疾駆青春ver1.5
今作は第一回べた恋企画に参加した「疾駆青春」の改稿作になります。
漫画ちっくに、ライトに書いてますので気軽にお読み下さいまし☆
――こいつは本当に女なのか?
対峙する小柄な同級生を前に、しばし俺は時を忘れ呆けていた。
十分前、二日酔いで頭が痛えから薬を買ってこいと雪姉に頼まれた俺。ぼやぼやしてると怒りのハイキックが飛んでくるので、慌てて家を飛び出した時のことだ。
帰ったら普段の扱いに対する復讐をしてやる、なんて走りながら頭ん中で攻撃を組み立ててた。なにせ弱ってるとはいえ雪姉は強い。背丈は俺と変わらんが胸はぶ厚いし、肩回りこそ華奢に見えるがスピードでは圧倒される。親の顔も覚えてねえ俺にとって、唯一の肉親であり保護者、四つ上の姉貴、雪乃
そう、女といえば雪姉。鮭とばを頬ばり酒を呷る、それ以外の女はよく知らん。だからアパートの角を曲がった途端ぶつかり、弾き飛ばした女はやわくて、雪姉と同性とは思えなかった。
「てめえ、どこ見て歩いてやがる。目玉ついてんのか、ああ!」
女は一瞬、恨めしそうに眉間にしわをよせた。だが次に浮かべたのは、失せ物が見つかったかのような、まぶたを見開いた呆けの表情。
「あ、笛塔くん」
続いて小さな唇からつむがれた声は、俺の知る女と違い柔らかく甘い香りがした。
「あ、あの、プリント。ちょうど良かった。これから届けようと思ってたから」
ここで俺の思考は急ブレーキを踏み込んだ。どうやらこの女は俺を知ってるらしい。だが俺は知らん。記憶にねえ。あんたいったいどこの誰子よ? 攻撃を仕掛けてこないところ、雪姉の知り合いじゃなさそうだが。
「ああん? プリンがどうしたって。俺は確かに甘いもん好きだが…… いや待て、ちと待て、しばし待て。甘いものが好きとか宣言することに抵抗を覚える、硬派な俺の赤裸々な嗜好を知ってるとはキサマ…… やはり雪姉の仲間か!」
俺は両腕を胸元で掲げて、すかさず戦闘態勢を整えた。
「甘い声で油断させようとは巧緻な奴。だが甘い、見切ったぜ!」
反対に隙をつこうと女の一挙一頭を覗き込む。と、女の着る濃紺のブレザーが見覚えあるものと気づいた。
「あ、あの、これ渡すように言われたの。笛塔くん、学校に来てなかったから」
「む、するとあんた学校の、クラスの奴か」
合点がいった。俺は肩の力を抜き、改めて女を認めた。
「あの、手を貸して貰ってもいいかな?」
「お、おお、悪い。怪我無かったか」
さし伸ばした指先に女の細指が絡んだ。うっかりレスリングでいうところの力比べをしそうになって、手を取り直す。同級らしい女は苦笑いしつつ、腕に体重をあずけてきた。
思ったより軽い。つうか飯食ってんのか、などと図ったが、雪姉を知る俺は強さに身の重さが重要じゃねえことを熟知している。んなことより俺が息を飲んだのは、ミルクセーキのような優しい匂いが、声だけじゃなく身体からも発せられてることだった。
しつこいようだが女といえば雪姉。雪姉といえば酒の匂い。つまり酒以外の臭気をまとうものは女じゃねえ。それが俺の女に対する法則。万物の真理。だからこそコイツは本当に女なのか? という疑念が生まれたんだが、フッ、俺も今年で十五。四捨五入すりゃ立派な大人の男子。女が雪姉みたいなのばかりじゃねえと知ってる。しかし、柔らかい肌だ。吸いつくように俺の手を離さない……って、あれ? 離してねえの俺か。
彼女は立ち上がっても手を離さない俺を怪訝に覗き込んだ。俺はぎごちなく指の力を緩め、ほどなく開放した。プリントを手渡され、二言、三言、会話を交わす。別れ際に彼女は「学校においでよ」と誘った。
俺はただ呆然と彼女を見送った。自分が何て返答したのか、まったく覚えてねえ。そのことに気がついたのは薬を買い忘れて帰宅、雪姉得意のメス投げ(姉貴は医療従事者だ)を食らった後だった。
年がら年中、喧嘩に明け暮れてた。四六時中むしゃくしゃした気分に支配され、世間を斜めに生きてきた。特に理由があって学校をサボってたわけじゃねえ。生活費の上、学費すら捻出しようと日夜働く雪姉の負担を軽くしよう、なんてのは後づけの口実だ。だから改めて登校するなんざ、なんだか恥かしくて。もとい、初志貫徹の精神に逆らう。そんなふうに考えてた俺にとって、あの同級生との出会いは良いきっかけだった。
