プロローグ・地下牢
『国は船。民が船員なれば、貴族は船首。王族はその最たる者!』
「ねえ、あの『王子役』の子、なかなかいいわね? エルフの王子だなんてって思ってたけど、様になってるわ」
「だろう! トライア劇団の秘蔵っ子だからな。団長も鼻高々だろう」
「あの声の張り、これから化けるわね」
「おう。街角の路上劇も捨てたもんじゃねえよな」
「日々の生きがいができるってもんね」
※
王宮というのは、地下牢でさえきちんとしている。
薄暗い地下牢で、リアナ・フェルナーはそんな場違いなことを考えていた。
褐色の髪には寝ぐせがついている。
牢やに入れられたのによく眠れるな、と、親代わりの団長なら呆れて笑うかもしれない。
しかし、これまで風でも吹けばピュウッと飛んでいきそうな廃材を積み上げた小屋に住んでいたのだ。
どっしりとした石造りの地下牢は雨も雪も入ってこない。
何より一日三度も食事が出る。
リアナにとっては天国と言ってよかった。
ここに連れてこられて一晩が経ったが、正直なところ、わりと快適で爆睡してしまったくらいだ。
ベッドどころか清潔な枕や布団さえ用意されているのには感動した。用を足すときは兵士に言えば牢を出される。
ここはきっと貴族用の地下牢なのだろう。
悔しいので言わないが、案外悪くはない。
だが、こちらにだってなけなしのプライドはある。
娘ひとり、孤児になってからも世間の情に世話になりつつ、なんとか生き延びて来たのだ。
それを野良犬でも拾い上げるように、王宮からの兵士たちはリアナを連れ去って、ひょいっと馬車の荷台に転がした。
手酷く殴られはしなかったものの、半ば生け捕りにされたような形でここに連れて来られたリアナとしては、喜べるはずもない。
「あー……団長、めちゃくちゃ怒ってるかな……」
新作の劇は継子物だった。リアナに割り振られたのは悪者の動向を主人公に密告して殺される村の少年役で、脇役とはいえ、そこそこの技量がなければできない役だ。
あの新作劇はどうなっただろう。
リアナはすうすうするワンピースの裾を、手持無沙汰に握った。数年着倒した穴の開いたお古の外套を捨てられた代わりに支給されたのだ。どことなく気恥ずかしかったが、着心地のよさは途方もない。
これが絞首刑になる前のしきたりなどでは無いことを祈るしかない。
演劇団の団長に拾われてから、自然の流れでリアナは演劇団員になった。舞台装置のない広場の路上でも、娯楽の少ない平民たちはこぞって劇を見にやってきた。
幸運なことに、リアナには演劇の才能があった。
すっきりとした目鼻立ちと凛とした声質は、天使や少年や異国の王子の役にぴったりだった。
身寄りのなかった戦災孤児の自分を拾ってくれた団長の恩に報いる。
そのつもりでリアナは自分なりに精一杯、芝居の稽古にも励んできたのだ。
だが、それもこうなっては全て終わりだ。
「失礼する」
失礼するなら帰ってくれ。
喉まで出かかってグッとこらえる。
目の前の初老の男はどことなくブドウの香りさえ漂わせている。
突然牢の鍵が開けられたと思ったら、ズカズカと入ってきた。
この男はどう見ても貴族である。
重々しい濃い赤色のマントの肩口には、王室の紋章のかたどられたバッヂが留められていた。
どうひっくり返っても、ミローネの城下町のパン屋にはいそうにないタイプだ。
「リアナ・フェルナーだな」
重々しい声は少ししゃがれていた。
銀の刺繍が施されたマントを身にまとい、背筋は年の割に真っすぐに伸びている。
軍人のような厳しい顔つきは隙がない。
「はい」
と、リアナは怯むことなく見返した。
後ろに控えていた兵士がリアナに向かって語気を荒げて叫んだ。
「頭を下げよ無礼者! こちらはリュミエール王国が宰相、バルド・エグレール様だぞ! 本来ならば平民のお前がやすやすと喋って良いお方ではない!」
