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3 自室にて


「……部屋に、食事を運ばせてくれ。少し休みたい」


淑女たちとのお茶会から逃れたリアナは、ようやく自室に戻ってきた。

人前では優雅に、気品高く、完璧な王太子として振る舞い続けなければならない。笑顔ひとつ、指先の角度ひとつを間違えてはならない。

それがどれほど疲れることか、今日だけでも骨身に沁みた。




(本当にこれからやっていけるのかな……)


正直なところ、全く自信はない。

じわり、と勝手に涙がにじんできた。


扉を閉めた瞬間、リアナは脱力するように椅子に沈み込んだ。腹立たしいほどに座り心地の良いカウチだった。



(……疲れた)




もう何もしたくない。


そこへ、扉の外から柔らかなノック音がした。





「失礼いたします、殿下。お食事をお持ちいたしましたわ」



女の声だった。

リアナが「入れ」と声をかけると、初めて見る女性が入って来た。


むっちりとした体を包むエプロン姿に、豊満というにはあまりにも破壊力のある胸がこぼれそうだ。

栗色の巻き髪に、きらきらとした蜂蜜色の瞳。

同性のリアナでもドキッとしてしまう。



「今日から殿下の身の回りをお世話いたしますわ。わたくし、マティルダと申しますの」


「マティルダ……?」


「ええ、バルドおじ様の遠縁でして。よくわからない親戚というやつですわね。ご命令とあらばどこへでも、って、そんな感じで送り込まれてまいりましたの」


朗らかで艶のある声に、リアナは目をぱちくりと瞬いた。

どう見てもただの世話係ではない。

というか、どう見ても胸が規格外すぎて目のやり場に困る。

可愛い派もきれい派も納得の需要だ。

これがバルドの遠縁とは信じられない。

瞳だけはバルドとラムダと同じ灰色だった。


「は、はあ……よろしく、お願いします」


「うふふ、そんなにかしこまらないでくださいまし。王太子様……いえ」


マティルダはふっと顔をリアナに近づけた。

白粉の匂いがふんわり香った。


「リアナ・さ・ま」


全身の血液がサアッと下がる感覚がした。

目を見開いたリアナの耳にマティルダは囁く。


「大丈夫ですわ。わたくしはあなたの味方です」




長い睫毛に縁どられた美しい女の瞳が細められてこちらを向いていた。



「おじさまに頼まれてこちらに来ましたの。ええ、わたくしも『共犯者』ですわ。その胸も苦しいでしょう、かわいそうに。ずっとサラシを巻いていらっしゃったのね」


「あっ、いや、これは別に何も――」


「ごめんなさいね。おじさまは悪い方ではないのです。だけど、強引なところがあって。入浴や身支度は全て、これからわたくしがお手伝いしますわ」


「ほ、本当ですか?」


リアナはこわごわ尋ねた。


正直なところ、貴族の身支度というのは勝手が分からない。

男でも化粧をするらしいが、劇団員たちのように小麦粉を塗りたくるわけにもいかないしと悩んでいたのもあって、突然の味方の登場はものすごく心強く思えた。


信頼してもいいものか、逡巡していたリアナの腹がキュルキュルと鳴った。

朝からほとんど何も食べていない。


うふふ、とマティルダが楽しそうに笑った。



「さあ、お食事にいたしましょう。お口に合いますかしら?」


マティルダが運んできた銀の食器には、温かいスープと焼きたてのパン、香草を添えた鶏肉のローストが並んでいる。

どれも控えめながら手の込んだ料理だ。


「いただきます……」


気を抜くと本当に疲労でへたり込みそうだったが、マティルダのにこにこの笑顔に見守られながら、リアナは食事を口に運んだ。

毒が盛られていたとしても、もはや関係ない。

このままだと餓死してしまいそうなくらい腹が減っていた。



「おっ……おいしい」

「よかった。おかわりもありますからね」


にっこり微笑むマティルダと目があった瞬間、リアナの目からダパッと涙が零れ落ちた。


「す、すびばせん……しぜんとなびだが……」


これまで張りつめていたものが切れたようだった。


「あらあら。我慢してたのね」

マティルダはそっと柔らかいハンケチーフを出してくれた。

「大丈夫ですよ、ゆっくりで」


ずびずびと鼻をすすりながらスープを飲む。

自分の涙のせいか途中からやけに塩辛かたtが、おいしかった。年の離れた妹を見守るかのように、マティルダは微笑みながらリアナの給仕をしてくれた。


途中、服を置きに来たり、姫君たちからの差し入れを運びに来たりと、様々な家臣たちの出入りがあったが、マティルダは上手にさばいてくれた。


そのおかげでリアナは集中してゆっくりと食事をとることができたのだった。


銀の食器の中が全て空になるころ、リアナはこのマティルダという有能な令嬢に大きな信頼を寄せるようになっていた。


食というのは偉大である。







城の中庭では、春の宵を祝う小さなガーデンパーティーが開かれていた。


噴水の縁に灯された無数のランプが、ゆらゆらと揺れながら貴族たちの髪飾りや宝石を照らす。


音楽隊が演奏する緩やかな曲に合わせて、芝生の上では舞踏を楽しむ男女が軽やかにステップを踏んでいた。



(はぁん……こっちはこっちで、優雅なものだなあ)



満腹になったリアナは、部屋のバルコニーからこっそりとガーデンパーティーに興じる貴族や姫君たちを観察していた。


来賓や王たちの横では、王国騎士団の行進が披露されている。


金と銀で飾られた礼装の騎士たちが、堂々たる足取りで一列に並んで歩いていく姿は、まるで絵画のようだった。




「あれが騎士団か~……すごい、初めて見た。きれい」



そのときだった。


騎士たちの列の中に、明らかに場違いな影が飛び込んだ。


「不審者だ! 下がれ!」


先頭を歩いていた隊長格の騎士が、すぐさま抜刀し、敵に切りかかる。


隊長のすぐ隣にいた騎士が、素早く一歩引いてその場から距離を取った。




「ん?」



(――今、下がった? あの騎士だけ)



リアナは反射的に身を乗り出してその男を目で追った。

場に紛れて目立たないようにしていたが、その姿は目に焼きつくほど特徴的だった。


精悍な顔立ち。

無造作に結ばれた髪。

騎士にしては少しだらしない服の着こなし。


ひょうひょうとした空気を纏っているが、動きには無駄がない。


だからこそ――腹が立った。





(あの男……戦えるのに、戦わなかった)





不審者はあっという間に取り押さえられ、観客たちは再び平穏を取り戻していく。


だがリアナの視線は、男から離れなかった。





(顔、覚えたわよ。卑怯者)





帯刀しているくせに上司に任せて戦わないなんて、騎士の風上にも置けない。




「リアナ様、湯あみをいたしましょう。どうぞこちらへ……春とはいえ、まだ外は冷えますわ……」




マティルダが鈴のような声でリアナを呼んだ。


リアナは軽蔑の念を抱きながら、バルコニーの扉をパタンと閉めた。

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― 新着の感想 ―
マティルダさんが来てくれてよかったですね。 きっと大柄な方なんでしょうね、有能で。ちょっと素性が知りたい気もします。 読み進めてます。
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