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異界への墜落と奇妙な出会い

インドネシアの熱帯雨林は、いつも湿気に満ち、生き物の声で賑やかだった。蝉の鳴き声、遠くで響く猿の叫び、そして足元でガサガサと音を立てる落ち葉。レイハンにとって、ここは第二の故郷だった。幼い頃から武術に打ち込んできた彼にとって、この森は最高の訓練場であり、瞑想の場でもあった。


「ふう……」


深い呼吸と共に、レイハンはシラットの型をゆっくりと終えた。彼の体から蒸気が立ち上る。額からは汗が流れ落ち、首筋を伝ってTシャツに染み込む。だが、その顔には一点の曇りもなく、むしろ充実感が漂っていた。シラットは単なる格闘技ではない。それは精神と肉体を鍛え上げ、自然との調和を求める生き方そのものだった。


その日もいつもと同じように、彼は森の中で稽古に励んでいた。木々の間を縫うように、しなやかで力強い動きを繰り返す。彼の動きには無駄がなく、流れる水のようでありながら、岩をも砕くような鋭さを秘めていた。


その瞬間だった。


空が、裂けた。


いや、正確には裂けたように見えた。巨大な紫色の亀裂が、彼の頭上に突然現れたのだ。それはまるで空間そのものが引き裂かれたかのような異様な光景で、そこから恐ろしいほどの吸引力がレイハンを襲った。


「な、なんだ!?」


体が浮き上がる。根を張ったかのように地面に立っていたはずのレイハンは、抗う間もなくその亀裂へと吸い込まれていく。強烈な光と耳をつんざくような轟音が彼の意識を奪い去った。


「うわあああああああ!」


意識がブラックアウトする直前、彼の脳裏をよぎったのは、故郷の家族の顔と、まだ見ぬ明日への漠然とした希望だった。


次に目を開けた時、彼は見知らぬ森の中にいた。


異世界の森


「うっ……」


頭がガンガンする。体中に鉛を流し込まれたような重い倦怠感が広がり、レイハンはゆっくりと体を起こした。


まず最初に感じたのは、異常なほどの静寂だった。インドネシアの森の喧騒とは異なり、ここには風が木々の葉を揺らす音と、遠くで聞こえる名も知らぬ鳥の鳴き声しかしない。空気はひんやりとしていて、どこか清浄な匂いがする。


周囲を見渡す。見たことのない種類の巨大な木々が空高くそびえ立ち、その葉は見たことのない鮮やかな青や紫に輝いていた。足元の草はまるで宝石のようにきらめき、地面には不気味なほど発光するキノコが群生している。


「……夢、なのか?」


そう思いたかった。しかし、体の痛みと、五感を刺激する全てが、これが現実であることを突きつけてくる。


立ち上がろうとした瞬間、足元に違和感を感じた。視線を落とすと、彼の普段着であるTシャツと短パンの足元に、見慣れないブーツが履かされていた。さらに、腰には見たことのない革製のポーチがぶら下がっている。


ポーチの中には、手のひらサイズの水晶のようなものと、数枚の銀貨、そして見慣れない言語で書かれた紙切れが入っていた。


「まさか……」


嫌な予感がする。頭の中に、以前読んだことのある日本の小説のタイトルがよぎった。『異世界転生』。


「そんな馬鹿な……」


思わず声に出したが、誰も答える者はいない。彼の心臓が、ドクン、と大きく脈打った。


とりあえず、状況を把握するために周囲を歩き始めた。森の奥へと進むにつれ、空気は一層神秘的なものへと変化していく。どこからともなく聞こえる不思議な歌声のようなもの、地面に浮かぶ淡い光の粒子。明らかに、ここは彼が知る地球ではない。


どれくらい歩いたか分からない。ふと、遠くから何かの叫び声が聞こえた。それは人間のものとも、獣のものともつかない、形容しがたい悲鳴だった。


レイハンの武術家としての直感が警鐘を鳴らす。危険だ。しかし、同時に、助けを求める声である可能性も捨てきれない。彼は迷った末、声のする方へと足を向けた。


影狼との遭遇


音の元に近づくにつれ、複数の声が混じり合う音が聞こえてきた。荒い息遣い、金属がぶつかる音、そして断続的な悲鳴。どうやら何かが戦闘を行っているらしい。


木々の陰から覗くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。


三体の、影のような黒い狼が、一人の少女を追い詰めているのだ。狼は全身が闇でできており、目は赤く光っている。その爪は岩をも引き裂きそうなほど鋭く、口からは腐食性の液体が滴り落ちていた。


