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主なるもう一人のわたしは、わたしの重要なる意味を悟らせた。

今は聖書の言葉を知り、その真実と向かい合う。

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4:1主は言われる、「イスラエルよ、

もし、あなたが帰るならば、

わたしのもとに帰らなければならない。

もし、あなたが憎むべき者を

わたしの前から取り除いて、ためらうことなく、

4:2また真実と正義と正直とをもって、

『主は生きておられる』と誓うならば、

万国の民は彼によって祝福を受け、

彼によって誇る」。

※わたしはその意味を悟り、恥じてその意味を認めた。

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2012年7月のGREEの日記に記していたその伝えるべき言葉を明かす前。

こう伝えていた。


私は以前より、その言葉を口にすることを避けている。


果たして、過去の偉大な人物と同じ役目を担うなら。


たった、一人だけであるが。


正真正銘、サタンの誘惑を受けることになる。


やはり、運命的な事実を知ることになる自分が、正直であるが、驚愕の心であることは言うまでもない。


その全貌を知り、その孤独に耐えるしかない。


この事実を、すべて話せば、人々の反応は一部をおいて、ほとんど理解は皆無である。


それが、現実である。


実際、母でさえ、とても嫌がる事実なのだ。


とても困惑し、気持ちが揺れ動くのが手に取るように理解できる。


過去なる偉人であるイエスの、兄弟らも、イエスの言動に関しては、信用していなかったという記述を知ることができた。


やはり、そんな状況に置かれている自分と共通している苦しみがある。


それが普通なのか。


最終的な、役目を遂行する時に、自分はどう思うのだろう。


その救済の方法を、心から模索しているが、まだ答えは見つかっていない。


なぜ、法律や国家運営に惹かれるかが理解できた。


すべては、完全に仕組まれた「試練」。


なぜ、恨み、辛み、その他の煩悩を断ち切るか、その意味の全貌が2012年に完成しつつある。

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2012年の頃の想い、これから一年の経過したころにわたしは運命の禁ずべき断食の食事で神を受け入れる準備をしたのだが。


それから3年間はとてつもない試練の年で、人類に猶予を与えたりした。


猶予を与えるということは己の立場の大変さを延長することになる。


神の苦汁の日々、こう記されている真価にわたしは、人類へ対する寛容を思い出したかもしれない。

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30:5神の言葉はみな真実である、

神は彼に寄り頼む者の盾である。

30:6その言葉に付け加えてはならない、

彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。

30:7わたしは二つのことをあなたに求めます、

わたしの死なないうちに、これをかなえてください。

30:8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、

貧しくもなく、また富みもせず、

ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。

30:9飽き足りて、あなたを知らないといい、

「主とはだれか」と言うことのないため、

また貧しくて盗みをし、

わたしの神の名を汚すことのないためです。

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そして2013年の頃の日記を振り返る。


わたしは、たった一人だけ、そのサタンとの遭遇を伝えた人物を間違えた。


今も堕落したまま、修正の効かぬ友である。


ここまで、辛抱強く教えて来たが…。


馬の耳に念仏であった。


この友に、その事実を伝えた2日後に、育ての父は天に旅立った。


そうでなくても、事実上、わたしはサタンを憎んでいる。


人類の敵である。


このまま、友の意識が修正を出来ないのであれば…。


滅びの民になるとは言ってあるのだが。


本気にはしない。

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この時の日記の一人のGREEの友人の言葉に今見て、考えることがある。


鋭い言葉だと認めるのだ。


彼はこう言っていた。

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こんばんは


サタンは憎むべきものなんですかね


憐れむことはあれども、憎んではサタンと同じかも知れません。


サタンは元は天使です。


サタンは自分の中にもあります。


仏教で言えばダイバダッタを憎むか?受け入れるか?


と云うことではないでしょうか。

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今考えるとはっとする言葉である。


このころはその存在に憎しみを抱き、そして十字架の真実を悟り、そのかかわった人々の意味に憎しみを抱き、何となく意識は誤った方向に向かい、真相を見ようとはしなかった。


やっと、新約聖書の意味を見てみようかなと思い、それからパウロの書簡を承認して、それから意味を一気に悟り今日に至る。


わたしは知らずに、自分自身の意味の主を憎み、愚かにもその行いは善ではなかったかもしれない。


やがて真相を知ると、逆に恥じ入る気持ちがこの心に生まれると、人々に対しても寛容の心を持たねば意味がないと思うようになったのである。


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