使徒行伝にある滅ぼし去られるの検証1
彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう
3:22モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
3:23彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。
3:24サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。
※まず、モーセの言っている言葉の事実。
その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。
これの意味がだれであるのか…。
それの意味をわきまえないと実際のことを言うが、滅ぼされるのである。
彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう。
その語る意味合いは、律法の示されている意味の厳守である。
これを守らないと滅ぼし去られると言っている事実。
断たれる規定が、それぞれ存在するが、その掟を侮り守らないがために滅ぼされている事実がある。
サムエルをはじめ、その後に続いて語った預言者はみな、この時のことを予告したと言っている。
サムエル記を見てみよう。
2:2主のように聖なるものはない、
あなたのほかには、だれもない、
われわれの神のような岩はない。
2:3あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、
たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。
主はすべてを知る神であって、
もろもろのおこないは主によって量られる。
2:6主は殺し、また生かし、
陰府にくだし、また上げられる。
2:7主は貧しくし、また富ませ、
低くし、また高くされる。
2:8貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、
乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、
王侯と共にすわらせ、
栄誉の位を継がせられる。
地の柱は主のものであって、
その柱の上に、世界をすえられたからである。
2:9主はその聖徒たちの足を守られる、
しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。
人は力をもって勝つことができないからである。
2:10主と争うものは粉々に砕かれるであろう、
主は彼らにむかって天から雷をとどろかし、
地のはてまでもさばき、王に力を与え、
油そそがれた者の力を強くされるであろう」。
※まず、第2章でこう言われている事実があること。
そして第15章
15:22サムエルは言った、
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23そむくことは占いの罪に等しく、
強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
聞くことをせず、背くことは占いの罪に等しくと言っていること。
占いの罪というの聖書に示されている。
19:26あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。
このレビ記に示されているこの三つの罪は、気を付けなければ命を絶たれる要件に該当しており、わたしがいつも示している民の中から断たれることに当てはまるのである。
要するに聞き従わずに、強情のままでいると神に滅ぼされる始末になってしまう。
コロナの現状もこれであろう。
断たれる意味合いに、強情に耳を傾けず、守ろうとしなかった姿勢が、今の滅びの現実を作り上げたと断言する。
サムエルの言葉を追ってみよう。
今度はサムエル記下である。
7:28主なる神よ、あなたは神にましまし、あなたの言葉は真実です。あなたはこの良き事をしもべに約束されました。
7:29どうぞ今、しもべの家を祝福し、あなたの前に長くつづかせてくださるように。主なる神よ、あなたがそれを言われたのです。どうぞあなたの祝福によって、しもべの家がながく祝福されますように」。
人々も神に怒りを受けぬように、神の宮に行き手を合わせてお祈りというか、参拝してその姿勢を示すことは大事かもしれない。
主のしもべの一人は歴代志でこう言われている事実がある。
6:28もし国にききんがあるか、もしくは疫病、立ち枯れ、腐り穂、いなご、青虫があるか、または敵のために町の門の中に攻め囲まれることがあるか、どんな災害、どんな病気があっても、
6:29もし、ひとりか、あるいはあなたの民イスラエルが皆おのおのその心の悩みを知って、この宮に向かい、手を伸べるならば、どんな祈、どんな願いでも、
6:30あなたはそのすみかである天から聞いてゆるし、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。ただあなただけがすべての人の心を知っておられるからです。
6:31あなたがわれわれの先祖たちに賜わった地に、彼らの生きながらえる日の間、常にあなたを恐れさせ、あなたの道に歩ませてください。
※これで言われていることが、あなたの道を歩ませてくださいと言われていること。
主の道とは、神に命じられることを守り、それを大事にして生きることをすることであり、悪から身を置き、それの意味を反省して善に歩むこと。
あなたの民イスラエルが皆おのおのその心の悩みを知ってとあるように、実際神が生きていないと、このように示されているお悩みの意味は存在しないことになる。
どんなことを考えているのだろうか。
その示されている事実は、苦汁の日々とコーランにあること。
自分を落としてまで、人々が悔い改める意味を求めているのであれば、到底、私たちはそれの意味を悟らないといけないことだし、このまま、律法を無視して生き続けることは、もはや不可能に近いと悟らねばならぬ。
サムエル記下 検証中つづく