少女はローブを纏い、片手に杖を持っていた。彼女の周りには、使い物にならなくなったのか、火花を散らしてショートしている魔法陣のようなものが複数散らばっている。どうやら彼女は魔法使いのようだが、魔力を使い果たしたのか、あるいは狼の攻撃で詠唱を妨害されているのか、満足に反撃できていないようだった。


「くっ……!」


少女が歯を食いしばり、最後の力を振り絞って杖を構える。しかし、その動きは遅く、一体の影狼がすでに彼女の背後に回り込んでいた。鋭い爪が振り下ろされる。


その瞬間、レイハンの体は考えるよりも早く動いていた。


「やぁっ!」


木の枝を蹴り、彼は影狼の前に躍り出た。そして、振り下ろされる爪を、素手で受け止めた。


「なっ!?」


少女が驚きの声を上げる。影狼の爪は金属のように硬く、常人ならば骨が砕かれるか、肉が引き裂かれるかするだろう。しかし、レイハンはシラットで鍛え上げた手刀でその攻撃を払い、そのまま狼の腕を掴み取った。


「フンッ!」


彼は影狼の体を回転させ、そのまま地面に叩きつけた。シラットの技、「バンダル(Banting)」。柔術にも似た投げ技で、相手の重心を崩し、その力を利用して地面に叩きつける。


影狼は悲鳴を上げ、地面に激突した。全身が煙のように揺らぎ、不気味な黒いオーラが周囲に拡散する。


「まさか、素手で……!?」


少女の驚愕した声が聞こえる。しかし、レイハンはそれに応えることなく、残りの二体の影狼へと向き直った。


影狼は、仲間が投げられたことに怒ったのか、同時にレイハンへと襲いかかってきた。その動きは俊敏で、予測不能な軌道を描く。


「遅い!」


レイハンは右手の影狼の攻撃を紙一重でかわし、そのまま相手の肩へと踏み込んだ。シラットの**「プンクル(Pukul)」**、打撃技だ。しかし、彼はただ殴るのではない。体の重心を完全に移動させ、全身の力を一点に集中させる。


ドンッ!


まるで金属製の盾を叩いたかのような鈍い音が響き、影狼の体が大きく吹き飛ばされる。その衝撃は目に見える形で周囲の空気を震わせた。


もう一体の影狼が、その隙を突いてレイハンの背後から飛びかかってきた。しかし、レイハンは背中に視線があるかのように、完全に動きを読んでいた。


くるり、と体を半回転させ、影狼の顎へと狙いを定めた。「ケニェック(Kenyek)」。シラットの基本的な足払い、あるいは蹴り技だが、彼のそれは尋常ではなかった。まるで鋼鉄の棒が振り抜かれたかのような破壊力を持つ。


ガキィン!


影狼の顎が砕けるような音を立て、その体が地面に叩きつけられる。二体の影狼は、地面で体を痙攣させ、やがて黒い霧となって消滅した。


残る一体の影狼は、起き上がろうとしていたが、レイハンは逃がさない。躊躇なく、その頭部に強力な肘打ちを叩き込んだ。「シク(Siku)」。


ズドンッ!


