人は安息日を侮るために断たれているだけだ。
安息日の遵守が運命を分ける。
おそらく今の世の中、安息日の意味に関して重要だと思う者はごくわずかだと言い切る。
それだけその意味を侮り、きちんとした安息日の厳守というものをしていない。
イエスは言われた。”あなたがたはこの世に対して断食をしないならば、神の国 を見出さないであろう。真の安息日を守らないならば、父を見ないであろう”。
※キリストも言っているが、真の安息日を守らないならば、父を見ないであろうと断言していること。
守らぬために命を絶たれることになり、事は重大なことだと言い切る。
31:14それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。
31:15六日のあいだは仕事をしなさい。七日目は全き休みの安息日で、主のために聖である。すべて安息日に仕事をする者は必ず殺されるであろう。
※これは断たれる規定のなかの安息日の規定…私は人々に安息日の厳守を命じる。
58:13もし安息日にあなたの足をとどめ、
わが聖日にあなたの楽しみをなさず、
安息日を喜びの日と呼び、
主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、
これを尊んで、おのが道を行わず、
おのが楽しみを求めず、
むなしい言葉を語らないならば、
安息日にはあなたのあしをとどめ
神社に赴く以外はどこにも行かないことである。
ただしこれには例外がある。
仏事のときなどはやむを得ない。
わが聖日にあなたの楽しみをなさず、
安息日を喜びの日と呼び、
この安息日には、人間の娯楽には手を出さずである。
安息日を喜びの日と認めて行い。
主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、
神の聖日には神をあがめて、そのおきてを守りである。
これを尊んで、おのが道を行わず、
おのが楽しみを求めず、
神を尊び、己の道は行わず、
己の楽しみごとをなさずである。
これが安息日の守るべき生活のパターンなのだが、
はたして守る者がどれだけいるかと問いたくなるのである。
それを厳守しないのだから、規定で断たれるのはその記されている意味の厳罰なのだ。