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セレスティード宮殿の影法師 〜王太子の影武者にされた平民女は美貌の公爵に口説かれています〜  作者: 丹空 舞


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1 朝の森

冷え込んだ空気が、リアナの肺に刺さるように入ってきた。


朝露にしっとりと濡れた森は静まりかえっている。


サクサクと土の上を踏む馬の足音。


チュンチュン。

微かな鳥の鳴き声。


そして、げんなりと馬に揺られる美少年。


カッポカッポとおつきの家来たちが前と後ろに歩みを進める。




森といっても、ここはセレスティード王宮の一部だ。


そもそもリアナのような平民、つまりは下賤の民、が足を踏み入れることはない。


王族専用の庭園のようなものだ。



そんな爽やかで静謐な朝の緑の景色の中。リアナもとい、セレスティード国が王太子フリードリヒは、『ご散策』なるものをしていた。


毎朝の王室のルーティンらしい。

くだらないと思うものの、どちらにせよリアナに拒否権はない。


リアナは白馬の手綱を握る指先に力を込めた。

自分の着ている赤いジャケットがペカッと眩しい。やけに着心地が良いのは、高級な生地だからだろう。

城下町の酒場『へべれけ歌謡』のカーテンだって、こんなに紅くはなかった。


なにゆえに朝っぱらから、ド派手なジャケットを着て、何をするでもなく、馬に揺られなければならないのだろう。



「無駄過ぎる……」


「何かおっしゃいましたか?」



先導する家臣のラムダが、ぐりんっとフクロウのように首を180度回転させる勢いで、振り向きながら尋ねてくる。

馬上だというのに器用な男だ。

信じられないことに、ラムダはあのバルド宰相の実の息子なのだ。


まず、あの陰険そうなラムダ宰相に妻がいるということが理解しがたい。

絶対に政略結婚だ、とリアナは邪推していた。


そもそも、バルドとラムダは顔がそっくりなので、血縁関係を疑いようがない。

どう見ても親子だ。

ねちねちした話しぶりも、感情を捨て去ったような表情も。

ラムダも宰相と同じ灰色の瞳で、神経質なたちなのか、いつも眉間に皺が寄っている。



「いや、何でもない」


と、リアナはなるべく低い声で言って、慌てて口を閉じた。

平民感を出してしまえば、処刑の二文字が足早に近付いてくる。


だとしても、気になるものは気になってしまう。


森にはそこかしこに薬草が生えているし、食べられる木の実や果実もなっている。この限られた王族だけの箱庭でただ朽ちていくのは惜しい。


だけど、ここで採集に励んでしまえば、王太子がまったくの『偽物』の平民影武者であるのが露見してしまう。

食べられるからと野生の実を手づから採集する、そんな王族はいない。

そう、王族ならば、無駄に慣れなければいけないのだ。

リアナにはそれが辛くて仕方がなかった。



(うう……パンの耳も捨てずに節約を重ねてきたのに……ああ、あんなとこにも、ラズベリーが……ニワトコの実もある、ああ、ちがったあれは、ベラドンナか……うわ、ブルーベリーだ……あー、摘んだら籠いっぱいにはなるだろうな……)




パカラッ、パカラッと馬が揺れる。



「何か気になるものでも?」

ラムダがまた、グリンッと振り向いて尋ねてきた。

普通に怖い。

もうこんな人間は猛禽類博物館とか怪人動物園に収容されて欲しい。


影武者の秘密がバレれば、即刻死罪だ。

処刑される前に、秘密の発覚を危惧したバルド宰相に直接殺されるかもしれない。

十分にありうる話だ。

ぶるっと背筋に寒気がはしってリアナは体を震わせた。


自分が王太子ではないと、絶対に、誰にもばれてはいけない……。







「殿下、少しご休憩を」

と、ラムダが言った。

「まだお体が本調子ではないと聞き及んでおります」



慣れない乗馬で、落馬でもされたらコトだという意味だろうか。


リアナが口を開く前に、後ろから陽気な野太い声が飛んだ。


「ええ、そうでしょうとも! ご無理をなさらずッ! お外に出られたのも何年かぶりと聞いてます」


彼は、フリードリヒ王太子の乳兄弟のアルバートという大柄の青年だ。

燃えるような赤毛で、オレンジ色の目をしている。

アルバートは熊かとみまごうような大きい馬に乗っているが、馬の方もブヒヒヒンといななき、豪快に歩いている。

アルバートはやたらと声が大きく、吠えているように喋る。


「いやあ、それにしても久しぶりだ。フリードリヒ様をお見かけしたのは十年も前のことになるんですねえ」


デカブツのアルバートは感慨深げにあごひげを撫でた。

リアナは微笑むのみ、だ。

よく分からないところは黙っているに限る。


「十年前はまるで花のようで、折れてしまいそうな美少年様だったですけれども! こうしてお元気になられて……本当に良かったです! 大きくなりなさっているけど、昔の面影が残っておられますなあ」


「ええ、本当に。昔のままです」


ラムダが眼鏡を手首でクイッと押し上げた。


ラムダが、リアナの正体を父親に聞いているのかは定かではない。

向こうが口に出さないので、リアナの方も黙ったままでいる。

全く父子そろって油断ならない奴らだ。



「……私が不在の間、皆には世話をかけたね」


リアナは王太子になりきって微笑んだ。



(演じ切ってみせる)



これまで演じてきた天使、貴族、青年、少年……

全ての経験を活かして、理想の『王太子』を演じ切る。

それが唯一の生き残る道だ。



(目は動かさず、口角をあげる。あくまでも優雅に……病弱だった過去を僅かに悔やむように、儚く見えるように少しうつむいて……フリードリヒ様ならきっと、こうするはず!)