その一撃で、最後の影狼も霧散した。周囲に残ったのは、黒い煙と、少女の呆然とした顔だけだった。


レイハンはゆっくりと息を整え、両手の構えを解いた。


「大丈夫か?」


彼の声は、熱気を帯びた戦闘とは裏腹に、驚くほど冷静だった。


少女は、まだ完全に状況を理解できていないようだった。彼女は目を大きく見開き、レイハンと、影狼が消えた場所を交互に見つめていた。


「あ、あなたが……た、助けてくださったの?」


やっとのことで絞り出した声は、かすかに震えていた。


「ああ。怪我はないか?」


レイハンの問いに、少女はゆっくりと頷く。


「はい……かすり傷程度です。ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」


彼女の目は、警戒と、信じられないものを見た驚きと、そして感謝の入り混じった複雑な光を宿していた。


アリスと異世界の説明


少女は、アリスと名乗った。彼女は銀髪にエメラルドグリーンの瞳を持つ、可憐な印象の少女だったが、その腰には見慣れた短剣がぶら下がっており、先ほど魔法を使っていたことからも、ただの乙女ではないことが見て取れた。


「私は魔導士ギルドに所属する、しがない魔導士見習いです。まさか、こんな森の奥で影狼に襲われるなんて……助けていただいて、本当に助かりました」


アリスは深く頭を下げた。


「影狼、とは?」


レイハンが尋ねると、アリスは驚いたように顔を上げた。


「ご存じないのですか? この森によく出没する魔物です。影の魔力を纏っていて、物理攻撃が効きにくいとされています。だから、私が魔法で……って、あれ? あなた、なぜ素手で彼らを倒せたのですか?」


アリスは混乱しているようだった。影狼が物理攻撃に耐性がある、という事実に、レイハンは自身の戦いを振り返る。確かに、彼が倒した影狼は、最後に霧散する前にまるで物理的な衝撃で破壊されたかのような反応を見せていた。


「俺の武術は、普通の物理攻撃とは少し違うのかもしれない。力の伝え方とか、重心の移し方とか……」


レイハンは曖昧に答えた。シラットは単なる打撃や投げ技ではない。相手の体勢を崩し、急所を狙い、内部に衝撃を与えることも得意とする。影狼の防御が、そういった『内側への攻撃』には耐性がなかったのかもしれない。


アリスは首を傾げたが、深く追及することはしなかった。それよりも、彼女の頭には別の疑問が浮かんでいた。


「あなたは……どちらからいらっしゃったのですか? そんな奇妙な格好で、この森に一人でいるなんて……」


レイハンは、正直に答えるべきかどうか迷った。しかし、アリスが明らかにこの世界の住人であること、そして彼女が自分を助けてくれた恩人であることから、嘘をつくのは得策ではないと判断した。


「俺は……あんたの知ってる場所から来たわけじゃない。突然、ここに飛ばされたんだ」


レイハンがそう告げると、アリスの瞳が大きく見開かれた。


「まさか……! あなたは、異世界人イセカイジンなのですか!?」


「異世界人?」


アリスの口から出た言葉に、レイハンは聞き覚えのある響きを感じた。やはり、ここは本当に異世界なのだろう。


アリスは興奮した面持ちで、異世界について語り始めた。


「稀に、本当に稀にですが、他の世界から突然この世界に現れる人がいると、古文書に記されています! 彼らは異世界人と呼ばれ、通常、私たちには理解できない力や知識を持っていると……」


アリスはレイハンの武術を思い出し、納得したように頷いた。


「あなたのその、不思議な武術も、きっと異世界のものなのですね! 道理で影狼に効くわけです!」


レイハンは苦笑いを浮かべた。まさか自分が異世界人と呼ばれる日が来るとは思ってもみなかった。


アリスは続けて、この世界の基本的な仕組みを説明してくれた。


この世界の名は「アストラル」。大地にはマナ(魔力)が満ちており、人々はそのマナを使って魔法を操る。ギルドと呼ばれる組織があり、冒険者や魔導士が依頼を受けて魔物を討伐したり、探索を行ったりすることで生計を立てているという。


