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4 狩り

狩りというのも王族のたしなみであるらしい。


王太子フリードリヒ、もとい演技が上手いだけのその辺の平民女代表リアナは、そういうわけで狩りに来ていた。


王宮の隣ではなく、領内の西方、山を後ろに据えた広大な森である。鹿だけでなく、猪も出るというのだから恐ろしい。


(バルド宰相は熊なんていない普通の森だって言ってたけど。やだなあ……狩りなんてやったことないのに……)


怖いと言って尻込みしていたところ、座ってさえいれば良いのですと半ばバルドに脅された。


拒否したところでバルドに睨まれ、偽計発覚からの斬首への道に一歩近づくだけである。


というわけで、リアナ・フェルナーはおとなしく馬上に腰かけていた。


実際のところは騎士に任せておけばいい。

彼らの引率のようなつもりでいればいいのだ。

自分に言い聞かせながら、リアナは平然を保っていた。


朝の森には数十人の騎士たちが、整然と列を組んでリアナを待っていた。


豪奢な狩猟服は騎士団専用のもので、緋色のマントをきちんとつけている。血が飛んでもそれほど目立たないのだろう。

リアナが乗っている気の良い雌の馬は雪のように真っ白で、少しでも血しぶきがかかろうものなら鼻を鳴らして憤慨するに違いなかった。



「あっ」



リアナは思わず小さく声を出してしまった。

馬に乗る騎士の中に、春祭りの宵に見たあの男がいた。


しれっと馬上に乗っているところを見ると、騎士団の中でもそれなりに位が高いらしい。


(なのに腰抜けだなんて、騎士団も落ちたものだな)


平民のあこがれだった騎士団の腐敗を見たような気がしてあまり気分の良いものではない。


リアナは首を据えて前を見た。

とにかく、初めて参加するこの狩りというイベントをこなさなければいけない。


「前進!」


団長が声をあげ、一行は出発した。





森の小道は露に濡れ、朝日が木々の隙間からちらちらと差し込み始めた。

鳥のチピチピというさえずりに交じって、騎士たちの歩く音、馬蹄の音が続いていく。




「お、王太子殿下〜! お待ちくださいませ〜!」



後ろからバタバタと駆けてくる音に、リアナはげんなりした。

案の定、世話役のアルバートが息を切らせて追いかけてきた。手には長すぎる槍を抱え、裾をたくしあげている。



「アルバート……その、槍は?」


「狩りと聞いて野生の血が騒ぎまして! 殿下の護衛は私めにお任せを!」


その場にいた数人の騎士が、ちらりとアルバートに視線を投げるも、すぐに興味を失ったように前を向いた。


貴族ではあれども騎士ではないアルバートは、単に「王太子の世話係」として見られているだけだった。

悪い奴ではないのだが。


ふう、と息を吐いて、リアナはアルバートに尋ねた。



「ラムダはどうした?」



こんなイベントにお目付け役がいないのも珍しい。


「流感だそうで。高熱が出て寝込んでます。今朝なんて、うわごとでアップルパイに挟まれたなんて助けを求めてきて……うわ、言っちゃった。内緒にしてくださいね! とにかく無理ですって!」


「大変だね」


リアナは心の底からぼやいた。


そんな軽口を交わしていると、先頭の方で馬に乗っていた一人の騎士が近づいてきた。


しなやかな金の髪、花の蜜のように甘い瞳。

春祭りの夜に見たあの男だった。


「……っ」


リアナの背筋がわずかにこわばる。男は何食わぬ顔で馬を並べ、柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。


「王太子殿下。ご機嫌いかがでしょうか」


貴族特有のご機嫌うかがいというやつだろうか。

腰抜けに加えて、軽薄という形容も付け加わった。

心象は最悪だ。


「まあまあ、かな」


と、リアナが答えたのと、アルバートが叫んだのは同時だった。



「カイル・アーデン公爵ー! うわあ、かっこいいー!」


「はは、ありがとう」


「ああっ! 本物だ! すごい、わ、私のこの槍にお名前を刻んでもらってもいいですか?」



リアナはアルバートの謎の懇願に、げんなりを加速させて言った。


「なんだそれは……」


「騎士に名前を刻んでもらうと戦闘のお守りになるんですよ! 王太子殿下もいかがです?」



リアナは不機嫌を隠しもせず、アルバートの肩を乱暴に叩いた。こっちを向けという意味なのだが、アルバートは頑丈で巨大なアルマジロのようにびくともしない。


気づけば、周囲のがたいのいい騎士の男たちもぽうっとして公爵を眺め、恋する少女のようになっている。


(あんたたち、本当にこれから鹿を狩りにいく気はあるの!?)


リアナは眉間に皺を寄せた。


カイル・アーデン公爵と呼ばれた美貌の男は、アルバートの興奮にも嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しげに頷いてみせた。


さらりと赤褐色の前髪が揺れる。

こころなしか馬も美貌に見えるのが腹立たしい。


「俺の印で良ければいくらだって刻もう。共に殿下を守る者として、加護があるように祈っているよ。同志」


「はっ、はいっ! よっしゃあぁぁぁ! お気遣いありがとうございます、カイル様!」


騎士たちの列の中で、アルバート一人がひときわ浮かれている。

リアナは再びため息をついた。


一方のカイルはというと、ちらりと横目でリアナを見て、口元に僅かに笑みを含ませたまま、馬を進ませていく。


左目にある泣きぼくろは色気がたっぷりだ。

リアナの白馬も少し歩みを緩めた気さえする。


カイルという公爵は人好きのする笑みを浮かべて喋りかけてきた。


「それにしても、殿下が狩りに参加されるとは意外でした。存外、お好きで?」


「いや。王太子としては避けられない勤めだ」


「ご心労お察しいたします」


「……お前たちも大変だな」


団長のところに行かなくていいのか、と言外に匂わせたつもりだった。

が、公爵カイルは


「めっそうもありません」


と、にっこりと微笑んだだけで隣に馬を歩ませてくる。


リアナは顔をしかめた。

この男、嫌味というものを知らないのか。

いや、まさか――



確信犯?




「本当に、行かなくていいのか?」

と、リアナが言うと公爵は優雅に返答した。



「この列は殿下を中心に組まれております。ですので、私が殿下の傍らにいるのは自然なことかと」


それらしい理屈を並べたその声は、芝居がかった甘さを含んでいる。


リアナは目を細めた。これが貴族というものなのだろうか。

軽薄さを宝石のように磨き上げたような存在だ。




「では、せめて静かにしていてくれ」


「はい。それでは、殿下がまた口を開かれるまで、私はこうして貝のように口をつぐみ、息をひそめて」




ここまでのいらだちや不安、軽薄でいいかげんな騎士への不信。

リアナの我慢は限界だった。





「黙っていろと言ってる」





ピシャリとした口調に、カイルはほんのわずか目を見開いたが、それも一瞬だった。




すぐに目尻を下げて、悪戯をたしなめられた猫のような顔をしてみせた。


「了解です、殿下。以後、声は風のごとく静かに」


「そういう言い回しもなしだ」


そのやり取りを聞いていたアルバートが、目をうるませながら感嘆の息をついた。




「なんて……なんて優雅な応酬……まるで芝居の舞台を観ているようです……っ!」


「観劇にでも行ってきたらどうだ」


リアナの突っ込みが即座に返るも、アルバートはうっとりとしたまま、聞いてはいなかった。




そのとき、森の奥からガサガサッと音が響いた。




「熊だ!」



と誰かが叫んだ。

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