22.鴨川桔梗
祓い屋の仕事に関わるようになって、美琴が一番驚いたのはツバキの諜報能力だ。マリーが帰った後に真知子も目ぼしい親戚へ何軒か電話を掛けていたが、鴨川桔梗の情報はほとんど得られなかった。唯一分かったのは、鴨川家はとっくに転居していて、その跡地には全く別の家族が住んでいるということくらい。さらに、桔梗という名に覚えがある者は誰一人としていなかった。
「鴨川家は道具を使いこなすのに長けた一族だったからな、あれの作り方も何かに残っていたのかもしれない。本来、あれは封印の器の類いなはずだ」
「封じるっていうか、逆に嫌な感じが溢れてた気がするんだけど……」
「ま、知識のない素人が手を出した結果さ」
居間で古い住所録を捲っていた真知子は、少し物悲しそうに笑った。稼業を同じくする家の衰退は他人事ではない。この家だって美琴に素質が見られなければ、他から養子を迎え入れることを周囲から強く押し付けられたはずだから。ただ、そこまでして祓い屋を続けていくつもりはなさそうだったが。
マリーが持ち込んだものが元々は呪物ではなかったと言われても、美琴には納得がいかない。気を抜けば憑りつかれてしまいそうな悪い気配が凝縮していて、悪意の塊のようなあれがただの失敗の産物だとは信じられない。腑に落ちない顔のまま、祖母が住所録と一緒にテーブルの上へ並べていた色褪せたアルバムへ興味本位で手を伸ばそうとした時、背後の襖が静かに開いた。
「鴨川桔梗の所在が判明しました。あ、いえ、正確には今日のところの、ですが」
普段はスカートが多いツバキが珍しくパンツスタイルで、スマホを片手に真知子の横へ膝をつく。画面に表示されている若い男の写真を指し示し、得た情報を順を追って説明していく。
「鴨川紀仁、二十六歳。現在は住所不定無職で、ネットカフェを中心に寝泊まりする生活のようです。桔梗というのは路地占いする際に使っている名ですね」
「祓い屋じゃなく、占い師なのかい?」
「はい。一時期、手相占いの師と行動を共にしていたこともありましたが、今は単独で行っています」
「……祓い屋名家の息子がホームレスの占い師か。で、作った呪物を客に売りつけてるなんて、呆れることだ」
桔梗の今日の寝床となっているネットカフェの住所と店名を書いたメモをツバキが差し出すが、真知子は首を横に振った。
「これはタヌキ占い師に渡してやればいい。あれも桔梗のことを探していたようだからな」
「ええ。そう思って既に情報は回しています」
「ツバキさん、凄い……こんな短時間で」
ツバキのことはほんの数時間見ないと思っていたら、鴨川桔梗の本名と今日の宿まで突き止めてきたのだ。美琴は羨望の眼差しでツバキのことを見上げた。妖力は弱いが人化が得意なこと以外にも、まだまだ猫又の能力が隠されていた。
「市内に住む地域猫とカラスのネットワークは掌握しておりますので」
「え、動物からの情報なの?!」
驚き顔の美琴の視線に、ツバキは少し照れたように顔を緩める。普段はクールビューティ―を崩さない同居人が、そんな表情を見せるのは珍しい。褒められるのにあまり慣れていないのか?
――というか、猫又の情報網、広すぎない⁉
カラスなんてどこから見ているか分からないし、野良猫もいるところにはいる。ツバキから隠し通せる秘密なんて何もない気がしてきた。もしかすると、この屋敷で一番敵に回してはいけないのは、猫又なのかもしれないとすら思えてくる。
そう思っていると、外でカラスが一鳴きする声が聞こえてきた。ツバキは窓辺に立つと目を細めて耳を澄ましているようだった。美琴にはカラスの声は一度しか聞こえなかったが、猫又の聴力ではそれ以上を感じ取ることができるのか、固い表情で外を見つめている。そして、小さく頷いてから、振り返って真知子へと報告する。
「タヌキが鴨川紀仁に接触したようで、そのまま二人でこちらへ向かって来ています。どうやら、客の何人かから霊感商法で訴えられかけているようですね」
「まあ、あんなものを売りつけていたら当然だ」
「また厄介事がやってくるのか」と半ば諦め気味に溜め息を吐くと、真知子はテーブルの上で完全に冷めてしまった湯呑へ口を付ける。渋味が増した緑茶に眉をしかめるが、意を決したように残りを飲み干した。
「明日は仕込みの必要ない具材にしないといけないねぇ。昆布煮を作る予定が台無しだよ」
「先に夕飯を済ませた方が良さそうですね。すぐに用意します」
「ああ、そうしてくれるかい。全く、最近はいろんなことが起こるねぇ……」
言葉とは裏腹に、真知子は楽し気に笑っていた。外からは散歩から帰って来たばかりのアヤメとゴンタが、賑やかに言い合いしている声が聞こえてくる。
「そんな強くゴシゴシすると、肉球が剥がれるだろ! もっと優しく拭けよ!」
「ハァ? 文句言うなら、自分でやったらいいやん。そもそも、水溜まりに突っ込んだヤツが悪いねん。アホ狐がっ」