21 リアナの憂鬱
パン屋の逢瀬はとても楽しかった。
セレスティード宮殿の自室に戻ったリアナは、ゆったりとした時間を過ごしていた。
堅焼きパンをまさか公爵カイルと一緒に食べるなんて思いもしなかった。
派手な顔立ちの騎士という印象ばかりが先にたっていたけれど、カイルは素朴な庶民のものを心から楽しんでいた。
それがリアナには意外だったけれど、新鮮な驚きだった。
「あんな顔をして笑うんだなあ……」
お忍びだとはいっても、パン屋の女将さんや平民たちとも気安く言葉を交わし、楽しんでいるように見えた。
セレスティードの城下町は公爵邸の領地からもほど近い。
どんな生活をしているのか、暮らしぶりはどうなのかということを気にしているようだった。
カイルは民を愛しているのだ。
「あんな貴族もいるのか……」
バルドのように、貴族というのは総じて、奥底がよめずに他人を駒のように使うのだと考えていた。
平民をちゃんと、自分たちと同じ人間のように思っている貴族もいるのだ。
何よりも、平民の味代表の堅焼きパンを実に美味しそうに食べていた。
カリカリとモッチリの相互作用がいたく気に入ったようで、こっそりと5本ほど購入していたのには笑ってしまった。
だけど、カイルが好きなのはーー。
王太子フリードリヒだ。
リアナではない。
「辛いなあ……」
胸に芽生えたほのかな愛情に気付いたというのに、カイルは自分を通して他の人を見ている。
王太子フリードリヒがどんな顔をしているのか、リアナは見たことさえないのだ。
いったい過去に、フリードリヒとカイルに何があったのだろう。
カイルがあんなに嬉しそうに、慈しむように熱っぽく見つめるのは、リアナでなく幼なじみのフリードリヒに対してなのだ。
これでは、始まる前にすでに失恋しているようなものだ。
全くままならない。
「フリードリヒ様か……もし、顔が似てるなら、私じゃだめなのかな……」
しかし、小さな頃から10年以上もたっているのだ。
昔のままというわけにはいかないだろう。
フリードリヒはいったいどんな顔をしているのだろう。
ひきこもっていて全く出てこない王太子と噂されていた。
リアナはふと、顔を見てみたくなったのだ。
「ねえ、マティルダ。ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど……」
それは突然な好奇心だった。
*
どうにもおかしい、とリアナが思ったのは、今日に始まったことではなかった。
フリードリヒを目撃した者の情報が少なすぎる。
戒厳令が敷かれているとしても、だ。
リアナはマティルダにフリードリヒの所在を調べるように頼んでいた。
マティルダは頼んだことはきっちりとやってくれた。
翌日にはもう、分厚い報告書を手にしてリアナの部屋を訪れた。
「調べてみたんですけど、やはり変なんですよ。王太子フリードリヒ様は……宮殿のどこにも、目撃した者がいません」
「いない……?」
「はい。侍女長も衛兵も、誰も見たことがないって。ただ、少し妙な噂がありましてね。セレスティードの北の森に、絶対に近づくなと平民たちが言う塔があるんです。公爵領の敷地の外れに」
「塔……?」
「誰も近寄らないし、昼間でも薄暗い森の中ですから。でも、たまに夜になると、窓の奥で灯が揺れてるそうですよ」
いったい誰がいるのだろう。
マティルダは少し笑って肩をすくめた。
「まさか、フリードリヒ様が『幽霊』なんてことはありませんよね?」
軽口のように言われたその一言に、リアナの胸がどきりと鳴った。
まさか。
けれど、まさかの裏には、何かある気がしてならなかった。
翌日、リアナは外套を羽織り、ひとりで宮殿を出た。
マティルダには「公爵閣下に呼ばれた」と嘘をついた。
霧が足元を撫でていく道。
馬車がたどり着いた辺境に、確かに塔はあった。
黒く高くそびえ立つ、廃れた塔――。
まるで息を潜めたように沈黙している。
門の前には門番がひとりいた。リアナの姿を見ると驚いたように目を丸くした。
「ええと……王太子様で?」
門番はすぐに敬礼して道を開けてくれた。
風がざわめき、扉の向こうから微かに金属がこすれる音が聞こえる。
ここに本物のフリードリヒがいるのだろうか?
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、リアナは静かに扉に手をかけた。