学校に通い始めて一週間。あのヤワそうな同級生の名前が相募弥生だということ。とりたてて美人とかいうわけじゃねえが、場を大切に盛り上げ役を買ってでる陽気さを持つということ。それ以外にはそこらへんに転がってる女子と変わらない女だということを知った。
いや、もうひとつあった。不良のレッテルを貼られて久しい俺に普通に挨拶を、普通に笑顔を、普通に接してくれる、いかした女だった。気がつきゃ俺の眼は常に彼女を追い、鼻は匂いを求め、耳は一言たりとも逃さず彼女に傾けるようになっていた。
そんなある日の昼休み。隣の男子をこづいてた俺に、彼女が話をかけてきた。
「もうすぐ修学旅行だね。笛塔くんはどこを回るの?」
問われて瞬間「相募の近くを回りてえ」なんて答えそうになった。いかん、んなこと言ったら近くで談笑してる奴らに、俺が彼女の回りでヒラヒラと踊りてえ不思議ちゃんだと思われちまう。
「そ、そうだな。そいつはなかなか難しい問題だ。今度、考えて――」
「ねえねえ、相募は誰と回るの~?」
こともあろうに俺と彼女の会話に別の女が入ってきやがった。
「誰って、三日目のこと? まだ決めてないな~」
どうして女ってのは、こうも遠慮なく人の間合いに入りこみやがる。俺は閉口しつつ、しかし耳だけは飛びかう彼女たちの言葉を拾った。
どうやら話の中心は自由行動の三日目に、誰と回るかってことにシフトしている。相募はまだ特定の誰かを決めてないらしい。俺にもチャンスが残ってると心中でガッツポーズをした頃、午後のチャイムが校内に響き渡った。
足取りが軽い。帰宅途中に思わずスキップしてる自分を自覚する。鼻歌まじりに、心の師匠アントニオ氏の闘魂テーマを口ずさむ。三日目に一緒に行動するという約束はまだ達成されてねえ。しかし不安はなかった。たとえ断られても、みぞおちに一発食らわして強制連行すりゃいい。だからノープロブレム。きっと相募なら許してくれる、と思う。
帰宅した時、正確にいうと俺と雪姉が住む二階建ての木造アパートを視界に捉えた時、俺は目を疑った。十数人もの人間が一人の女、俺の姉貴を取り囲んでいたからだ。
「てめえらぁぁ!!」
叫びながら猛ダッシュ。飛び掛りざまに一人の男に蹴りをいれ、躍りかかる。幸い雪姉はさすがに強い。三人ばかりを地べたに這いつくばらせている。しかし多勢を前にしダメージも受けていた。
俺は浮かれてた自分を恥じた。学校に行くようになって、それまで自分が犯した愚行の数々を忘れてたのだ。雪姉と俺との最強タッグの前に次々と崩れおちていく連中。その顔はどれも見知ったものばかり。かって鬱屈とした心を解消させる手段。俺の暴力の前に犠牲になった奴ばかりだった。
「すまねえ、姉貴。コイツらは……」
「言い訳は聞きたくないね。ただアンタが真面目に学校に行きたいなら、すべきことは一つしかないよ」
「ああ、分かってらぁ」
俺は倒れてる連中の一人、まだ余力が残ってそうな男の襟首を掴んだ。
「テメエら扇動した奴ぁ、どこのどいつだ」
俺がケジメをつける方法。それは過去に犯した負の遺産を片付けること。それを済まさなければ、俺は愛募と一緒に学校に行く資格がねえってことだ。
翌日、たなびく風が頬をなでまくる日だった。俺は桃色をした鉄柵が怪しい、おう、怪しすぎる校門の前に立っていた。昨日の情報によると扇動した奴はここにいるらしい。私立上之宮高校。べたな恋愛に命を賭ける校風と噂に聞く、やはり怪しい学校だ。俺は戸惑いを覚えた感情を隠して、校内に足を踏み入れた。すると校舎から一人の女生徒?が、しゃなりしゃなりと腰を八の字に振るわせながら歩いてきやがった。
「てめえが渚とかいう、ここの番長か」
「うふふ、お待ちしていましたわ。笛塔 我男様」
声をかけられた瞬間。びびび、と背中に電流が走った。声の質が低く、口調が甘ったるかったからじゃねえ。俺は、自慢じゃねえが180近い身長を有してる。だがコイツ。俺の前に現れた渚という奴は、俺より確実に頭一つ高い。そして、なんだその服装は!? 隆々とした筋肉を誤魔化せない。誤魔化す気がないような、ぴっちぴちのブラウス。すね毛丸見えの足をさらけ出した、その半身は。
俺の中の辞書にある男とも女とも合せない。それが渚という人間だった。
