エレミア書にある現実なる言葉。
1:4主の言葉がわたしに臨んで言う、
(このまま)
1:5「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、
あなたを知り、
あなたがまだ生れないさきに、
あなたを聖別し、
あなたを立てて万国の預言者とした」。
※その創造された者を万国の預言者とした。
1:6その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。
※当初は何も知らないので、途方にくれる。
1:7しかし主はわたしに言われた、
「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない。
だれにでも、すべてわたしがつかわす人へ行き、
あなたに命じることをみな語らなければならない。
※その記された12人の預言者の言葉を語らなければならない。
1:8彼らを恐れてはならない、
わたしがあなたと共にいて、
あなたを救うからである」と主は仰せられる。
※主が御救いになるので、恐れてはならない。
1:9そして主はみ手を伸べて、わたしの口につけ、主はわたしに言われた、
「見よ、わたしの言葉をあなたの口に入れた。
(このまま)
1:10見よ、わたしはきょう、
あなたを万民の上と、万国の上に立て、
あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、
あるいは滅ぼし、あるいは倒し、
あるいは建て、あるいは植えさせる」。
※その時に、その創造された預言者を万国に立て、滅びの宣言を伝える者とした。
1:11主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「エレミヤよ、あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「あめんどうの枝を見ます」。
(主の言葉がまたわたしに臨んで言う、「神に創造された者よ、あなたは何を見るか。」)
(わたしは答えた、「不義を犯しても、永遠の優しさをもって、目覚めを意味し、それが春になる」ことを見る。)
※、この部分が、大切な暗示の言葉、「あめんどうの枝を見ます」。と言う言葉が、アーモンドをしめす重要なキーになる。
※アーモンドの花言葉は、イギリスでは「おろかさ」「無分別」、フランスでは「永久のやさしさ」です。どちらも青年デモフィーンとフィリス姫の伝説がもととなっているようです。また、イギリスではいち早く三月には花が咲くことから、「希望」という寓意を、この花に与えています。
また、ヘブライ語ではアーモンドは「目覚めている」「見守っている」という意味なので、イスラエルでは「目覚め」および「春」を象徴します。
※ここに並ぶ、花言葉の意味がすべて答えになります。
(その時には不義を犯しても、永遠の優しさをもって、目覚めを意味し、それが春になるという。)
※このエレミアの言葉が、未来を意味する重要な変化をもたらすのです。
1:12主はわたしに言われた、「あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ」。
※主が自ら、その言葉を言おうとして見張っているのだ。
1:13主の言葉がふたたびわたしに臨んで言う、「あなたは何を見るか」。わたしは答えた、「煮え立っているなべを見ます。北からこちらに向かっています」。
※煮立っている鍋、要するに、神の煮えたぎる怒りの意味である。
1:14主はわたしに言われた、「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。
(このまま)
1:15主は言われる、「見よ、わたしは北の国々のすべての民を呼ぶ。彼らは来て、エルサレムの門の入口と、周囲のすべての城壁、およびユダのすべての町々に向かって、おのおのその座を設ける。
(このまま)
※神の作られる新しい神の住む町という意味。
コーランの記述を見れば、神は人として下り、その言葉を伝えている。
その確実なる証拠は、主の聖霊(雄牛)を見ているかどうかである。
1:16わたしは、彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、わたしのさばきを彼らに告げる。彼らは他の神々に香をたき、自分の手で作った物を拝したのである。
※主を拝することを忘れ、神を捨てて、その悪事のために神はそれ(滅び)を告げる。
※イザヤ書第28章にある滅びの宣言のことである。
1:17しかしあなたは腰に帯して立ち、わたしが命じるすべての事を彼らに告げよ。彼らを恐れてはならない。さもないと、わたしは彼らの前であなたをあわてさせる。
(そのまま)
※その役目を果たさずに、彼らを恐れていたら、神はわたしを慌てさせる。
1:18見よ、わたしはきょう、この全国と、ユダの王と、そのつかさと、その祭司と、その地の民の前に、あなたを堅き城、鉄の柱、青銅の城壁とする。
(このまま)
※2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、
陶工の作る器物のように彼らを
打ち砕くであろう」と。
※この意味が成り立つ。
1:19彼らはあなたと戦うが、あなたに勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」と主は言われる。
※主が共におられるので、恐れることはしない。
怖れるのは、一心に神の存在であると思う。