その人物が定められた「主の道」
12:32これはメシヤ(膏注がれたる者)なり。至高者、彼を終まで保ち給はん。彼はダビデの裔より起り、來りて彼らにものいひ、彼らをその不義とその不正との故に誡め、彼らの前にその耻づべき行爲を山の如くに積み重ねん。
12:33かれ初は彼等を生けるままその審判に臨ませ、これを責めて後、彼等を滅ぼさん。
12:34彼はわが民の殘れるもの、卽ちわが國の境の内なる亡ぼされざりし者を憐みて救はん。又彼は、終末の時、卽ちわが前に汝に語りし審判の日來るまで彼等を喜ばしめん。
12:35これは汝の見し夢とその説明なり。
12:36汝のみ至高者の祕密を知るに相應し。
12:37されば汝の見し此等のすべての事を書に認めてその書をひそかなる處に匿せ。
12:38而して汝民の内の聰き者、卽ち之等の祕密を心の中に藏めて守り得る人々に之を教へよ。
記されているその事実
29:29隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。
しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、
われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。
※未来の意味が語られており、その人物の呪いの中に入ることが記されている。
29:14わたしはただあなたがたとだけ、この契約と誓いとを結ぶのではない。
29:15きょう、ここで、われわれの神、主の前にわれわれと共に立っている者ならびに、
きょう、ここにわれわれと共にいない者とも結ぶのである。
((それは)おまえがおまえの神・主の契約に入り、おまえの神・主が今日、
おまえと契約するその方の呪いの中に入るためであり)
※()書きはギリシャ聖書翻訳版の言葉。
その呪いというのがイエスキリストを
十字架にかけた意味合いの真実が隠されていることがある。
※ここからはホームページにしるされている言葉
※要するにこの世に生きているすべての者との契約の意味である。
4:1主は言われる、「イスラエルよ、
もし、あなたが帰るならば、
わたしのもとに帰らなければならない。
もし、あなたが憎むべき者を
わたしの前から取り除いて、ためらうことなく、
4:2また真実と正義と正直とをもって、
『主は生きておられる』と誓うならば、
万国の民は彼によって祝福を受け、
彼によって誇る」。
※かつてはその存在をサタンと言っていたこと、
そして心でそれを憎んでいたころがあるのだが、
示されている意味を知れば、それは神を意味していたことを悟り、
「主は生きておられる」というのが私の認める事実である。
48:8あなたはこれを聞くこともなく、知ることもなく、
あなたの耳は、いにしえから開かれなかった。
わたしはあなたが全く不信実で、
生れながら反逆者ととなえられたことを
知っていたからである。
48:9わが名のために、わたしは怒りをおそくする。
わが誉のために、わたしはこれをおさえて、
あなたを断ち滅ぼすことをしない。
48:10見よ、わたしはあなたを練った。
しかし銀のようにではなくて、
苦しみの炉をもってあなたを試みた。
※神の試みられ試練を受けたことは私自身も心より認める。
48:11わたしは自分のために、自分のためにこれを行う。
どうしてわが名を汚させることができよう。
わたしはわが栄光を
ほかの者に与えることをしない。
48:12ヤコブよ、わたしの召したイスラエルよ、
わたしに聞け。
わたしはそれだ、わたしは初めであり、
わたしはまた終りである。
48:13わが手は地の基をすえ、
わが右の手は天をのべた。
わたしが呼ぶと、彼らはもろともに立つ。
48:14あなたがたは皆集まって聞け。
彼らのうち、だれがこれらの事を告げたか。
主の愛せられる彼は
主のみこころをバビロンに行い、
その腕はカルデヤびとの上に臨む。
48:15語ったのは、ただわたしであって、
わたしは彼を召した。
わたしは彼をこさせた。
彼はその道に栄える。
48:16あなたがたはわたしに近寄って、これを聞け。
わたしは初めから、ひそかに語らなかった。
それが成った時から、わたしはそこにいたのだ」。
いま主なる神は、わたしとその霊とをつかわされた。
48:17あなたのあがない主、イスラエルの聖者、
主はこう言われる、
「わたしはあなたの神、主である。
わたしは、あなたの利益のために、あなたを教え、
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。
48:18どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり、
48:19あなたのすえは砂のように、
あなたの子孫は砂粒のようになって、
その名はわが前から断たれることなく、滅ぼされることはない」。
48:20あなたがたはバビロンから出、
カルデヤからのがれよ。
喜びの声をもってこれをのべ聞かせ、
地の果にまで語り伝え、
「主はそのしもべヤコブをあがなわれた」と言え。
※わたしはわが栄光を
ほかの者に与えることをしない。と言っていること。
あなたを導いて、その行くべき道に行かせる。と言っていること。
どういうことか、聖書とそのほかの聖なる書物に記されている
その人物が定められた「主の道」を歩むことである。
これの意味がその身を一番低い位置に落としてまで、
その在り方を問う、神の問いかけなのである。
その人生を歩まなければ、実際の言葉では、
誰もこの世にすむ者は助かることができないとあるからだ。