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触れて 融けて 流れて 消えて。  作者: 篠宮 楓


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16/21

其の肆

 師走の大晦日。

 夜遅くまで騒ぐひとびとを、喜楽が楽し気に見遣っている。さすがにこの寒さの中、桜のもとへと来るような酔狂なひとはいないようだが、公園の外を行きかう活気は冬の季節の中で特別なもの。

『主さま、年を越したら春が近づくね』

『あぁ、そうだな。早く暖かい季節が来てほしいよ』

『ばばくさーい』

 あははと笑いながら土の精霊を抱っこした喜楽が、くるりと宙で一回りする。

 きゃっきゃと嬉しそうな声を上げて楽しんでいるのは、土の精霊。彼の名は、朔。喜楽がそう名付けた。

『喜楽と朔は、寒くないの? 元気だねぇ』

 感じる温度はひとよりは鈍いかもしれないが、それでも体のある精霊にとっては感じられる天候だ。確かに、私のように本体が現実に存在している精霊よりは、寒くないだろうが。


 喜楽と朔は顔を見合わせると、にぱぁっと笑った。


『全然!』


『あぁ、そう』


 やはり、年の差なのかもしれない。



 月明かりの下、楽し気に遊ぶ二人を枝に座って見遣りながら、私は深くため息をついた。ゆっくりと腕を持ち上げて、風に揺れる袿の袖を……そこから延びる自分の手を見る。

 随分と、力が減った。

 腕力ではなく、精霊を象どっている力の源。私の場合は桜の木だが、この本体の生命力が消えつつあるのだ。

 それに気がついたのは、夏の頃。

 花を咲かせそして散らし、力を蓄えていくべき夏の季節。本体である桜の木は、その力を蓄えることができなかった。長い年月生きてきたこの体は力を蓄えることができず、ほとんどが零れ落ちていってしまった。


『森の主さまも……』

 微かに声を出して、呟く。

 森の主さまも、きっと感じたに違いない。本体が、大楠が、終わりを迎えてきていることを。だからこそ、最初は憤り、嘆き、最期は諦め穏やかに逝ったに違いない。

 長い時を生きる精霊だって、消えることを従容と受け入れることはできない。

 自分という存在が、この世界から消えてしまう。

 恐怖と、悲しみと、そしてその原因を探して憤る。


 けれど、暫くたつとそれを穏やかに受け入れようとする心に変わっていく。

 私にも、今、感じることができている。

 終わりの向こう側に、穏やかな場所が待っていることを。それがいったい何なのかわからなかったけれど、森の主さまの欠片に触れてやっと納得した。


 終わりの向こう側に、森の主さまの温かさを感じることができたから。きっと、私を待っていてくれると思えたから。


 だから、終わりを、受け入れられる。



『……こうやって』



 腕を下ろして、空を見上げる。街灯のせいで真っ暗になりきれない夜空に、それでも光る遠い星。冬は寒くて苦手だったけれど、それでも澄んだ空気が見せてくれる一番の星の灯りはとてもお気に入りだった。

 