「あなたはまず、近くの街に行って、ギルドに登録することをお勧めします。異世界人であることは、すぐに広まるでしょうし、あなたのその戦闘技術はきっと重宝されます!」


アリスは瞳を輝かせて言った。


「街、か。どのくらいかかるんだ?」


「この森を抜けて、南へ半日ほど歩けば、『ルミナ』という街に着きます。私もルミナを目指していましたし、よろしければご案内しましょうか?」


アリスの提案に、レイハンは少し考える。見知らぬ土地で一人で行動するよりも、案内人がいた方がはるかに効率的だ。それに、彼女は恩人でもある。


「助かる。頼む」


レイハンが頷くと、アリスはにっこりと微笑んだ。彼女の笑顔は、この異世界の不安な状況の中、レイハンにわずかながらの安堵をもたらした。


森の脅威と連携


ルミナへの道中、アリスは積極的にこの世界の知識をレイハンに教えてくれた。魔物の種類、魔法の種類、この世界の文化、そしてギルドの仕組み。レイハンは黙って耳を傾け、一つ一つ頭に叩き込んでいく。アリスの説明は丁寧で分かりやすく、彼女が真面目な性格であることが伺えた。


「――それで、冒険者ギルドのランクはFからSまであって、Eランクまでは見習い期間なんです。Cランク以上になると、一人前の冒険者として認められます」


「なるほどな」


アリスは杖を片手に、時折周囲を警戒しながら歩いていた。彼女は先ほど影狼に襲われたばかりだというのに、もうすっかり冷静さを取り戻しているようだった。


「アリスは、何の魔法を使うんだ?」


レイハンの問いに、アリスは少し得意げに胸を張った。


「私は主に、炎系統の魔法と、身体強化の魔法が使えます。影狼には効きませんでしたが、普通の魔物なら、これで……」


彼女はそう言って、手のひらに小さな炎を灯してみせた。揺らめくオレンジ色の炎は、夜の闇を照らすランタンのようだ。


「すごいな」


純粋な感想だった。レイハンは地球で魔法を見たことがない。彼の知る「力」は、あくまで肉体と精神の鍛錬によって生み出されるものだったからだ。


その時だった。


ガサガサ、と大きな音が森の奥から響いてきた。地響きのような振動が足元から伝わってくる。


「あれは……!」


アリスが顔色を変えた。木々の間から、巨大な影が現れる。それは、まるで木々が意志を持ったかのように蠢く、歪んだ人型の魔物だった。全身が苔と蔦に覆われ、目は赤く光っている。


「トレント・ウィルム! この森の奥に住む、かなり手ごわい魔物です! 物理攻撃にも魔法攻撃にもある程度の耐性を持っていて……っ!」


トレント・ウィルムは咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げて襲いかかってきた。その一撃は、木々をなぎ倒すほどの威力がありそうだ。


「アリス、下がってろ!」


レイハンは瞬時に前に出た。トレント・ウィルムの巨体から放たれる圧倒的なプレッシャーにも臆することなく、彼は地に足をつけ、構えを取る。


「ですが、レイハンさん! あれは生半可な攻撃では……!」


アリスが叫ぶが、レイハンはすでに動き出していた。


トレント・ウィルムの腕が振り下ろされる。レイハンはそれを、シラットの独特なステップでかわした。「ランカ(Langkah)」。流れるような足運びで、彼はまるで影のように魔物の攻撃範囲をすり抜ける。


そして、トレント・ウィルムの側面へと回り込んだ。


「ここだ!」


レイハンは、トレント・ウィルムの根元、すなわち足元へと狙いを定めた。シラットの**「サパン(Sapuan)」**。低い姿勢から、相手の足元を払う技だ。彼は全身の重みを乗せて、魔物の太い足元を刈り取るように蹴り上げた。


ゴッドンッ!


巨体が揺らぐ。トレント・ウィルムはバランスを崩し、その重い体が傾いた。


「今です、アリス!」


レイハンの叫び声に、アリスはハッとする。彼女はすぐに杖を構え、魔力を集中させた。


「炎よ、全てを焼き尽くせ! フレイム・バースト!」


アリスが詠唱を終えると同時に、彼女の杖の先から巨大な火球が放たれた。それは、倒れかかろうとしているトレント・ウィルムの巨体に命中し、轟音と共に爆発した。


ドオオォンッ!


