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セレスティード宮殿の影法師 〜王太子の影武者にされた平民女は美貌の公爵に口説かれています〜  作者: 丹空 舞


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26 劇の力

 「あの、すみません。先ほど聞こえてしまったのですが、これ、よかったらお使いください」


 ほっかむりの女が振り返ると、分厚い眼鏡をかけた青年がオペラグラスを差し出していた。


 「僕は二つ持っているので」

 「あら! いいのです? なかなか護衛が戻らなくて」

 「もちろん」

 「ありがとうございます。お優しい方なのですね」

 「いやいや、そんな……」


 女が微笑む。青年も照れくさそうに笑った。

 どこか、ぎこちなく優しい空気が流れる。

 二階席の中で最上級の不審者は二人、並んで腰を下ろしていた。


 「楽しみですね」

 「ええ、本当に」






 王都の劇場はほぼ満席だった。


 大理石の柱の間を金の灯が照らし、貴婦人たちのパフュームの花の香りが漂う。

 一階席は平民に開かれた場になっている。もちろん高級な装束に身を包んだ成金やブルジョワたちだが、娯楽に目を輝かせながら、皆、人気の劇団に見入っている。


 舞台の上では、恋人たちがすれ違い、運命に翻弄されながらも結ばれようとしていた。


 上演されているのは、庶民に人気の喜劇――『花嫁の仮面』。身分違いの恋と勘違いと笑いに満ちた物語だ。


 リアナは、胸を押さえながら観ていた。

 まるで人ごととは思えない。


 「貴族が生まれついてえらいだって? 冗談じゃない。全ては偶然だ。人間の価値なんて、何をやったかで決まるんだ」


 隣にはカイルがいる。

 肩が少し触れただけで泣きそうになる。


 舞台の中央には、リアナの育ての親でもある団長が立っている。団長は花嫁の父親を演じていた。


 娘を手放す場面――。


 「おまえが幸せなら、もう何も言うまい」


 その声は、芝居ではなく本心のようだった。

 リアナの目が熱くなった。


 ――団長。


 いまも私の心に生きている。劇団では厳しい顔もたくさん見た。いっぱい叱られた。だけど、団長が教えてくれたことが、きっと平民の自分を二階席まで連れてきたのだ。


 舞台の中で、花嫁が恋人の胸に飛び込む。

 拍手が起こり、楽団が軽やかな調べを奏でる。



 (カイル様。好きです。好きでした。いいえ、きっと殺されるまぎわにも――好きだと思うでしょう)


 たとえ私が処刑されたとしても。

 この想いだけは、終わりにできない。


 隣のカイルは、拳を握っていた。

 舞台を見ていない。

 何かを決意するように、うつむいている。


 (言わなきゃいけない……)



 ――好きだ。これで終わりにしてはいけない。



 嫌われるかもしれない。全部を失うかもしれない。

 けれど、それでも。

 小声で、かすれるような声が重なった。


 「あの」

 「ちょっといいか」

 「あ……」

 「……」



 互いの視線が重なる。

 どうしよう。泣きそうだ。

 カイルが諦めたように、息を吐いた。

 劇の台詞に重ならないように、声を潜めて。



 「言わなきゃいけないことがあるんだ」




 *




 舞台の中の台詞が再び響く。

 正直にいるのは難しい。損をするかもしれない。


 けれど、自分をさらすのは強さだ。

 人間は、強い人間を美しいと思うものだ。


 劇の台詞が胸に刺さる。

 王立歌劇団、団長――リアナの親代わりであるその人の言葉は、まるでカイルの心を見透かしているようだった。


 そうだ、やらなければいけないことをやらないで、なにが貴族だ。




 「言わなきゃいけないことがあるんだ」




 まんまるい目をしてこちらを見るリアナ。

 


 カイルは、唇をかみしめた。

 勇気を出せ。

 そう言われている気がした。



 「……俺が、王太子フリードリヒだ」

 

 「え?」



 空気がはじけた。




 「今、なんて」


 「嘘をついていた。悪かった。俺なんだ。フリードリヒは……カイルは偽名だ。俺が、王太子フリードリヒなんだ」



 リアナは――泣いていた。


 頭が真っ白になる。



 「す、すみません……先に、帰ります」




 立ち上がり、劇場の通路を歩き出す。

 舞台ではちょうど、主人公が敵に斬られて倒れる場面だった。

 拍手と叫びが重なり合い、劇場が揺れる。





 カイルは座ったまま、頭を抱えていた。

 それくらいしか、できなかった。

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― 新着の感想 ―
先が心配で! お二人はどうなってしまうのでしょう?? 公女の幸せも気になります。
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