 こうやって、世代交代をしていくんだ。

 私が消え桜が枯れたら、この場所がどうなるかわからない。ひとの憩いの場なのだから、新しい木が……精霊がやってくるかもしれない。

 喜楽や朔も、ここで楽しく生きていけるはず。

 もし木が植えられなくても、場所に囚われない喜楽と幼い朔ならばここではない住みやすい何処かへ行くことができる。


 せめて、次の春。桜を咲かせてひとびとの笑顔を見て還りたい。少しでも、心に残して欲しい。 




 消えゆくだろう自分を、脳裏に思い浮かべていた。

 そこに。覚えのある、気配が混ざりこむ。

 ゆっくりと視線を向ければ、公園の入り口からまっすぐに私を見て歩いてくる男の姿。


「こんばんは」


 聞き覚えのある、否、聞きたかった声が微かに耳に届いた。

『一志』

 私に向け、言われる挨拶。お前は、私に失望して来なくなったのではなかったの? なぜ、今になってまた……。


 一志は見えていない存在に気付いているかのように、私のいる枝の下に立ってこちらを見上げた。変わらない一志の態度に、私の方が居心地悪く感じる。

「前は、すみませんでした」

 一志は、突然頭を下げた。傍から見れば、木に向かって頭を下げて謝る人。

『こいつ、どうしたの……?』

 喜楽でさえ、変な人を見るような胡乱気な視線を一志に向けている。しかし止めたくても、止めるすべはない。

 どうしたものかと半ば呆然としたまま一志を見下ろしていたら、彼は頭を上げて再びこちらを見上げた。

「前は、無理を言って本当にすみませんでした。でも、俺の話を受け止めてくれていた見えない誰かに甘えたくなってしまったんです」

『甘えてたのか』

 思ってもみなかったことを言われてオウム返しのように呟けば、喜楽が『甘えてたじゃん』とぶつぶつ文句を言う。

 朔にとっては初めて見る一志で、なぜ喜楽の機嫌が悪くなったのか、逆に私の機嫌がよくなっているのか分からずにきょろきょろと視線を動かしていた。


「あれから、考えました。だって、俺には祈る事しかできないと思ってたから。兄さんの手術も、彼女の願いも。でもそれだけじゃなくて、自分も何かできないかと。非現実的な事でもいい、ほんの少しの糸にも藁にも縋りたくて」


 一志は、徐に桜の木に手を触れた。

 温かい何かが、私の身に沁みてくる。


「好きなもの断ちをしていました。俺にとっては、この桜の木で。癒してくれていた、俺には見えないあなたです」

『……』


 何も言うことができないまま、一志を見つめる。

 見えていないのに、存在を肯定されている不思議。そして、それ以上の、嬉しさ。


「意味がないものだと、わかってます。所詮は、自己満足でしかない。それでも、前よりは……あの時の自分よりは兄さんと彼女に向かい合うことができると思います」


 あぁ、この男は。

 やはり、他人のために祈るのか。他人の為に、自分の行動を制することができるのか。


「兄さんの手術が終わったら、また来ます。ありがとう」


 一志の手が、幹から離れる。感じていた温かい力が、ふっと引いていった。一志は名残惜しそうに私の方を見遣ると、公園の入り口から聞こえてきた親子連れの声に押されるように踵を返して出て行ってしまった。


 残されたのは、喜楽と朔と桜の木。そしてもういない一志の後ろ姿を見つめている私。



『一志……』


 思わず呟いた声に、喜楽が傍に寄ってくる。

『あの男、主さまのことが本当に好きなんだね』

 顔を上げれば、面白くなさそうに口を尖らせる喜楽の顔。

『主さまも、好きなんだね。なんかむかつくなぁ』

『むかつくって、お前……』


 喜楽は朔を私の傍に座らせると、だってさー、と腰を下ろした。


『主さま、初めて見る顔してる。あの男に自分を見て欲しいんでしょ。いままで、そんな事なかったのにさ』

『喜楽……』

 前と違う態度に、聊か驚く。あれだけ一志を毛嫌いしていたのに。

 喜楽は私の声に、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

『だって、好きなもの断ちなんてそんな辛い事しなきゃいけないほどの願いなんでしょ? 俺にはできない』

『お前は、楽しみ喜ぶ感情の精霊だからね……』

 感嘆するところはそこかと喜楽の言葉に突っ込みをいれれば、なんの衒いもなく頷いて立ち上がった。

『そうだよ! さて、出かけてこようかな!』

 朔の手を取って宙に飛ぶと、くるりと一回り。


『主さまには笑っててほしいんだ! 一志がまた来るといいね!』



 そう言って、笑い声をあげた。






 そうだな。

 私もお前達が笑っている姿が、一番好きだよ。

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