爆炎が森を照らし、熱波が周囲に広がる。トレント・ウィルムの巨体は炎に包まれ、やがて炭と化して崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ……すごい……!」


アリスは息を切らしながらも、その瞳は驚きに満ちていた。レイハンの連携がなければ、フレイム・バーストをここまで綺麗に命中させることはできなかっただろう。


「これで、おあいこ、だな」


レイハンはそう言って、アリスに手を差し伸べた。アリスは少し頬を赤らめながら、その手を取って立ち上がった。


「ありがとう、レイハンさん。あなたのその武術、本当にすごいです。まるで、私が知っているどの戦い方とも違う……」


アリスの言葉は嘘ではなかった。彼女の知る冒険者たちは、剣や斧、あるいは魔法で戦う。レイハンのように、素手で魔物の重心を崩し、動きを止め、そして内部に衝撃を与えるような戦い方は、彼女の常識を覆すものだった。


その夜、二人は焚き火を囲んで食事を取った。アリスが持っていた簡易的な保存食と、森でレイハンが見つけた食べられる果物。


「レイハンさんは、どうしてそんなに強いのですか?」


アリスが尋ねた。


「ずっと、武術を続けてきたから、かな。俺の故郷じゃ、それはシラットって呼ばれるんだ」


レイハンは故郷の武術について、少しだけ語った。インドネシアの豊かな自然の中で生まれた、護身と精神鍛錬の武術。動物の動きから着想を得たり、自然の摂理を学ぶことで、その力を高めてきたこと。


アリスは興味津々で話を聞いていた。彼女の瞳は、まるで未知の宝物を見つけた子供のように輝いている。


「レイハンさんって、すごく、その……魅力的ですね」


アリスがぽつりと呟いた。レイハンは一瞬、言葉を失った。彼女の顔は、焚き火の炎に照らされて、ほんのり赤く染まっている。


「な、何を言い出すんだ、急に」


レイハンがたじろぐと、アリスは慌てて首を振った。


「あ、いえ! その、なんていうか……自分のことばかり話して、レイハンさんのこと、全然聞いてませんでしたし……」


アリスは言葉を濁したが、その視線はどこか落ち着かない。


二人の間には、焚き火のパチパチという音と、虫の鳴き声だけが響いていた。しかし、その沈黙は決して不快なものではなく、むしろ互いの距離を縮めるかのような、温かいものだった。


この異世界に来て初めて、レイハンは少しだけ、この世界で生きていけるかもしれない、という希望を感じていた。


ギルドマスターの視点


ルミナの街は、木と石でできた素朴な建物が立ち並ぶ、活気ある街だった。冒険者ギルドの建物は、街の中心にそびえる一際大きな建物で、中からは冒険者たちの喧騒が聞こえてくる。


「ここがギルドです。まずは登録カウンターへ」


アリスはそう言って、レイハンを案内した。


カウンターには、筋肉質な体格の女性が座っていた。ギルドマスター、リリアナだ。彼女の瞳は鋭く、街の安全を守る者の責任感が滲み出ている。


「アリス、無事だったか。それに、そちらの青年は?」


リリアナはアリスの無事を喜びつつ、レイハンへと視線を向けた。その視線は、まるで相手の力量を測るかのように鋭い。


「ギルドマスター! はい、無事でした! この方は……」


アリスはレイハンのことを、影狼とトレント・ウィルムを素手で倒した異世界人だと説明した。リリアナの眉が、ピクリと動く。


「異世界人、だと? しかも素手で魔物を……?」


リリアナは興味深そうにレイハンを観察した。彼女は数々の冒険者を見てきたが、素手で魔物を倒す異世界人など、聞いたことがない。


「名はレイハン。インドネシアという場所から来た」


レイハンは落ち着いて答えた。


「なるほど。では、もしよろしければ、簡単な実力テストを受けてみないか? そうすれば、お前の力がどれほどのものか、我々も判断しやすい」


リリアナは提案した。実力テストはギルドに登録する際の必須事項だ。特に異世界人となれば、その能力は未知数であるため、念入りに確認する必要がある。


「分かった」


レイハンは躊躇なく頷いた。自分の力を示すことで、この世界での足がかりを掴めるなら、喜んで受ける。


ギルドの訓練場へと案内されたレイハンは、そこで模擬戦を行うことになった。相手は、ギルドの中でも経験豊富なCランク冒険者二人組。一人は大剣使い、もう一人は盾と片手剣の使い手だった。


