7.いわく付き物件
学校の委員活動で普段より少しばかり遅い帰宅。夕暮れの気配が漂い始め、薄らぼんやりと暗くなった廊下。祖母の部屋の前を通り過ぎる時、中から取ってつけたような愛想笑いの声が聞こえてきた。
「いやー、こちらは相変わらず素晴らしい立地ですねぇ。大学から徒歩六分の、こんな良い土地をそのままなんて勿体ない。学生向けのワンルームマンションを建てたら、入居希望者が殺到すること間違いなしですよ!」
美琴も聞き慣れた野太い男の声は、襖を隔てた廊下でもはっきり聞き取れるほど大きい。ただ、営業トークのような流れる話し方は若干のうさん臭さを感じさせる。
――玄関にあった革靴は、やっぱり井上さんのだったんだ……
婿養子だった祖父の方の親戚だという井上は、三つ隣の駅前で不動産屋を営んでいる。家に来る度にこの屋敷の敷地へマンション建設を勧めてくるが、毎度ことごとく真知子からは断り続けられている。
「学生相手のオニギリ屋なんて二束三文にもならないでしょう? 家賃収入ならその何十倍も収益を得られます。ああ、真知子さん達の住む場所の心配はいらないですよ。一階を住居にして、上の階を貸し出せば良いんです。家主が近くに住んでいる物件は、特に女子学生の親御さんからの人気がありますからね」
「いや、何度も言っているけれど、屋敷を建て替える気は――」
「そうはおっしゃっても、ご近所を見てください。こんな広い土地をそのまま遊ばせてるのはこちらのお宅だけですよ?」
井上の言葉は確かに間違ってはいない。美琴の小さい頃にはもっと一軒家ばかりだった記憶のこの近辺も、今では学生向けのマンションか小洒落た飲食店ばかりになっている。近所の大学が学部を拡充した後、女子学生が一気に増えたらしく、近隣の雰囲気はかなり変わった気がする。
「ハァ、その話をする為に来たんなら、とっとと帰ってくれ。私が生きてるうちは建て替えなんてする気は毛頭ない。来るなら私の葬式の後にしておくれ!」
啖呵を切ったような真知子の声がしたかと思うと、廊下とを隔てていた襖がガラリと開く。むすっと不機嫌を露わにした表情の祖母が顔を出して、屋敷のどこかで家事をしているはずのツバキへと指示を出す。
「ツバキ、塩を持ってきな! お客様がお帰りだよ!」
と、部屋の前をちょうど通り過ぎようとしていた孫娘に気付き、少しばかりバツの悪い顔になる。大人げない対応である自覚は一応あるらしい。
「おや、おかえり、美琴。今日は遅かったんだね」
「ただいま。――井上のおじさん、こんにちは」
祖母越しに見えた客人に、取ってつけたような笑顔で挨拶をして、美琴はその場を急いで立ち去ろうとした。中から、困惑しきった男の情けない声が漏れてくる。
「いや、勘弁してくださいよ。今日はいつものをお願いに来ただけなんですから……」
「先にお前が建て替えの話を持ちだしたからだろう。……まあいい、祓いの依頼なら、美琴も一緒に話を聞きなさい」
屋敷で唯一の洋室である美琴の部屋。この家に引き取られた時に、「今時の子は和室には慣れてないだろう」と一室を改装してから与えてもらった自室だ。そのドアノブに手をかけかけた美琴は、廊下の向こうから祖母に呼ばれて振り返る。驚きのあまり目をぱちくりさせたのは、これまで依頼の場に立ち合わせてもらったことが一度も無かったから。どちらかといえば、子供には聞かせまいと別室へ追い出されていたくらいなのだ。
つい昨日、力の継承を受けたばかりだが、それを行使することは考えてもいなかった。今まで視えなかった鬼姫の存在に気付けたことで満足してしまっていた。
――そっか、私、祓いの力を使えるようになったんだ……
真知子からは、祓い屋という稼業を継ぐことまでは考えなくていいと言われた。ただ自分の身を守る為に力は使えるようになった方がいい、これから少しずつ術を覚えていくように、と。
制服から着替え、再び真知子達の元へ戻ると、部屋の隅には退屈そうに生欠伸を洩らしたアヤメが襖に凭れながら足を伸ばして座っていた。白い足袋を履いた両足先をパタパタ動かして、まるで落ち着きのない幼子のようだ。けれど、井上にはその姿が視えないから、鬼のことを気にする素振りは一切ない。
ツバキは淹れ直したばかりの三人分の湯呑を盆に乗せてきたが、すぐに部屋を去って行ったので今回の依頼もアヤメだけを同行させる予定なんだろう。
「で、今回は何なんだい? また事故物件ってやつかい?」
「いえ、建て替えたばかりの新しいマンションで、心理的瑕疵に定義されるようなことは何もないはずなんですがね……なのに住人達が言うには、どうも出るらしいんですよ」
テーブルの上の湯呑を隅に移動させてから、井上は横に置いていた自分のビジネスバッグからクリアファイルを取り出すと、中の資料を広げていく。最近撮影してきたばかりというマンションの外観や空き部屋の中の様子が分かる写真や、間取り図。周辺の地図も含めたものを真知子は「ふぅん」と興味薄そうにちらりと流し見ていた。そして、地図にあった近くの寺の場所を指差しながら聞き返す。
「これは、ここの寺の坊主に経をあげさせるくらいで済む話じゃないのかい?」
「住人からの相談があって、真っ先にそれは依頼したらしいんですが、状況は変わらずじまいで、ほらここにある神社でもお札を貰って来たり、一通りは試してみたらしいんですよ」
「でも、解決できなかったと」
「はい。で、最終的にうちへ泣き付かれたという訳でして」
いわく付きの物件という噂が出回る前に何とかしたかった家主だったが、結局のところは事故物件を手広く扱う井上の元に助けを求めて来たのだという。
「そこまでやって駄目だったということは、よほど強い霊か、あるいは妖の類いか――」