25 リアナ、カイルを誘う
決死の思いで誘いの手紙を出すと、二つ返事で承諾された。
マティルダの言うとおりだ。
ふさぎこんでいても何も良くならない。
処刑が決まったとしても、それまでの残り時間を楽しまずにいるなんてもったいない。
ちょうどいいから出かけようと、週末、リアナは腰をあげて外出したのだった。
*
カイルは誘いにのってくれた。
貴族の女からだと男性を自分から誘うことは、はしたないらしい。
リアナがドレスでも着ていれば何かと言われたかもしれないけれど、男同士っていうのは気楽で良かった。
それでも、男装した自分の前髪の位置を気にしてしまう。
自分は平民で、カイルは貴族の中の貴族だというのに。
待ち合わせのときからカイルは嬉しげにリアナを見た。
「君から誘ってくれるなんて、嬉しかった」
と、甘やかに微笑んだ。
カイルの真正面にいた通りすがりの令嬢は、真っ向から顔面を見てしまったらしい。
色気にあてられて、石畳に倒れ込んでいた。
当人のリアナにしてみれば、見目の良い男だから好きなわけではないのだ。
カイルの助けてくれた腕や、平民を思う真摯な姿。
気付けばひかれていた。
平民と貴族、身分が違っても、今は夢を見ていたい。
たとえそれが、本物のフリードリヒへの想いだとしても――。
フリードリヒはいったいどこにいるんだろう。
こんなに魅力的な友人を放っておいて、何も言わずに雲隠れするなんて酷すぎる。
「王立の劇場が完成して良かった。これで平民も貴族も同じ文化を楽しむことができる。私たちには壁ではなくて、もっと共通項が必要だと思うんだ」
そうやって、穏やかに語る姿を見るのが好きだった。
でも、これで最後かもしれない。
いつ、命を狙われるか分からないのだ。
それに、自分が偽物のフリードリヒだと分かって、さらには正体が女だとばれたら。
きっとカイルには嫌われてしまう。
リアナたちが向かったのは、バルコニーの上。
貴族たちの集う最上級の席だった。
半個室のようになっていて、二人がけソファがある左右には木製の仕切り壁がある。
簡素なついたてなので、隣の音は聞こえるし、隙間から見えるものの、何も無いよりはプライベートな空間が保たれるというものだ。
音が反響する造りになっている劇場のせいか、廊下部分は細く、装飾は豪華だが、座席部分も普段使っているソファよりは狭いように思えた。
肩が触れるほどの距離で座って、リアナの心臓は高鳴った。
今まで何も思わなかったのに。
狩りでは抱きしめられさえしたのに。
どうしてこんなに切なくなるんだろう。
ふと気が付くと、カイルに覗き込まれていた。
長いまつげが綺麗な頬に陰を落としている。
ビターオレンジのような香水がほのかに香った。
「どうしたの、元気が無い」
「えっ? いや、そんなことない」
「体調が悪かったり、無理をしていない?」
「大丈夫だよ。本当に」
「そう? ならいいんだけど……俺ばかり楽しみにしすぎて、うかれていたんじゃないかって」
カイルの台詞に浮かれる自分を、嘘をついて男のふりをしている罪悪感が押しつぶしていく。
リアナはカイルが心配しないように、明るく笑った。
ここで演技ができなければ、これまでたくさん稽古してきたかいがない。
「大丈夫。心配してくれて、ありがとう。わた……僕も楽しみにしてきたんだ。この演目が外国に行かずに見られるのは歴史的快挙だからね」
「へえ、詳しいんだ」
「い、いや、詳しいってほどじゃないけれど……」
「どこが楽しみなの?」
「えっ? ええと、その、今日出てくる団ちょ……いや、フィガロの父親役の男がちょっと、昔見たことがあって」
「なるほど」
「あとは台本、そう、これは結婚を控えてる男女がいろんな邪魔に合うって話だけど……浮気者の伯爵が出てくるんだ。上演者によっては悪者みたいに描くけれど、たぶんおそらく今回は……」
