最終話:曲拓人は帰れない
皆さんこんばんは。
ついに最終話です。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
……と、普通ならここでちょっとしんみりしつつも真面目なご挨拶をするところなのでしょうが。
やめます。
なぜなら、この作品は『最強の帰宅部』だからです。
最後まで帰宅します。
さて。
最終話。
曲拓人は、帰れるのでしょうか。
……。
…………。
帰れるといいですね。
何しろ彼は、帰るために生きていますから。
プリンも待っています。
家族も待っています。
そして何より――
本人が待てません。
それでは皆さん。
最後の帰宅に、どうぞお付き合いください。
……ちなみに作者も、これを書き終えたら帰ります。
何処へ?
知りません。
とりあえず帰ります。
最終話。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
その日の朝、空はすでにブチギレていた。
午前中から「雨が降っている」という生易しいレベルではなく、雲のモラルが崩壊したとしか思えない放水がノーカットで継続されている。
校庭は瞬く間に海洋生物の養殖が可能なレベルの塩分を含まない内海へと変貌を遂げ、サッカーゴールは完全にプレシオサウルスを模したオブジェと化していた。
「すげえな、もう水泳部のプールまで移動する必要ねえじゃん」
窓の外の濁流を眺めながら、誰かが絶望の呟きを漏らす。
――今日、本当に帰れるのか?
その不吉なワードが教室の空気に溶け込んだ瞬間。
曲拓人の瞳孔が、カメラのシャッター速度にして1/8000秒のスピードで収縮した。
午後四時十五分。
運命の終業チャイムが響き渡る。
キィィィン……コォォォン……カァァァン……コォォォン……
拓人は音速の二歩手前の起動トルクで立ち上がり、愛用の鞄を右肩にひっ掛け、椅子を物理法則スレスレの角度で弾き飛ばした。
一直線に教室の扉へ向かう。
帰る。
それ以外の選択肢は、拓人の脳内ハードディスクのどこをどう逆立ちしても存在しない。
だが、その神聖なる進撃路に、冷酷な電子音声が割り込んだ。
「――全校生徒に告ぐ」
校内放送のスピーカーが、バリバリと耳障りなノイズを吐き出す。
「現在、線状降水帯が本地域一帯を覆っており、気象庁より大雨特別警報(レベル5相当)が発表されています。周辺道路の冠水も確認されており、校舎から出るのは大変危険な状態です。安全が確認されるまで、全校生徒は校内で待機してください」
「…………」
静寂。
次の瞬間、教室は地獄のような悲鳴に包まれた。
「うおおおおい! チャリが流されたぞ!」
「帰れない! 俺の家、標高低いから絶対浸水してる!」
「助けてママン!」
その阿鼻叫喚の只中で、曲拓人だけが完全に硬直していた。
立ち上がった姿勢のまま、両手で鞄を握りしめたまま、彫像のように動かない。
「……待機?」
隣の席の男子が、青い顔で拓人を見上げる。
「おい曲、聞いたか? 帰れねえってよ」
拓人の唇が、かすかに震えた。
「……冗談だろ」
「いや、教頭の本気ボイスだったぞ。外見ろよ、あんなんもうボートの出番だろ」
拓人は、スローモーションのように首を回し、窓の外を見た。
見渡す限りの濁流。流れていくスナック菓子の袋。どこかの部活の部室から漂着したと思われる丸太。
――無理だ。
「……俺が……帰れない……?」
――それは。
曲拓人、生誕十六年で初めての体験だった。
曲拓人が、自らの意思ではなく、大自然の暴力によって強制的に「帰宅拒否」を言い渡された瞬間だった。
ガタガタガタ……と、彼が握りしめていた鞄の金具から、悲鳴のような金属音が響く。
◆
地獄の待機時間が始まった。
午後四時二十三分。
窓の外を見る。――まだ滝のように降っている。
午後四時三十七分。
窓の外を見る。――むしろ水かさが増してないか?
午後四時五十二分。
窓の外を見る。――魚が跳ねた気がする。幻覚か?