「うっ」


「う?」


リアナを見ていたアルバートの目から滝のような涙が流れ出した。



「う、うううう! 本当に、よくぞお元気になられて……! 薄幸の天使なんて呼ばれたフリードリヒ様は、小さい頃から砂糖細工みたいに儚げでッ……! 何度も暗殺の危機が迫って、どんどんと痩せていかれて……俺は心配で心配で、それがこんなにお元気に……ウッウッ……ウオオォン!」


アルバートが森中の狼を敵に回しそうなほどの遠吠えじみた号泣をしだした。

ラムダが冷静にアルバートの背を叩く。


「アルバート。王太子殿下の御前だぞ。少しは落ち着け」

「ウッ……すみません、つい、嬉しくて」


リアナはほっと息を吐いた。


王太子フリードリヒは昔から病弱な男だったらしい。

死にかけるほどの病に陥りながらも命を繋いでいたが、元々の気質もあって部屋にこもりがちになった。


暗殺の危険に晒されながら、王太子として陰謀渦巻く王宮で生きていくのは、繊細で年若い王子にとっては酷なことだったのだろう。


現在、本物のフリードリヒは王宮東、王太子の部屋にこもって、最低限の従者をまわりに置き、密やかに生活しているらしい。


しかし、本物の王位継承者がそれでは示しがつかない。


隣国との情勢がきな臭くなったあげく、自国でも派閥に分かれた小競り合いが増えてきた。あわてた王権派の最後の切り札。それが、王子の幼少期に顔かたちや雰囲気が似ているというリアナだった。

バルド宰相は路上劇のリアナの評判を聞きつけて、この計画を思いついたらしい。


(いくら人気が出ても、調子にのって王子の男装なんてしなけりゃよかった)


男装の麗人やら美青年やらと誉めそやされていろんな役に挑戦して劇団を盛り上げたが、それが仇となってしまった。


しかし、今さら過去を嘆いても始まらない。






リアナたち三人は小さな泉に着き、馬の鞍から降りた。

ラムダが世間話のように話しかけてくる。


「何とか生き延びましたね、殿下」



いちいち癪に障る男だ。



「そういう言い方はやめてくれないかな」


「誉めておりますよ? 十年ぶりの乗馬にもよくお慣れになったと」


剣を構えながら、ラムダは軽く肩をすくめた。

油断をすれば、彼に討たれるのではないかと錯覚する。

得体のしれない男だ。

敵はどこにだっているのだ。


警戒を隠しながらリアナは大きな切り株に腰かけた。

アルバートが水を渡してくる。

馬にも水をやりますね、とアルバートは馬たちを泉に誘導している。



ふと、ラムダが灰色の瞳をこちらに向けた。


「ときに殿下、王太子として最も大切なことはなんだと思われます?」


「……外交能力、だろうか」



ラムダは声色も変えず、淡々と告げた。


「生き残ることです」

リアナは小さく息を呑んだ。

ラムダは冷静に続けた。


「数年前、現王妃様は死線をさまようほどのご病気になられました。回復はされましたが、もう子は望めません」


「……それは」


「事実です。ええ、あなた様のご母堂のお話ですよ」

とラムダは言い切った。

リアナはギクリッとして背筋を凍らせた。

人ごとのように聞いていたが、王妃が母、国王が父なのだ。

改めて考えるとすごい立場だ。


「そしてこれはもはや周知の事実。現在、この国に『王太子』つまり王の跡継ぎは一人しかおりません。あなたに万が一のことがあれば、この国には正式な後継がいなくなる」


「も、もし、そうなったら?」


「公妾の子の中から、アルノー王子が繰り上がって王になるでしょう。だが、我らがリュミエール国の母は王妃様のみ。王妃様は戦時中も国民を励まし、貴人の立場もかまわず兵士の見舞いに回っておられた。ご実家からの支援品をあちらこちらに配っておられた。騎士団も国民も、あのときの恩は覚えている。万が一、王太子が害されるようなことがあれば、子が一人しかいない王妃様のお立場はたちまち危うくなるだろう」


リアナの中で、何かがじわりと冷えていった。

ラムダの目は鋭く、それでいてどこか痛切だった。


国教のレナトゥス教では、一夫一妻がむねとされる。

離婚でもしない限り、王であっても妻は一人だ。

側妃がいない代わりに、『公妾』という愛人は許される。


平民のリアナにしてみれば、

(一夫多妻と同じじゃないか)

と思うのだが、貴族にはいろいろあるらしい。


公妾にかかる費用は王室から出るというのだから、実質側室のようなものなのだが、神様の教義には逆らえない。


しかし、王太子ともなれば、跡継ぎだ。

継承権のないただの王子とは違う。


「本来、どれだけ子が生まれようとも、公妾の子は継承権はない。単なる貴族です。政権が変わらない限り、後継者はフリードリヒ様唯一なのです」


ラムダは声を潜めて、しかしはっきりとリアナの耳に囁いた。


「ゆめゆめ、お忘れなきよう。あなたはこの国の切り札なのです。どうか一日でも長く生き延びてください」




(今すぐにでもあなたの父上に殺されそうですが~?)

と言ってやりたいのをぐっとこらえる。




「善処するよ」



と王太子の顔を取り繕ってあくまでも微笑んだリアナに、ラムダは忠誠の礼をした。

やたらと丁寧な所作が腹が立つ。



五日後の春祭りでは、王太子の快癒を祝うらしい。

本格的に、命を狙われる日々が始まってしまう。


リアナはそれがあまりにも憂鬱だったので、この後ラムダが声を潜めて話していた忠告を聞いてはいなかった。






「いいですか。余計なことはしゃべらないように気を付けてください。王太子としてのぼろが出ますからね。特に騎士団には近づかないように。上級貴族が多くいますから……」

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