27 影武者の最後
どうやってセレスティード王宮に帰り着いただろう。
覚えていない。
それほどショックだった。
ベッドに倒れ込んで泣き続けるリアナを、マティルダは心配そうにしながらも、夜着に着替えさせたりと最低限の世話をしてくれた。
辛くても朝は来る。
翌日、起きると目が腫れ上がっていた。
「ひどい顔」
リアナは鏡を見て、ぼうっと昨日のことを思い出した。
(――フリードリヒ王太子は、カイルだった)
胸の奥が焼けるように痛んだ。
ぽっかりと心の中に空洞を開けられたようだ。
いっそ知らないまま死ねたら?
楽だった、のかもしれない。
だけど、知ってしまった。
「どうして言ってくれなかったのよ」
呟いた唇が震えた。
リアナの声はかすれて、床に落ちて消えていく。
いつから知っていたのだろう。
フリードリヒ本人なら、リアナが『フリードリヒ』と名乗った時点で気が付いたはずだ。
それなら、最初から……。
初めから分かっていた上で、リアナのことをフリードリヒとして扱ったのだ。
影武者が殺されれば、本物のフリードリヒは『公爵カイル』として自由に生きられる。
もしくは、暗殺者を特定して、王太子に復帰できる。
駒にするために?
「じゃあ、なんであんなに優しくしたのよ……」
影武者として利用されたことよりも、あの優しさが嘘だったということが、胸を切られるように辛い。
どうして、あんな顔で嘘をついたのだろう?
優しい目で笑って、近くにいてくれたのに。
それも全部、リアナを欺くための――?
「分かんないよ……」
リアナはうずくまり、膝を抱えた。
暗殺や処刑でリアナを殺して、フリードリヒでない自分を生かそうとしている?
自分だけが生き延びようという算段なのか?
バルドと通じているはずなら――。
暗い思いが脳裏をよぎった。
いったい何を信じればいいんだろう?
じゃあ、マティルダは? アルフレッドは?
誰を信じたらいい? 味方はいる?
苦しい。
迷いの中にいるのに、どこにも答えが無い。
「ううう……」
嗚咽がもれた。
こんな時でも涙は勝手に出てくる。
今しっかりできるほど強くは無いのだ。
強いふりをしていただけ。
本当のリアナはずっと弱かった。
他の誰かになってみたかっただけだ。
そうやって演じてきただけだった。
机の上には、舞台の台本が置かれている。
昨日、リアナが途中で劇場を抜け出してしまったあの劇だ。
「劇、最後まで見たかった……」
指先で、紙をそっとめくった。
マティルダが気をきかせて、いつも劇の台本や関連する本の差し入れをしてくれていた。
マティルダのあの優しさまで疑うなんて、できるわけがない。
「どうしたらいいのかな」
台本をパラパラとめくっていたリアナの指先が止まった。
そこに書かれていたのは、名前もない端役の台詞だった。
『たとえ儚く散ったとしても、俺たちには俺たちの意地ってもんがある』
『引っ込んでいろ! お前ごとき、下民の用はないわ』
『いいや! 俺たちだって矜持ってもんがある! 虫けらには虫けらの、生き様があるんだ! 良く見てろ!」
リアナは息をのんだ。
劇場では聞き流した言葉だった。
この後、端役の兵士は大勢の仲間と一緒に敵に突撃して、斬られてしまう。
一瞬で過ぎ去ってしまう、名前もない役。
けれど今は、それが矢のように胸の奥を貫いた。
虫には虫の――。
目が、覚めたような気がした。
リアナはパシッと両方の頬を叩いた。
「……しっかりしなさい、リアナ」
自分で自分を叱る。
孤独の中からは、自分で這い上がるしかない。
誰も助けてくれないなら、せめて自分だけは見捨てたくない。
リアナは涙を拭った。
机に座り、羽根ペンを取った。
羊皮紙に言葉を書き付けていく。
宛先はウェンロウだ。
>「私、リアナ・フェルナーは王太子の影武者をしておりました。私は女性です。公女様をたぶらかしてしまったのは、紛らわしいことをした私の責任です。申し訳ありません。罰はどのようにも私が受けますので、このリュミエール国の者たちだけは、お許しください。咎があるのは、私だけです」
公女カランにこれを届けるのだ。
マティルダではなく、別の侍女に託そう。
もしもマティルダが、思っていた通りの人だったとしたら、きっとこの手紙は止めるだろう。
マティルダは優しい人だ。
それを疑うのは、もうやめる。
もしも信じて傷つくことになったとしても、信じることはやめないでいよう。
『たとえ儚く散ったとしても――』
あの端役の台詞が心に残る。
そうだ、平民には平民の意地がある。
リアナがペンを置いたとき、遠くからラッパの音が聞こえた。
パカパカと蹄の音がする。
明日は、騎士団の創設記念パーティーだ。
その練習をしているのだろう。
きっとカイル――いや、フリードリヒも出席する。
途中で逃げ帰ってしまった自分のことを、彼はどう思っているだろう。
心配してくれている?
それとも、もう、こんな平民の存在など――。
リアナは小さく息を吐いた。
もう迷わない。
勝手に不安になって決めつけて、全てを壊してしまうなんて愚かだ。
明日、ちゃんと話をしよう。
何を言われても、もう逃げない。
たとえ、カイルを信じて死ぬことになったとしたって――。
「虫けらには虫けらの生き様、か」
見目麗しいカイルの、とろけるような微笑みを思い出す。
あれがもしも演技だとしたらぞっとする。
しかし、バルドのように、平民を利用するだけして、駒のように捨て置くなんて、本物の王族や貴族なら簡単にやってのけるだろう。
だけど、やはり信じたい。
共に過ごした時間を。
あの笑顔を――。
リアナはキッと顔をあげた。
平民女には平民女の、意地というものがある。