午後五時十一分。
窓の外を見る。――無心。もはや悟りの境地。
「…………」
拓人は机に突っ伏し、額で木目の机を叩き割らんばかりの勢いで悶絶していた。
帰りたい。
ただ家へ帰りたいだけなのに。
陸上部の西島が、生気の抜けた顔で近づいてきた。
「おい、曲。しっかりしろ。お前、さっきから三途の川の向こう側を覗き込んでるぞ」
「帰れない……」
「知ってるよ、外はアマゾンだもん」
「帰りたい……」
「だから諦めろって。お前、今まで何でもかんでも気合で乗り切ってきたツケがここで回ってきたんだよ。天罰だな」
西島はふと、真顔になった。
「なあ、曲。前々から聞きたかったんだけどさ」
「……何だよ」
「お前は、何のために帰るんだ」
拓人は、窓の外の濁流をじっと見つめたまま、静かに口を開いた。
「愚問だな」
「あ?」
「そこに家があるから、帰る。それだけだ」
西島は数秒、真剣な顔で拓人を見つめていた。
何か、とてつもなく深い覚悟のようなものを、その横顔から感じ取ったのかもしれない。
「……お前、たまにマジでカッコいいこと言うよな」
「だろ」
「いや待てよ、それただ『家があるから帰る』としか言ってねえな!? 当たり前だろうが!」
「うるさい、西島。お前だって内心、陸上部の倉庫に泊まる覚悟決めてるだろ」
「仕方ねえだろ! あそこには跳び箱のマットがあるんだよ!」
拓人は絶望に顔を歪めた。
相手が悪すぎた。
地球である。
詰みだった。
◆
午後五時四十三分。
沈黙を保っていた拓人のポケットの中で、スマートフォンがけたたましく振動した。
画面を見る。
妹からのメッセージだった。
【今日、冷蔵庫に高級なプリンが【2個】あるよ。私が先に帰るから、さっさと帰ってこないとお兄の分、先に食べちゃおっかな】
「…………っ!!」
拓人の瞳孔が、再び爆発的なエネルギーを得て全開になった。
プリン。
それも【2個】。
しかも、明確な脅迫。
「いかん……!」
拓人は即座に立ち上がり、教室の教壇へ突撃した。
「先生!」
「なんだ急に、怖い顔して」
「帰ります」
「外見ろ、まだ魚が泳いでるぞ」
「関係ない! 俺は今すぐ家路につかねばならない!」
「物理的に溺死するから席に戻れ!」
「くっ……!」
拓人は力なく教壇から引き剥がされ、自分の席にうなだれて沈没した。
再びスマホの画面を点ける。
【今日、冷蔵庫に高級なプリンが【2個】あるよ。私が先に帰るから、さっさと帰ってこないとお兄の分、先に食べちゃおっかな】
消す。
点ける。
【今日、冷蔵庫に高級なプリンが【2個】あるよ。私が先に帰るから、さっさと帰ってこないとお兄の分、先に食べちゃおっかな】
「ぐぬぬぬぬ……!」
西島が恐る恐る覗き込む。
「何だ、そんなにヤバいニュースか?」
「妹が……俺のプリンを人質に取った」
「……お前の家の冷蔵庫事情、毎回シリアスすぎないか?」
「今日ばかりは俺が命がけで回収しなきゃいけないんだ。なのに……なのにこの雨はなんだ! 俺の帰宅権を侵害する気か!」
「お前が自然界にブチギレても天気予報士しか困らないぞ」
西島は同情するように拓人の肩を叩いた。
「諦めろ、曲。お前に足りないのは『待つ技術』だ。走ることしか能のないお前への、神様からのいいお仕置きだと思って、今日は校内で大人しく座ってろ」
「待つ……?」
拓人はその聞き慣れない単語を反芻した。
走らないこと。急がないこと。
目的地を目前にしながら、ただ時間経過を傍観すること。
そんな概念は、拓人の辞書には「人生の無駄遣い」という見出しで大きく赤字で記載されていた。
「……耐えるしかないのか」
拓人は窓の外の濁流を睨みつけながら、深いため息をついた。
◆
そして――。
地獄のような待機タイムが延々と経過し、時計の針が午後六時五十五分を指した頃。
奇跡が起きた。
ピタッ、と、まるで誰かが劇場の照明を落とすように、上空からの猛烈な放水がピタリと止んだのだ。
校内放送が再び響く。
「――大雨警報が解除されました。現在より、全生徒の下校を許可します。ただし、足元に十分注意して帰宅してください」
その瞬間。
教室の空気が爆発した。
「っしゃあああああ!!」
「帰れるぞおおい!」
同級生たちが一斉にざわめく中、誰よりも速く動いた男がいた。
ドゴォッ!!
