今の世の道徳教育はいずこにある。
今日、ペンを求める時、店内に入る前で、
中学生らしき者二人の会話の言葉の中に、
何とも愚かな一言が聞こえてきた。
誰か同級生を意味する人物の事に関しての会話であろう。
「死んでしまえ」の一言に、今まで我慢していた感情が一気に、この夜に怒りと変わる。
どこまで、人類のその精神の意味、腐り果てたであろうか。
先日、僧侶が人を殺してしまう事件さえ見る。
魔僧のごとく…。
僧侶が「最初から殺すつもりで行った」と供述。
恥を知ることもなく、その所業の意味、これが現世の僧侶のあるべき姿か。
2:19主が立って地を脅かされるとき、
人々は岩のほら穴にはいり、また地の穴にはいって、
主の恐るべきみ前と、その威光の輝きとを避ける。
2:20その日、人々は拝むためにみずから造った
しろがねの偶像と、こがねの偶像とを、
もぐらもちと、こうもりに投げ与え、
2:21岩のほら穴や、がけの裂け目にはいり、
主が立って地を脅かされるとき、
主の恐るべきみ前と、その威光の輝きとを避ける。
2:22あなたがたは鼻から息の出入りする人に、
たよることをやめよ、
このような者はなんの価値があろうか。
※考えるべき時と、わたしはその手を抑えている。
人の世のなか、腐り果てたその現実。
軌道修正すべき。
その猶予の時のみである。




