民数記23章にあるバラムの第二の託宣。
民数記23章にあるバラムの第二の託宣。
()内はギリシャ聖書翻訳。
23:18そこでバラムはまたこの託宣を述べた。
「バラクよ、立って聞け、
チッポルの子よ、わたしに耳を傾けよ。
(彼は、彼の託宣集をふりかざして言った。)
(立ち上がれ、バラクよ。そして聞け。)
(ツィポルの子よ、証人として耳を傾けるのだ。)
※バラク、バラクは、ヘブライ語で「電光、稲妻」の意味を持つ語。
もうひとつの意味が、「略奪者、彼は荒れ廃れさせた」の意。
23:19神は人のように偽ることはなく、
また人の子のように悔いることもない。
言ったことで、行わないことがあろうか、
語ったことで、しとげないことがあろうか。
(神は、人間のように騙されることもなく。)
(人間の子のように恫喝されることもない。)
※恫喝とは、「不安になるようなことを言って脅して、おびえさせる」意味。
神は不安になることを言われても、怯えることもない。という意味。
(彼が有言実行でなかったことがあろうか。)
(彼が語るだけで終わったことがあるだろうか。)
※その言葉が確実に実現すると言う意味。
23:20祝福せよとの命をわたしはうけた、
すでに神が祝福されたものを、
わたしは変えることができない。
(見よ、わたしは祝福するように求められている。)
(わたしは祝福し、決して覆しはしない。)
※それを始めたらやめることはしない。
23:21だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、
またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。
彼らの神、主が共にいまし、
王をたたえる声がその中に聞える。
(ヤコブのうちには苦悩はなく)
※ヘブライ語では、誰もヤコブのうちに災いを認めず。
(イスラエルのうちに労苦は見られない)
※イスラエルの心に悩みがあるのを人は見ない
(彼の神・主が彼と共にあり、)
(指導者たちの栄光ある業が彼のうちにある。)
23:22神は彼らをエジプトから導き出された、
彼らは野牛の角のようだ。
(神は、彼らをエジプトから導き出されたお方。)
(その方は、彼にとって一角獣の栄光のよう。)
※彼らにとって野牛の角のよう、その雄牛の方の意味を知る。
23:23ヤコブには魔術がなく、
イスラエルには占いがない。
神がそのなすところを時に応じてヤコブに告げ、
イスラエルに示されるからだ。
(ヤコブのうちに鳥占いはなく、)
(イスラエルのうちには占いがないから、)
(時至れば、神が成就されることは、)
(ヤコブとイスラエルに語られる。)
※その神の嫌う愚かな業は持たない。
正々堂々とその言葉を与え、それの意味を悟らせる。
23:24見よ、この民は雌じしのように立ち上がり、
雄じしのように身を起す。
これはその獲物を食らい、
その殺した者の血を飲むまでは身を横たえない」。
(見よ、一つの民が雌獅子のように立ち上がり、)
(雄獅子のように悠然と構える。)
(それは餌食を食らい、殺した者の血を飲むまで、)
(身を横たえない。)
※それが終わるまで、止めることはない。その悪を滅ぼすと言う意味。