拓人の座っていた椅子が、あまりの初動の爆発力に耐えかねて後方のロッカーへと激突し、粉々(に見えるほどの勢いで)吹き飛んだ。
「帰る!!」
「待て曲! まだ水溜りが……!」
「そんなの関係ねえ!!」
拓人は廊下へ飛び出した。
三階の階段を、もはや重力を完全にハッキングした機動力で駆け降りる。
昇降口。
ローファーに履き替える暇すら惜しみ、サンダルのまま校庭へダイブ。
水深二十センチの水溜り。
拓人の『ガチ帰宅フォーム』から放たれる衝撃波は、水面に巨大な水飛沫のクレーターを次々と生み出した。
「誰も俺の帰宅を阻むことはできん……!!」
◆
ガチャリ。
「ただいまぁぁぁぁぁっ!!」
勢いよく玄関の扉をブチ破り、拓人はリビングになだれ込んだ。
息を荒げ、服の裾から水滴をポタポタと垂らしながら、冷蔵庫へと直行する。
ガバッ! と冷蔵庫の扉を開け放つ。
あった。
最下段の特等席に、黄金色の輝きを放つ『極上なめらかプリン』が、誇らしげに二つ並んで鎮座している。
「ふう……っ!」
拓人はその場に崩れ落ちるように膝をつき、両手でプリンの容器を包み込んだ。
生還した。
「あ、お兄ちゃん。おかえり」
リビングのソファから、妹がのそのそと顔を出した。
「ずいぶん遅かったじゃん。もっと早く帰ってくるかと思ったのに」
「……お前、先に帰ってたのか」
「うん、とっくに」
拓人は冷蔵庫の中の、無事に二つ並んだままのプリンを見た。
脅しておいて、結局、手を出さずに待っていたらしい。
「食べなかったのか」
「だって、先に食べたらお兄ちゃんが可哀想じゃん」
妹はそう言って、けらけらと笑った。
「……色々あったんだよ。地球と戦っていた」
ふふっ、と拓人は不敵な笑みを浮かべ、プリンを一つ妹に突き出した。
「ほら、やるよ」
「え、いいの?」
「待っててくれた分だ。ありがたく味わえ」
「やったー!」
拓人はもう一つのプリンの蓋を剥がし、付属のカラメルソースをこれでもかと回しかけた。
スプーンですくい、口に運ぶ。
「……うまい」
あの絶望的な待ち時間、そして嵐の中を疾走した疲労が、甘くとろける濃厚なカスタードの旨味に溶けていく。
――待つことは、苦痛だった。
走れない時間は、拓人にとって死刑宣告よりも退屈だった。
だが、今こうして妹に一つ分け与えられたのは、たぶん、あの何もできない二時間半が拓人の中に置いていった、ささやかな置き土産なのかもしれない。
考えても、よく分からなかったので、拓人はそれ以上考えるのをやめた。
「……まあ」
拓人は空になったプラスチック容器を眺めながら、満足そうに息を吐いた。
思えば、ずいぶん変な日々だった。
西島に挑まれ、味元を転ばせ、河本を絶望させ、部活対抗リレーで校内新記録を出したかと思えば、今日は地球相手に完敗した。
誰にも所属せず、誰の期待も背負わず、ただ「家に帰りたい」という一点だけで突っ走ってきた。
それだけの一年だったはずなのに、なぜか今日だけは、妹に差し出したプリンの分だけ、少しだけ何かが増えている気がした。
まあ、それが何かは、言葉にするほどのことでもない。
「やっぱり、帰れるなら最速で帰るに限るけどな!」
拓人は立ち上がり、窓を開けた。
雨上がりの夕日が、これから始まる明日の放課後へ向けて、世界を黄金色に染め上げている。
明日もチャイムが鳴る。
明日も彼は走るだろう。
誰よりも速く、何よりも早く。
ただ――今日みたいに、たまには立ち止まる日があってもいい。
そのことだけは、確かに分かった気がした。
帰宅部、曲拓人。
彼の帰り道は、まだ終わらない。
――了――
〜楽屋裏〜
全5話、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
……と、ここで綺麗に締めくくると思ったそこのあなた。
甘い。甘すぎますよ?
あ、あとね、間違っても皆さん、明日は更新ありませんからね★
「え?」
と思った方。
はい。
ありません。
最終話ですから。こちら。
え?
「でも、もう一回全話読み直したい?」
……。
いい心がけだ!!
そうです。
その調子です。
是非とも第壱話から、もう一度どうぞ。
プリンを食べるために爆走する拓人。
部活対抗リレーを華麗にぶち抜く拓人。
なぜか老若男女にモテる拓人。
そして、ひたすら報われない西島。
最後に――
帰れない拓人。
……こうして並べてみると、何の話だったんでしょうね。
作者にも分かりません。
ただ一つ確かなことがあります。
曲拓人は、最強でした。
そして私は、全力でふざけました。
ここまで読んでくださった皆さま。
笑っていただけたなら幸いです。
「なんだこれ」と思っていただけたなら、それもまた幸いです。
そして、うっかり最後まで読んでしまったあなた。
おめでとうございます。
あなたも立派な帰宅部員です。
……さて。
最終話まで書き終えたことですし、私は帰ります。
どこへ?
決まっておりますよ。
家です。
では皆さん。
それではまたどこかでお会いできましたら、そのときはよろしくお願いいたします。
……あ。
明日は更新ありませんからね★
本当にありませんよ?
チチンプイプイ★