バルド宰相は、よい、と短い一言で兵士を黙らせた。
「リアナ・フェルナー。お前は無許可でリュミエール城下、ミローネ路上に演劇などという娯楽を垂れ流し、遊びにうつつを抜かし、平民を堕落させていた。間違いないな」
間違いしかない。
が、そんなことを言えば即刻首が飛ぶ気がする。
「……演劇をしていたのは間違ってはいませんが」
と、しぶしぶリアナは言った。
「貴様ぁぁッ! 生意気だぞ! バルド様に向かってその言い方は何だ!」
兵士が今にもリアナに飛びかかろうとした。
血の気が荒い男だ。
「本来ならお前が顔を見れるような相手ではないぞ! バルド様は我がリュミエール国を敵国の支配から解き、自治を回復させた歴史的なお方だ! それをお前は!」
兵士は焼いている途中の栗のように顔を赤くして怒鳴ったが、宰相は左手で軽くいなした。
「よい、と言っておる。さがれ。わしはこの娘に用があるのだ。お前が忠義にあついのは分かったが、今は邪魔をせず話をさせてくれ……うむ、行ったな。これは内密な話なのじゃ。ほう、こうして女の服を着せて見ると、顔は本当に娘に見えるが……」
リアナは相手がいわんとしていることを察して、キッと顔をあげた。
悪かったですね、胸もとが貧相で。
リアナはキッと目の前の貴族をにらみつけた。
これから何をさせられるのだろう?
色を売らずに、芸で生きていく。
リアナは平民として、役者として、矜持を持って道化てきたのだ。
いざとなったら毒でも飲んでやる。
リアナの意志の強い眸を見て、バルドは僅かな喜びを滲ませた声音で言った。
「ほう。見どころのある小娘だ。戦場では弱気になった方から首が飛ぶ。お前のような者ならば話が早い。では、率直に言うとしよう」
バルドは淡々とリアナに告げた。
「お前の罪を不問にする代わりに条件がある」
リアナは無言でワンピースの裾をいじくった。
もう、なんでもいいから街に帰してほしい。
着心地の良いワンピースよりも、質の悪いカーテンの布を派手な色に染めて作った、手作りの道化やら妖精の衣装やらが懐かしかった。
女中として働けと言われるのだろうか?
リアナは一瞬思ったが、自分の料理の腕が壊滅的でパン屋の厨房に出禁になっているのを思い出して、違うと気付いた。
こちらのことを調べた上で連れ去ったというのならば、もしかして踊り子にさせる気だろうか?
劇団の中で舞踊を披露することもあった。
そのほうが客の受けが良かったのだ。
貴族どもの前で踊れと言われるのかもしれない。
きっとそうだ。
リアナはふうっと息を吐いた。
「バルド様。平民のいやしい身分ではありますが、私もこれでもリュミエールの一員です」
自分から歩み寄ったほうが、話が早いだろう。
リアナは頭を下げて言った。
「尊い御身の皆様のために、私にできることでしたらご協力いたしましょう」
貴族にいいように使われるのが面白いわけではない。
が、どうせなら利用してやろう。
自分の舞踊の実力で貴族たちに金を出させることができるなら痛快だ。
「そうか。いや、賢いお嬢さんで安心したよ」
バルド宰相は顔色一つ変えず言い切った。
「今日から『王太子』になるのだ」
重く低いバルドの声が地下室に響いた。
なるのだ、なるのだ、なるのだ……。
反響。
その後、しーん、と静寂が満ちる。
「は?」
王太子と聞こえた気がする。
さすがのリアナも一瞬、耳を疑った。
言葉の意味が、すぐには飲み込めない。
「お、おーたいし? の踊りですか」
「何を言っている」
その台詞をそのまま返したい。
だが、バルドの目は本気だった。
揺らぐことなく、氷のように冷たい。
平民を駒としか思っていない。
命令を下す、特権階級特有の瞳だ。
