18.罠
クリスタはそれ以降、話題を振らなくなった。ダンジョン調査に気持ちを切り替えたんだろう。こちらを試すような挑戦的な視線も、今は鋭くダンジョンの奥に集中させてる。
少し進んだ先に開けた場所があった。そして、私たちの顔が翳る。
「何もない……?」
そこは本当に何もない空間だった。道から差し込んだ光で朧げながら全体像を掴むことができた。ただの行き止まりだ。ダンジョン特有の光も文明の痕跡もない。まるで罠のようだ。
「罠だね」
私の頭をよぎった可能性をネーヴは断言した。
でも、その時にはもうクリスタとセルマは中央付近にいたし、私たちもこの空間に踏み入ってしまっていた。
「下が空洞になってる。あと、音がする。もうすぐここは崩れるよ!クリスタ、セルマ、ただちに引き返すんだ!」
クリスタの判断は早かった。理由を聞かずにセルマの手を引いて駆け出す。
でも、遅かった。
地面は私たちのエリアもろとも崩れ去る。私とネーヴは離れ離れにならないように手を繋ごうと手を差し伸べあったけど、少しだけ届かない。
ああ、こんなことならあの二人のことを気にかけなきゃよかった。
そんな冷めた思考とともに私は落下していった。
「ネーヴ!」
どれほどの高さから落ちたのかも把握できない。とにかく合流するために私は叫んだ。でも、返事は返ってこない。クリスタとセルマの声も聞こえない。
落下の衝撃は大したダメージにはならなかった。痛いことは痛いんだけどね。私の種族は打たれ強いし、ネーヴも元ドラゴンだからあの程度死ぬはずがない。でもまあ、瓦礫の上に落ちたから打ちどころが悪かったら骨が折れたかもしれない。
「おかしい。そんなに離れてなかったのになんで?」
誰の反応も返ってこない。
異様だ。ただ地面が崩壊して下の階層に落とされたわけじゃないっことだ。こんなダンジョン、経験したことない。とにかくネーヴを探さないと!
行動を起こそうとした足をぴたりと止めた。僅かに周囲から音がした。安否を確認する声に応答せず、じりじりと近づいてくるその音は複数ある。
十中八九、敵だ。
「邪魔すんなよ。私は今気が立ってんだ」
私が知らないところでネーヴが危険に晒されてる。そんなのイヤだ。今度はちゃんと守らないといけないのに。もう二度と仲間を失いたくない。
暗闇の中、私は魔術で火を焚いた。現れたのは狼の群れだ。狼といっても見た目だけの話で体格は倍以上にある。
「この程度で私を殺せると思うな!」
『空間収納』スキルから魔剣を抜き放つ。
私の体内で錬成された鉄で作られた魔剣は私の手によく馴染んだ。まるで私の手の一部になったかのように剣先まで感覚が行き渡る。
たった一薙で狼の大きな首を切り落とす。
造作もない。5万回以上やったことだ。10年経ったところでブランクなどあるはずがない。舞い散る血飛沫に注意を払うぐらいしか気をつけることなどない。そんなことより今は向かうべきところがある。仲間のもとへ行かなきゃならない。
でも、どうやって?
暗闇は魔術で火を灯せば解決する。それでも、やりすぎると危険だ。どういうわけか、ダンジョン内で火を燃やすと死亡者が出るジンクスがある。実際に不審な死を遂げた冒険者を発見したことがある。それが火に結びついたのは冒険者たちの経験則に過ぎない。
つまり、あまり時間はないってことだ。
周囲を見渡すと、いくつかの穴があることがわかった。それがどこに繋がってるかは不明だ。どこにも繋がってない可能性だってある。
「ああ、もう!どうすればいいの!」
焦りで声を荒げる。
こんなことは一度もなかったのに。前の時はいつだってアストリッドがいてくれた。ダンジョンの中で一人になったことなんてない。どうすればいいの?
不安だけが募る。突然の出来事に対応できてない。冒険者失格だ。冷静にならなきゃいけない。なのに、そうはいられない自分の不甲斐なさに苛立った。
「あ、そういえば……」
私は『シーカー』のスキルを思い出した。宿で使用した際はひどい頭痛を引き起こした。でも、日常的には取り込める情報は少ないけど、問題なく使うことができた。だとすると、このダンジョンを対象にしたら一体どうなるんだろう。ダンジョンにあるオブジェクトじゃなく、ダンジョン自体にだ。
このままじゃ埒が明かないのは確かだ。一個一個の穴を隈なく見てる余裕なんてない。なら、一か八かやってみるしかない。
「頼むから、頭痛くなんないでね」
わりとトラウマになりかけた痛みだ。本当はやらなくていい選択があるならやりたくない。
『シーカー』のスキルを発動させる。
ああ、やっぱりきた。頭が割れそうになる。この痛みや吐き気は自分の頭に使ったからじゃない。より多くの情報を取り込もうとして脳がパンクしかけてるんだ。自分の知ってる既知の情報だけじゃなくて、未知の情報も雑多に流れ込んでくる。不要な情報を整理して必要なものだけをピックアップする。その処理が短時間で行われるため、私の今までの人生であまり活用しなかった脳の領域がフル稼働してる。
その結果、私は嘔吐した。
「なにこれえ……」
道中、食事しなくてよかった。被害は最小限に収まった。私のなけなしの尊厳はさらに目減りしたけど。でも、収穫はあった。
「このダンジョン……ダンジョンじゃない?」
掴み取った情報を元に編み出した事実を口にする。
「誰かがダンジョンに見立てて作成したまったくの偽物。一体どんだけの労力をかけて穴掘ったんだ?しかも、私たちをハメるために?だから、入り口だけダンジョンと認識できる雰囲気を演出したわけか。単なるハリボテだったんだ」
じゃあ、誰がそう仕向けた。そういう話になる。
そうなると、クリスタかセルマ、あるいはその両方が説として濃厚である。もっと深く潜れば真実が見えてくるかもしれない。だけど、このダンジョン型のトラップの基盤となる場所への行き方は判明した。そちらを優先すべきだ。トラップを解除すればネーヴの場所も『シーカー』で容易に調べられるはずだ。
「犯人は誰だっていい。立ち塞がるなら切るだけだ。私の大事なものに手を出すなら殺す」
だけど、一つだけ気掛かりなことがあった。
流れ込んできた情報の一つにこのトラップを誰が仕掛けたかの情報が含まれてた。その情報に嘘偽りがないなら、このダンジョンは「ゲラート」が作成したものになる。こんな偶然がありえるんだろうか。私が道中で切り伏せた男の名前が浮上するなんて。