演劇について熱く語り出すリアナの懸命な横顔を、とろけるような笑みで見つめているカイル。
そのバルコニー席の隣で、ほっかむりを被った外人風の女と分厚い瓶底めがねをかけたシルクハットの紳士が鉢合わせていた。
先に座っていた紳士が
「おや、あなたもこちらの席なのですか?」
「ええ。無理を言って買収……いえ、入らせていただきましたの」
「それでは僕と相席ということになりますが、差し支えありませんか」
「もちろん。わたくしは構いませんわ。こちらこそ無理を言って申し訳ありません」
「いえいえ」
彼らはソファに腰掛けていたが、なぜか右隣のついたてを食い入るように見つめていた。
「……」
「……」
シンッと静まったブース。
そこに僅かに聞こえる音。
右隣からだ。
リアナとカイルの声がもれ聞こえる。
「つまり、女性が男性を演じるってことがあるんだ。『ホフマン物語』のニクラウスのように、少年はメゾソプラノとかアルトの声だからね。それで、今回のケルビーノの役は」
「ねえ」
「ん?」
「きみは良く語っているときが一番可愛らしいね」
「なっ……そんなことは」
「あるんだよ。隣にいる俺が言うんだから。きみはきみのことを、こんなに近くで見たことある?」
「ちょ、近い、近いです。分かりましたから」
「あっ、また敬語になっている。これは罰がいるな~?」
「や、やめてください! ハッ、また……」
瓶底めがねの紳士は腕組みをし、ほっかむりの女は口元を押さえた。
「ちょっとお花を摘みに参りますわ」
と席をはずした女は、狭い廊下に控えていた護衛の胸ぐらを掴んだ。
正確には、つかみ上げる勢いで詰め寄ったというのが正しい。
とにかく、彼女は限界だった。
「っ~……ああっ、可愛すぎますわ、フリードリヒ様! それに、何? あの公爵カイルとかいう絶大なカリスマ……! 色気が素晴らしいわ、あのフリードリヒ様を混乱させる、話術も素晴らしくてよ。はあ、想像がはかどりまくって……ねえツァンリン。わたくし、祖国に戻ったら絵師と詩人を雇いたいのよ。あの瞳の輝きを後世に遺さないなんて愚かの極みだわ。ツァンリン、そうは思わなくて?」
「カラン公女様がまつげバシバシのぱっちりした美青年タイプがお好きということはよくよく存じております。ちなみに俺個人の好みは、顔よりも胸です」
「最低ですわねツァンリン。さ、心を落ち着けて、尾行を続けますわよ」
「お願いしますからもうこんなことはお辞めになってください……金と権力はもっとましなことに使われてください。変装までして……フリードリヒ様とカイル様の隣のブースに入るためだけに、馬車を5頭は買える金額を使いましたよ。これ以上はもう国の恥です。幼い頃からお仕えしてきたお嬢様がこんな……うっ……ううっ」
「おだまりなさい。良い歳をして嘘泣きをしないで、ツァンリン。お父様もお母様もお兄様お姉様も、みんな私には甘いのだから」
「最低ですよ公女様。その身内でさえ駒にする、手段を選ばないところはウェンロウの王族の血ですね。それに俺の立場ってものもお考えになって下さい」
「うふ、末っ子って特ですわね。っと……キャアッ」
「何もないところでこけないで下さいよ。護衛は保護者じゃないんですからね。はあ、キャッチできてよかった」
「この愚か者ッ!」
「なぜ俺は怒られているのか……カラン公女様、おやめください。俺の足をハイヒールのかかとで踏まないでください。護衛に支障が出まくります」
「オペラグラスがッ……! フリードリヒ様の勇姿を見守る、オペラグラスが割れてしまったわ! ツァンリン! わたくしなんて捨て置いて、このグラスを守るのが護衛の役目でしょう!?」
「あー……仕事を辞めたくなる瞬間が定期的に来るなあ……」
自分の作品史上、最大級に我儘な女、公女カラン。
でもわりと好き。
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