第2話 エミール
城塞都市トワイライト。西海に面した広大なフェーリーン大陸に、かつては王国で栄光を築いたグラン・シャル王国からその名を脈々と継いだ歴史ある町だ。
歴史があるだけで何もない。今は観光で成り立つ田舎町だ。
女神のアミュレットにこの地方独特の編み込みと紋様を施す織物。グラン・シャルからは遠方に続く遺跡への直通バスが出ているため、観光中心地になっている。
遺跡発掘と戦後五十年を記念して、七年かけて作られた「グラン・シャル国立博物館」の設立を機に観光客の賑わいは一層加速している。城塞都市の名はこのフェーリーン大陸で瞬く間に有名になったのだ。
放課後のオスカーの日課と言えば、クラスメイトは皆クラブに入ってスポ―ツに励む姿を横目に、学校に隣接している「グラン・シャル王国博物館」に裏口から侵入することだった。正面から入るのでは芸がない、という理由で裏口から入るのではない。
フリーパスチケットを受付に見せることが手間だったのだ。学生アルバイトのエミリーは暇を持て余しており、オスカーを見つけると話しこもうとするのだ。
回避できる危険は回避すべきだ。オスカーは招待者が開けたておいてくれた裏口からいつものように、我が家のように入り鍵を閉めた。
「セピア暦一九〇〇年に発見されたリリアノ海にて発見された沈没船は?」
オスカーは考えるよりも先に答えを口にした。
「―――そんな船はない。その年に沈没船が発見されたのはヴァレリー海峡ユーティス海賊船だ」
「入っていいですよ」
オスカーはやれやれとため息をついて、お決まりの「謎かけ」に答えた。
整頓された本棚に、いつもクリアガラスケースに保管されている遺物、思わず手に取りたくなるような古い書物、地図、コンパス、鉱物、見たことのないアンティークな道具が広がる机。天井には星座の彫刻が施され、太陽系の記したモニュメントが吊るされている。
博物館を巡回しきったオスカーにとって、この書斎こそが真新しい発見の場所だ。
謎かけをした張本人は厚手のエプロンに身を包み、また見たこともない石板にルーペを通してかじりついていた。
「やあ、遅かったですね、オスカー。また先生を困らせたんじゃないですか?」
「今日は三分で済んだよ」
「あ、はは! 進歩したじゃないですか。前回から二十分も短くなった」
このひねくれた話し方をする中年とは思えない若々しい男は、エミール・フラン・ベルンシュタイン。丁寧な口調の割にひねくれ者。オスカーにとっては母の弟、つまりは「おじ」にあたる人だ。
くせ毛の強いココアブラウンの髪のオスカーと違い、ストレートの白髪を伸ばして束ねている。成人男性の平均身長よりも高い。贅肉などないすらりとした体格をオスカーは羨ましく思っていた。
しかし我が一族を象徴する金色の目だけは同じ。
そしてこの博物館の副館長であり、考古学者だ。一昨日ようやく大学の研究発表会から解放されたため、次なる研究に没頭できるらしく、顔は晴れやかだ。世界中を飛び回っていた考古学者のくせに日に焼けておらず、色白で、未婚ということもあり、学者として参加する社交界の場では女性にかなり人気だと受付のエミリーは言っていた。
家を空けがちな両親に変わり、オスカー含めた姉妹弟の面倒を見てくれているのは祖父とエミールだった。エミールは博物館近くのアパートの一室に住んでおり、実家にちょくちょく顔を出している。祖父一人では手に負えないような姪と甥の学校行事も、エミールは進んで参加してくれていた。授業参観にエミールが来た時はクラスメイトの女子は勿論、マダムたちも頬を染めてしまうくらい、目立っていた。目立ちたくないオスカーにとっては恥ずかしいことこの上ないが、身内がカッコイイことはオスカーとしても誇らしかった。
オスカーは残念ながら、教師との折り合いが悪く、説教を食らうことが多かった。素行が悪いわけではないが、歴史の授業がオスカーにとっては退屈なものだった。
オスカーは勝手にエミールの机に座って宿題に取り掛かった。
「おや、今日はご機嫌斜めですね、王子様」
「その呼び方やめてよ。それを言うならエミールだって王子様だろ?」
かつて王家だったベルンシュタイン家を揶揄して、オスカーは王子とクラスメイトに呼ばれることがあった。それが嫌で、オスカーは自分の名前が気に入らなかった。
「何で俺にシリウスなんてミドルネームつけたのさ」
「私のお気に入りの女王様だから」
「でも、狂王だってテキストに書いてある」
まさに、今日の授業はグラン・シャル王国の歴史。当時王家として君臨していたベルンシュタイン王家へと章が進んだ。帝国に侵略された旧体制の王国としてテキストに書かれ、その中でもシリウスは狂王として記されていた。
「そんなのは後から来た帝国の奴らの妄言。女王の成した治政の数々に嫉妬したにすぎないんです。フェーリーン大陸の統一、そして王都トワイライトの再建、大陸航路と海上航路の形成………」
「それから、七星卿の登用、だろ?」
オスカーは指を折りながら答えた。
「戦慄卿、銀翼卿、放浪卿、秘匿卿、詩聖卿、天狼卿。それから飛燕卿」
「正解。よく勉強しているじゃないですか」
「ま、それだけが取り得だからね」
オスカーは王国の歴史を、学校で習う前からエミールに教わっていた。エミールはまるで見てきたかのように話すので、オスカーは王国の歴史を覚えることに引き込まれていた。
「オスカーは本当に物覚えがいいですから、教え甲斐があります」
一度言われたことを忘れない、という妙な特技のおかげもあって、勉学に困ったことはない。教師以上に王国の歴史に詳しく、それを提出ノートに書いたり、口答えしようものなら授業態度の評価は思わしくない。