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4.

 ツバキを手伝って、美琴はサラダが盛り付けられたボウルをダイニングテーブルへ運び、それぞれの席へ箸と箸置きを並べていく。家の中のことの大半はこの年齢不詳の親戚が請け負ってくれている。家事や祖母の店の接客だけに留まらず、ツバキは美琴が小さい頃には親代わりとして学校行事にも参加してくれたこともあった。


「美琴ちゃんのママ、すごく若いねー。でも、あまり似てないね」


 母親だと勘違いした同級生から羨ましがられるくらいに、保護者達の中でツバキはずば抜けて若く美しく、教室の隅っこで控えめに立っていようが目立っていた。けれど、どんなに注目を浴びても、ツバキはいつも平然としていて、何を考えているのかいまいちよく分からない。普段の会話もなぜか他人行儀な言葉使いで、幼心にもツバキとの間には何か相容れない大きな壁があるのを感じていた。それは一体、何なんだろうか。


 風呂場の鼻歌が途切れて、真知子が脱衣所に出るタイミングに合わせて味噌汁を温め直していたツバキが、鍋が沸騰して泡立ち始めたからとコンロの火を弱める。そして、怪訝そうに眉を寄せて壁掛けの時計を見上げた。


「……」

「遅い、よね……?」


 普段の真知子なら、とっくに髪も乾かして出て来るくらいの時間が経っている。美琴も同じように時計を確認して、不安気な表情でツバキと見合った後、二人は慌てて廊下を出て風呂場に向かって駆けた。いくら疲れていると言えど、着替えるだけでこんなに掛かるのはおかしい。一気に不安が襲い始める。つい先日の健康診断では心臓の検査に引っ掛かっていたことを思い出す。


 「先生、失礼します」と一声かけてから、ツバキが洗面所兼脱衣所の扉を勢いよく開く。普段の真知子なら、「行儀が悪い!」とすぐに罵声が返ってくるはずだ。


「お、お婆ちゃんっ⁉」


 一畳半ほどのスペースに洗面台と洗濯機を置いた狭小空間。脱いだ服を入れた洗濯カゴの横で、真知子は小さい呻き声を洩らしながらうつ伏せで倒れ込んでいた。意識はあるみたいで、脱衣所に飛び込んできた二人へと首を動かし、弱々しい目線を送り返してくる。寝間着にしている浴衣は辛うじて羽織ってはいたが、帯は床に投げ出されていた。

 動揺を隠しきれない美琴が、ハッとして叫ぶ。


「きゅ、救急車、呼ばなくちゃっ……!」


 先に駆け寄ったツバキが、上半身を支えるようにして抱き上げてやると、ぎゅっと胸を押さえていたのとは反対の手を伸ばし、真知子が孫娘に向かって制する。


「そんな大事にしなくていいから……少し休めば、すぐ治まる……」

「で、でも……」

「部屋に薬もある。そんな滅多なことに、救急車なんて大層なものを呼ばなくていい」


 しつこく「でも……」と首を横に振る美琴に、真知子は弱った顔のままで笑ってみせる。どんなに気丈に振舞っていようが、祖母の年齢を考えると美琴が心配するのは当然だ。

 しばらく同じ体勢でツバキに背中を擦られていた真知子は、少しマシになったと言いながら床に落ちていた帯を拾い上げて、自分でさっと浴衣を整えていた。身体を支えてもらいながら、横になる為に自室へと向かう祖母の後ろ姿を、美琴は複雑な思いを胸に抱きながら見守った。


 和室に敷かれた寝具に横たわったまま、心配そうに顔を覗き込んでくる孫娘の頬へと真知子は手を伸ばす。主治医から処方されていた薬は半時間ほどで効いてきたらしく、さっきまで真っ青な顔で呻いていたのが嘘のように血の気も戻っている。美琴の頬を撫でながら、真知子は恥ずかしそうに笑って話し掛ける。


「今日のはちょっとばかり厄介なのが憑いてたからね。思ったより力を使ってしまったせいだろう。まあ、一晩寝てれば大丈夫だ」

「……また、そんなこと言って。明日、ちゃんと病院に行ってよねっ」


 美琴が小言を言い始めたタイミングで、ツバキが部屋へと戻ってくる。会話できるようになった真知子が「喉が渇いた」と言ったから、台所へ戻って水差しの用意をしてきたのだ。


「やはり、私も行けば良かったですね」

「いや、あれは私らだけで十分なヤツだった。ただ、私が歳取ったってだけだ。加齢ってのは怖いねぇ、そろそろ潮時なのかもしれん」


 ツバキと話している祖母の言葉の違和感に、美琴は首を傾げる。――私ら、って?

 お祓いの現場にツバキが同行することは珍しくはないが、今日は真知子一人で向かったはずだと思っていた。じゃあ、今言った私らの「ら」は誰のことを意味するのか? それとも、ただの聞き間違い?


「では、美琴に力の継承を?」

「そうだねぇ、せめて十八になるまではと思ってたんだけど、私自身あと一年もとなると厳しいかもしれない。早いに越したことはないだろうか?」

「特に問題はないかと思います」


 「ツバキが言うなら、間違いないのだろう」と納得したように頷くと、真知子はツバキの手を借りて布団の上で上体を起こし、美琴のことを再び傍へと呼び寄せる。


「美琴、よくお聞き。本来はちゃんと成人した後にするつもりだったんだけど、私もいつ野垂れ死ぬかもわからない。――否、まだ現役でやる気はあるんだけどね、ほら万が一ということもあるからさ」

「え、急に何……?」

「うちの稼業、祓い屋の力を今からお前に引き継がせようと思う。これは八神の正統な血を引く人間にしか譲ることはできない。先祖伝来の術も護符も、この血でないと扱いきれないし、血統は正しくとも素質がなければ無理だ。でも、美琴には十分にその力はある。圭吾は――お前の父親は、視えるけれど力を扱えない子だったけどねぇ」


 死んだ一人息子のことを思い出したのか、真知子は少しだけ視線を俯かせる。

 この時、美琴は父が人ならざるものが視える人だったという事実を初めて聞いた。これまで真知子は必要以上に亡くなった両親の話を語ろうとしてくれなかったから。

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