「準備はいいか? 手加減はしないぞ!」


大剣使いが声を荒げる。レイハンは黙って頷き、シラットの構えを取った。


彼の動きは、この世界の冒険者たちにとっては異質だった。剣や魔法といった武器を持たない素手の戦い。しかし、その動きは洗練されており、動物のようにも、水のようにも見える。


大剣使いが突進してきた。その一撃は重く、並の冒険者なら一刀両断にされるだろう。しかし、レイハンはその剣の軌道を見切り、紙一重でかわした。


「速いっ!?」


大剣使いが驚きに目を見開く。レイハンはかわした勢いそのままに、大剣使いの懐へと深く潜り込んだ。そして、相手のバランスを崩すように、肘で脇腹を突いた。


「ぐっ!?」


大剣使いがよろめく。その隙を逃さず、レイハンは盾持ちの冒険者の背後へと回り込んだ。


盾持ちは慌てて振り返ろうとするが、レイハンはその動きを予測していた。シラットの**「ジェラッカン(Gerakan)」**、崩しと制圧の技だ。彼は相手の腕を掴み、そのまま関節を極めるように地面へと引き倒した。


ドサッ!


盾持ちが地面に倒れ込む。レイハンはすぐに大剣使いへと向き直り、彼が体制を立て直す前に、胸倉を掴んで引き寄せた。


そして、彼の耳元で囁いた。


「終わりだ」


大剣使いは、顔を蒼白にしていた。レイハンは彼を軽く突き放し、構えを解いた。


訓練場には、静寂が広がっていた。数秒後、ギルドマスターのリリアナが、ゆっくりと拍手をした。


「見事だ、レイハン。素手で二人のベテラン冒険者を圧倒するとは……」


リリアナの顔には、驚きと、そして確かな興奮の色が浮かんでいた。


「お前の力は、このルミナ、いや、このアストラルにとっても、計り知れない価値があるだろう。お前のランクは……Cランクだ」


その言葉に、ギルドにいた冒険者たちがざわめいた。Cランクは、通常、何年も経験を積んだ熟練の冒険者に与えられるランクだ。異世界人とはいえ、いきなりCランクというのは破格の待遇だった。


アリスも目を丸くして驚いていた。


「Cランク……すごい、レイハンさん!」


レイハンは静かに頷いた。これで、この世界での生活の目処が立った。


新たな始まり


ギルドに登録し、簡易的な住居を与えられたレイハンは、その夜、アリスと共に街を歩いていた。街の灯りは温かく、人々の話し声が心地よい。


「レイハンさん、本当にCランクなんて……普通ありえないんですよ! ギルドマスターも、あなたのことを相当買っているんですね!」


アリスは興奮冷めやらぬ様子で、レイハンに話しかけていた。


「お前も、よく頑張ったな」


レイハンの言葉に、アリスは顔を赤らめた。


「そ、そんなことないです! 私はただ、巻き込まれただけで……」


「いや。お前がいなければ、俺はこの世界のことも何も分からなかった。それに、助けてくれたのはお前だ」


レイハンの真っ直ぐな言葉に、アリスは俯いた。


「レイハンさんは、これからどうするんですか? 故郷に帰る方法を探すんですか?」


アリスの問いに、レイハンは空を見上げた。満月が、青白く輝いている。


「まだ分からない。でも、せっかくこの世界に来たんだ。まずは、この世界で何ができるか、試してみたい。それに……」


レイハンはアリスの方へと視線を戻した。彼女の瞳が、月明かりに照らされてキラキラと輝いている。


「お前との出会いも、何かの縁だろう。しばらくは、世話になるかもしれないな」


レイハンの言葉に、アリスの頬はさらに赤くなった。彼女は少しはにかんだように笑った。


「はい! もちろんです! 私が案内します、この世界のことを! そして、もし困ったことがあれば、何でも言ってください! 私も、レイハンさんの力になれるように、もっと頑張ります!」


アリスの力強い言葉に、レイハンは心が温かくなるのを感じた。この異世界で、彼は一人ではない。そう思えただけで、彼の胸には確かな希望が灯った。


そして、その希望は、新たな冒険の始まりを告げる合図でもあった。

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