72.最初の窮地
異変が起きたのは第二階層中盤に差し掛かる時だった。
真っ先に投げナイフを取り出したのはヘクターだ。どの冒険者の索敵よりもスキルを持たない彼が反応した。投擲されたナイフは枯れ草の陰に隠れた魔物に見事に命中する。それが第二階層の魔物なら何も問題なかった。でも、実際にそこにいたのはフードを被ったゴブリンだった。
「みんな聞け!このエリアはもう今までの第二階層じゃない。知能のある魔物が沼に潜伏してるってのは厄介なことこの上ない。常に警戒を怠るな!」
足場は狭い橋の上しかなく、それも頼りない。毒沼の中に入るのを厭わなければ戦略の幅も広がるはずだ。それをしないのは第三階層以降に体力を温存したいからだ。
汚れは精神を削ぎ落とす。ましてや毒の沼が皮膚や衣服にこびりつこうものなら体力すらも持っていかれる。このダンジョンは攻略させる気があるのか。橋を繋げた先駆者たちはまったくもって偉大である。
「モネス、足元だ!」
ネーヴの声に即座に反応するモネス。モネスの足元には橋の木板に隠れるように魔物がいた。ぬるりと這い出るように鋭利な刃物をモネスに突き立てようとしていた。
それをスレイがモーニングスターで叩き潰した。
危機を回避したのも束の間、今度はスレイに向けて矢が飛来する。ヘクターが的確に剣で打ち落とさなきゃ命中してた。すかさず矢が飛んできた方向に矢を撃ち返し、魔物を仕留める。
守りにいこうにも隊列は縦に伸び、入れ替われるほど木の幅に余裕もない。攻撃に対応できない人は前後の人に助けてもらうしかない。なのに、攻撃が収まるどころか次第に間隔が短くなってくる。まるで待ち構えてたかのように。
あ、これ、思ったよりやばいかも。
「ヘクター!想定より多すぎる。このままじゃじり貧だ。ちんたらしてたらやられちまうぞ!」
先頭を任されたミラのパーティーメンバーの一人がヘクターに向かって叫んだ。
それはヘクター以外の共通の認識に思えた。でも、ヘクターは特に焦った様子はない。淡々と作業のようにナイフを投げ、襲ってきた魔物を次々と殺していく。
ほんのわずかな時間ですでに二十を超える魔物が襲撃してきた。これは異常だ。いくらダンジョンの決壊が起こる前兆であっても、この魔物の行動は不可解だ。まるで何らかの意志を持ってるかのようだ。前の時は魔物はただ破壊の限りを尽くすだけで知性のある行動はとらなかった。でも、今目の前にいる魔物たちは明らかに集団行動をしてる。
「予定どおりだ。そのまま進め。タイミングは俺がとる」
「そうかよ!ちくしょう!」
男は歯をぎりぎりと軋ませ、言いたいことを飲み込んだ。ダンジョンの中じゃ全体のリーダーであるヘクターの指示は絶対だ。それだけは耳にタコができるほど念入りに忠告された。この男も提案こそはすれど決して歯向かうような真似はしない。
自分のパーティーじゃない人間に指示されるのは存外ストレスがたまる。パーティーの意向が反映されにくいし、自分たちじゃ絶対決断しない行動を強要されるからだ。それでも全体の秩序のために吞まなければいけないこともある。そういう意味じゃ弁えている。
ネーヴはともかくクリスタは反発しそうなところだけど、意外にもクリスタは黙って従ってる。彼女は昨日私たちのテントに戻ってこなかった。ヘクターと一体何を話したんだろう。少なくとも、クリスタの視線にはもうヘクターへの敵意はなくなっていた。
「ヘクター!後ろから魔物が大量に!」
後ろだけじゃない。足元からも私たちの足を傷つけようと魔物の刃が迫ってくる。そして、視線が逸れたのを見計らって遠くから矢が射られる。たまったもんじゃない。こんなことを続けてたらいずれ誰かが負傷する。それどころか、ここで全滅だってありえる。矢やナイフは鈍い光を纏っている。つまり、何か塗ってあるということだ。そんなの毒以外ありえない。ほんとにふざけてる。道中だけなら今まで攻略したダンジョンで一番えげつない。
「今だ!全員走れ!絶対に止まるな!最後まで走り抜け!」
ようやくヘクターの指示が飛ぶ。
その瞬間、隊列の前後の橋が爆発した。私たちを襲おうとした魔物たちがまとめて吹き飛ぶ。そして、連鎖するように沼に仕掛けられていたであろう爆薬が爆ぜた。突然の出来事に戸惑うも足を止めることは許されない。先頭が見えない以上、前の人についていくしかない。
ヘクターの狙いはすぐにわかった。
橋はもう使えない。でも、土魔術で盛り上がり固められた地面が出現した。先頭を走ってたルントの冒険者の誰かがやったことだろう。でも、こんな大掛かりなことをするには事前にこの場所に様々な仕掛けを施してなければならなかったはずだ。爆弾にしろ、この土魔術にしろ。
新しく出来上がった道を夢中に走り抜ける。あれほど追い込まれたというのに、呆気なく私たちは第三階層の入り口に到着した。
「俺はもう……魔力切れだ……」
おそらくあの土魔術を行使したであろう男が手を膝に当てて死にそうな顔していた。