「私の乙女心。この素直に伝えられない、初めての恋心を察してくれたのね。もう、我男様ったらぁ」
……とりあえず、ボコボコにした。俺の理性がこいつの存在を許せなかった。ついでに校舎にまで火を点けようとすら考えたが、そこは自重しといた。当初の予定では無抵抗で殴られ、その代わりにこれまでの過失を水に流すよう頼み込むつもりだったが、世の中そんなに上手く事は運ばねえ。ケジメをつけられなかった俺は結局、ここらの不良連中をひざまづかせることでしか、解決方法を計れなかった。当然、学校側はそんな俺を修学旅行に参加させず、自然と愛募がいる場所から俺は距離を置かざるをえなくなった。
――もう学校へは、行けねえ。
そう思いながらも気づけば彼女が使う通学路のそばで、たむろする自分がいる。一日一度でいい。顔が見たかった。出来れば声も聞きてえが贅沢はいわねえ。あの陽気で明るい笑顔が見れれば、それで充分だった。
だが通学途中、髪を揺らして歩く愛募は、暗く沈んだ表情を見せるようになっていた。女友達が近づくと屈託のねえ笑顔は復活する。でも上っ面だけだ。一人で歩いてる時には涙さえ見せやがった。ちきしょう。誰だ、愛募を泣かす奴は。そう思いつつも、初めて目にする彼女の泣き顔に「可愛いじゃねえか、この野郎…… じゃなかった、このスケめ」なんて、己の恋心を自覚しちまう。
それから俺は原因を探るため、少しだけ学校に行くようになった。積極的に話をかけるなんて出来るわけじゃねえ。それでも、少しでも近くにいたかった。
彼女は教室でも、時おり表情に陰を差してた。物思いにふけることが多くなり、ため息を漏らす。そのたびに俺の心は疼きの度合いを増し、でっかい穴が広がる。
――どうすりゃいい。
どうすることも出来ねえ自分が悔しかった。なにより登校を再開したことで、彼女の強がりを間近で見ることが切なかった。俺に出来ることは、なんかねえのか。
授業の内容なんざ役にたたねえ。彼女に告白する資格もなく、かといって見守るに辛い日々が一日、三日、一週間と瞬く間に過ぎていく。
――まさか あの野郎のせいか?
彼女にモーションをかけてるらしい、違うクラスの男子。リーとかいう名前の中国からの留学生だ。認めたくねえが愛簿の方もまんざらじゃないように見えた。一度ならず登下校の最中に並んで歩く姿を見てしまってもいる。ちくしょう。あの野郎が泣かしてんのか。日本文化じゃ考えられねえような鬼畜な責めで、愛募をよがらせてんのか? そのせいで愛募の腕にぶっとい毛が生えてきたのか? ちくしょう、ちくしょう。だが、だからといって俺に、なにが出来るだろう。
屋上にでもリーを呼び出して、奴をシメるか。そんなことを考えて迎えた翌日。
「んだとぉ!!」
愛募の元気がなかった真の原因が分かった。俺は驚きの声と悲しみが入り混じった声を上げた。
通学途上にも朝のホームルームにも愛募の姿が見当たらなかったので、それとなく隣の女に聞いたら、今日付けで転校したのだと言う。修学旅行のあと、しばらく学校に来ていなかった俺だけが知らなかったのだ。
その日の夜、俺は生まれて初めて後悔という言葉を、涙で濡れた布団の上で知った……
出席日数が足りないかも? という心配をよそに、俺にも無事卒業という日がやって来た。
硬派を気取る俺は泣くのは耐えたが、式が終わって校舎を顧みた瞬間には、やはり淋しく感じられた。校庭の傍、桜の舞い落ちる一角では、同級生の奴らが男女と問わず抱き合っていやがる。
――二度とは戻らない時間か。
振り返るべき記憶は一つしかねえ。が、いつまでもこの場にとどまっていると涙を誘われそうで、振り返ることもせずに俺はその場を離れた。
胸の中をめぐる痛みが愛募を思い出させる。きっと俺はいつまでも忘れないだろう。いつのまにか駆け出していた。それでも痛みは消えることなく、くり返しくり返し、俺に襲い掛かってきた。息をはずませて、ひたすら走る。影が重なり、俺を追いかけた。
――ありがとう。んでもって、さよなら。大好きだった愛募。
俺は胸中に声を忍ばせた。気づきたくない涙が、目じりを流れて散っていく。
そんな俺の人生はまだ、これからも続く。
作中に第四回べた恋企画参加の、一部の作者さんに似た名前が出てきましたけど、きっと気のせいです(笑)