旅人
曇天の空の下を着流しを着た少女と少年が歩いていた。少女の方はかなり重く大きい荷物を背負い込んでいるようだが、その足取りは力強く頼もしいものであった。一方少年はほとんど手ぶらと言っていいほどに身軽な装いで少女のあとをつづいて歩いていた。少年が口を開く。
「アリス、そろそろ目撃情報があった場所に着く。その前に一度休憩を挟まないか?」
しかしアリスと呼ばれた少女は少年の言葉に応えず、ただ無言で少し先の森を指さしてニヤリと笑った。それだけで少年は何かを悟ったらしい。
「僕が先に行こう。アリスはどこかに隠れて不意打ちを……いや、アリスの金髪は目立つから、隠れるのは無理か。」
そう言い残すと少年は駆け出し、森の中へと入っていった。それを見届けたアリスは持っていた荷物を下に置き、中から一本の刀を取り出して腰へと巻きつけた。
森の中から大きな音が聞こえる。どうやらそれは何か大きな動物の鳴き声のようだ。木々が倒れる音や身の毛がよだつ程に恐ろしい足音が森からアリスへと迫り来る。
「……来いッ!!」
白刃がアリスの腰から躍り出たと同時、木々の影から異形の化け物が姿を現した。
それは熊に似ていた。しかしそれは熊と言うにはあまりに大きく、全身の至る所についた紅く光る眼球がそれが普通の獣とは異なっていることを証明していた。
「アリス!!今だッ!!」
「もちのろんよォ!!」
雄叫びの様に叫んで、アリスは高く飛び上がった。そして……
ポキッ
刀は異形の体に当たると呆気なく折れてしまった。
「……に、逃げろおおおおおお!!」
アリスと少年は一目散に逃げ出した……。
「ぜぇ……ぜぇ……」
二人は二時間近く走り回ったあとようやく腰をおろす。
「ハク……話と違うじゃねぇか……」
「まさかあれほど硬いとはね。僕もちょっと予想外だった。」
「近くに集落があるといいんだが…刀とか武器全部置いてきちまった。」
「僕に任せて。」
ハク、と呼ばれた少年が跳躍する。それは人間のものとは思えぬ程に高く、天へと届くのではないかと思えるほどであった。
「よっと……割と近くに小さいけど一つ集落があったよ。あそこに行こう。」
華麗に着地を決めたハクの頭には兎の耳が生えていた。しかし、アリスにとってそれは特別驚くようなものではなかった。
「……刀、買えるかな?」
「僕ら今無一文だから無理じゃないかな?」
集落につく。そこはかなり廃れていた。どこからか子供の泣き声が聞こえ。またどこかからは老人の溜め息が聞こえた。
「これは…酷いね。」
「ああ……あんなデカい妖が近くにいたんじゃ、これも仕方ないけどな。」
二人は集落の人々に商人の場所を聞き、すぐにそこへ向かった。道中、物乞いや腹を空かせた子供達に何度か遭遇したが二人は何も恵まなかった。二人は決して英雄や聖職者ではないのだ。ただの狩人……否、ただの子供であったのだ。商人からアリスは鈍ら刀を三振りと丈夫そうな縄を購入した。購入とは言ったものの彼等は無一文であったため商人の情にすがった形であった。
「子供を二人妖に丸腰で立ち向かわせるなんてことをしてしまったら俺は夜も眠れない。業物はくれてやれねぇが、鈍らなら好きに持って行け。」
次に二人は料理屋に向かった。しかし、ここの女将はさきの商人ほど情に厚いわけではなかった。ハクは早々に諦め店を出たが。アリスはしぶとく女将と交渉し、最終的に何かが入った袋を女将から勝ち取ってきた。
「何を貰ったんだ?」
「ハクには内緒〜」
拳骨が一つアリスに落ちた。
そして彼等は足早に集落を立ち去った。彼等は知っていたからだ。何かを恵むことより、慰めの言葉をかけるより、いち早くあの妖を狩ることがこの集落にとっての最善であることを。
二人は妖が出た森の近くへと戻ってきた。彼等は一度負けた相手に無策で挑むほど阿呆では無い。多少の細工を辺りに施した。
「準備はいいな、アリス。」
「もちのろんよ!!」
先刻と同じようにハクが森へと駆けて行き、アリスが腰の刀に手を伸ばす。轟音が再び森へと響きわたった。妖が森から姿を現したその時、妖の周囲の地面が沈み込む。そして木の葉によって隠れていた縄が妖の身体にきつく巻き付いた。
「即席にしてはよく出来てるだろ?」
アリスは不敵に笑い身動きが取れなくなった妖を切りつけた。しかし、刃は通らない。妖は愚かな人間の雌を嘲笑うように牙を見せ、そのままアリスの首に噛み付こうと首を伸ばした。
「させないよ。」
声の直後、妖の身体が後ろに飛んだ。木々をなぎ倒しながら振り回される妖。その体は縄を掴んでいたハクによっていいように弄ばれていた。
「駄目じゃないか、女の子に噛み付こうだなんて。」
容赦なく何度も妖を地面に叩きつける。だが、先に限界が来たのは妖ではなくその体に巻き付いていた縄の方であった。拘束が解けた妖はすぐにハクへと襲いかかる。ハクはそれを難なく躱すがどこか浮かない表情だ。
「どうするアリス。刃も通らないし縄も千切れた。僕らにはもうこいつを殺す決定打が無いよ。」
ハクは何度か妖を殴りつけたが、然程痛手にはなっていない。ハクの表情に焦燥が浮かぶ。
「アリスッ!!聞いてるのか!?」
とハクが叫んだその時、妖とハクの頭上で何かが音を立てて破裂した。
「へへッありがとな、飯屋のおばちゃん」
それはアリスが作った催涙弾もどきであった。粉末状にした鷹の爪と塩胡椒。それらが一人と一匹に降り注ぐ。妖はその全身についた眼球達でそれをしっかりと味わった。飯屋の女将も本望であろう。大きく口を開けながらのたうち回る妖にアリスは悠々と歩いて行き…
「ついでに鉄でも食っときなッ!!」
そう言って刀を口腔にねじ込んだ。どれだけ外側が固かろうと、内側からの攻撃には関係がない。寸刻ほど暴れたあと、やがて妖はその息を引きとった。
妖を仕留めた後、アリスは元々持っていた荷物を捜索し、見事に見つけ出した。その間ハクは、アリス式催涙弾によってずっとむせ続け、治まるや否や
「僕を巻き込むな!!」
と言って一つアリスに拳骨を落とした。その後二人は先程の集落に戻り妖を討ち取った旨を報告した。集落の皆は大喜びし、宴を開こうとしたが、そんな余裕は集落には残っていなかった。村の人々は
「必ず来月には宴を開きます。その時にどうか、またこの集落に訪れてはいただけないでしょうか。」
と二人に言ったが、二人はその申し出を断り、旅を続けなければならいのだと告げた。
集落を去ろうとした時、一人の子供が二人のもとにやって来て
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!!」
と言った。二人は決して英雄や聖職者ではない。ただの狩人であり、ただの子供なのだ。しかし、ただの狩人であっても、ただの子供であっても、幼子の感謝は嬉しいのであった。