第3話:飛龍の騎士(3)
「お待ちください、父上。俺は————」
来年三十路になろうという男が、十歳の少女を妻にするというのか?
嫌悪から拒みたいわけではない。王の誓約を守るよりも、信念を曲げられないことを父は知っているはずだ。
「この国を守ることこそが私の運命です。私は亡き妻の墓前で誓ったのです、もうこの国を離れず守ると、誰とも結ばれないと。父上もご存知でしょう?」
「ここにいては守るものも守れん!」
父は声を荒げ、机に拳を叩きつけた。
「他の小国が誰を選ぶかが重要なのだ。青の国からは恐らく神童と謳われるネーヴェ太后の一人息子だろう。あの女狐は権力に執着しているからな。王候補となれば、可愛がっているとはいえ、息子を差し出すことだろう。年齢が女王陛下に近いことも好都合だ。
白の国、紫の国。加えて忘れられた者の黒の国だ。彼奴らがそれに応じるか否かは分からぬ上、王国に縁を着られた恨みもあろう。陛下の身が危険になるに違いあるまい」
「ですが、俺は————」
父がここまで世界の情勢を見据えて考えているというのに、この期に及んでまだ自分の信念を守ろうとする自分が情けないとテオは思う。
「この国に留まり続けることが、お前の本当の望みか? 生きて、与えられた役目を果たしたと本当に言えるか?」
「俺は騎士です。立てた誓いは守らなければなりません! いくら父上の命令でもきくことは出来ません!」
テオの訴えに父リディアスは、今まで聞いたことのない落ち着いた声色で答えた。
「お前以外の適任がいないのだ、テオドロス。数少ない男児だからではない。お前が最も高潔な騎士であり、不屈の戦士だからだ。幼い臣下ばかり、加えて得体の知れぬ者を女王陛下の近くに置けばどうなるか、火を見るより明らかだろう。誰が陛下を守ってやれるというのだ」
「…………」
「私は小国の主となったが、本意ではない。ずっと他国の侵略や政治に振り回されて来た。
諸家を結びつけるために娘を嫁がせ、戦のために老人たちにすら鎧を脱がせることを許さなかった。正義や名誉、高潔さとはかけ離れた行いを続けてこのまま老いて死んでいく」
父は壁に飾られた飛龍の旗を見上げた。テオは父の横に並んだ。
「『幾星霜。我ら騎士は待ち続ける』」
父の言葉にテオは続ける。
「『遠き星の導きに従い、王の元へ降り立つべし』」
「よく覚えていたな」
「母上が眠る前によく読んでくれていたので」
ココアニス家の祖であるミザール卿が遺した騎士の物語の一節。
王の友人であり臣下であったミザール卿は、西の果ての統治を任され、そこを領地とした。
ミザール卿は王の勅命を待ち続けた。しかし彼の王から呼ばれることは二度となく、その地で生涯を終えたという。
「本来、ココアニス家は王に仕える騎士の一族。一族の悲願をお前に叶えて欲しいのだ、テオドロス。私のように諦めて欲しくない」
父は案じていた。息子の未来を。
同じように夢を持った息子に、望みと自由を託したかった。戦いに明け暮れるのではなく、西の果てでただ座しているのではなく、自ら王を助けに行く騎士になれと。
「王国のために仕え、陛下のお力になるのだ。いつかお前にも分かる日が来る。それが騎士にとってどれ程幸福なことか」
「父上」
父は夢を見ていた。
長くそして儚い夢を。
叶うことのなかった、幼い頃に憧れた騎士の物語。王から頼られるどころか敵のように隔離され、善意も忠誠も拒まれた。
父は生涯、祖父から授かった小国の王としての証を身に着けることはなかった。
そして父は王の証を返還し、二度と王とは名乗らなかった。
それは、父が亡くなる二年前のことだった。