「あー、スミマセン。なにを……おっしゃって……いるのか、よくわかりません」
呆けて返したリアナに、バルド宰相は言葉を重ねた。
「その顔立ち、骨格、声質。すべて我が国のフリードリヒ王太子殿下の幼き頃と酷似している」
そんなこと言われても、平民のリアナには王宮の内情など知り得ない。
フリードリヒと言われても、そうですかという感想しかない。
教会の古びた壁画の天使たちのほうがまだ身近に感じられる。
「いや、無理があるのでは」
リアナの冷静な感想を無視して、バルドは宣言した。
「お前は今日から、王太子殿下の影武者だ」
「影武者ぁ?」
もはや面前の男が貴族だとか、国を救った偉い人だとか、そんな一切を忘れてリアナは叫んでいた。
「だめです、そんなの。ばれますって!」
しかしバルドは正義を確信した顔をしていた。
リアナを無視して、貴族は勝手に話を進めていく。
「王太子殿下は病を患い、公務に出ることができぬ御身。だが、この王国は今、健やかな王太子を民や諸外国に見せねば、国としての威厳が保てん。だからこそ、影武者が必要なのだ。お前は幼い王子に雰囲気が良く似ておる。粗野で粗暴で、少し臭うが……まあ、どうにかなるであろう」
「いや、いやいやいやいや。無理です」
「無理ではない」
話が通じない。
「だって私、女ですよ」
「だから何なのだ?」
この大臣は頭がおかしい。
リアナは一種の恐怖を感じた。
「お前にとっても悪い話ではない」
「そんなわけないでしょう!? ばれたら、だって、こ、こ、こ」
「鶏の真似が巧いな」
「殺されますよね!? バレたらっ」
「そうだな。私もお前も無事では済まん」
バルドは頷く。
他人事のように言うのが腹が立つ。
「あのー、もし、断れば?」
リアナが問うと、バルドは短く答えた。
「生きてここを出ることはできん」
リアナは口をぽかっと開けた。
勝手にもほどがある。
どちらにしろ、死ねということか。
「そんな、勝手な」
「その場合は同時に、お前と演芸に興じておった仲間どもにも処分がくだる。親代わりが随分とたくさんいるのだな?」
脅しているのか。
リアナは唇を噛んだ。
目の前の貴族が心底憎らしい。
ついでに顔を見たこともない王太子にも腹が立った。
「綺麗な服を着て、ずいぶんと汚い手を使うんですね、貴族とやらは」
震えながらリアナが言うと、バルドはふんと鼻で笑った。
「黒い中身を隠すための銀糸の服だ。何とでも言うがいい。お前が頷きさえすれば、お前の親代わりを務めた連中には、たっぷりと『報奨金』をやろう。また、王立の劇場をたてる計画を進めて、そこに一枚かませてやる。どうだ? 孝行をしたくないか?」
それが、この国のやり方だった。
上に立つ者の都合で、下にいる者はいつでも切り捨てられる。
リアナは、静かに息を吐くと、ひとつうなずいた。
逃げ道はもはや無い。
ならば、早く覚悟を決めたほうがいい。
「……わかりました」
バルドの目が細められる。
「よし。ではこれより『影武者教育』に入る。礼儀作法、剣術、殿下の好み、口調、歴史、舞踏、女の口説き方──すべてを三ヶ月で叩き込む。お前の命は、国の威信そのものと心得よ。ああ、その髪にも別れを告げておけ。フリードリヒ殿下は煌めくような金髪だ。かつらでは心もとないから、地毛から染め上げるぞ。どうやってだと? 白ワインの滓にオリーブオイルを混ぜて髪に塗るのだ。日の光の下で半日もすれば色が抜ける。嫌なら猫の尿で色を抜く方法もあるが」
「ワインでお願いします!」
こうしてリアナ・フェルナーは、リュミエール国王太子、フリードリヒ殿下の影武者となったのだった。
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