらリスニングだけをやり続けたこと。そうしたらTOEICで、全く喋れない人間としてはあり得ないらしいスコアが出てしまったこと。
先生は考え込みながら、こう仰いました。
「そういう勉強の仕方は、聞いたことがありません。……そんな方にお会いしたのは初めてです。でもあなたの方法は、間違ってないと思いますよ。理にかなっているという気がしますね」
私が首を傾げると、先生は「ネイティブの子供たちも、きっとそうやって言葉を覚えているんでしょうから」と付け加えました。
私よりもかなり年上で、見るからに英語が好きそうなこの先生は、ご自身も「ネイティブの子供たち」のように英語を身に付けたかったのかもしれない、とふと思いました。そして、もしかしたら、「私」のこともほんの少し、うらやましいと思われたのかもしれません。
――でも、私は英語を話すことができない。
先生の仰るように、考えようによっては「ネイティブの子供たち」のように英語を身に付けてきたのかもしれませんが、私のやり方には重大な欠陥があるのです。
私は英語が話せません。ガイジンさんに道を訊かれたら、分かるけど分からないふりをして逃げる自分が容易に想像できます。
話をした後、実は教室の経営者でもあったその先生は、ぜひ英語力を伸ばしてほしいと、ネイティブの講師の先生との英会話レッスンを勧めて下さいました。教室経営とは関係なく、心からの善意による提案だということはすごく伝わってきたのですが、私はやめておくことにしました。どうせ教わるならこの先生に教わりたかったからです。でもそれが不可能なことは、すでにお試しレッスンで実証済みでした。
この先生に教われないのなら、英会話はもういいや、と吹っ切れた気持ちになっていました。
3月、私は念願の大学院合格通知を手にしました。そして、3月末には、3つ目の資格も無事に取得できました。




