5.異世界に降り立つ (3)
前回のあらすじ
妻と永遠の別れをした直後の話を思い出してました。
コピ・ルアク、いつか飲んでみたいです。
「やっぱり、言ってた事と違うよな…。」
女神様との会話を思い出して、独り言ちる。
目覚めたら森に一人きりの状況とか、女神様は一言も言ってなかった…、はずだ。はずだけど、―いや、それより山を下りながら考えよう。
俺は一歩一歩と足を出す、その度に体が痛む。
更に一歩一歩と足を出す、その度に顔が引き攣る。辛い。
ちなみにだが、闇雲に歩いているわけではなく、川がありそうな方角というか地形を一応目指しているつもりだ。もっとも、聞きかじった知識での判断に過ぎないが。
「ハァ…ハァ…女神様は、相変わらずだったけども…」
でも、本当にどうして知らない場所に一人だったのだろうか。しかも、傷だらけのおまけつきで。
女神様の話では、生活基盤がしっかりした上で記憶を上書きだったはずだ。だったら、目覚める場所は自宅の寝床の上辺りかと思っていた。
でも実際は森の―。いや、うっすらと家の記憶はある…ぞ?
あるけど、―それは夢だったかと思えるほどに曖昧で、夢のようにも思える。
うーん、結局どういう事だろう。記憶を上書きした時にたまたま今の悲惨な状態だった、という事なのだろうか?
いや、でもそれだと『上書きした記憶は、それ以前の記憶と共存する』という事に矛盾する。
だって今の俺には、この世界で17年間生活してきた記憶が無いのだ。
「ダメだ…さっぱり分からない。」
ずっと継続していた独り言を尚も呟く。
欧米人の如く肩を竦めようとしたが、痛みに邪魔をされ顔を苦痛にゆがめる。いたたたた…
そもそもの話、俺は本当に転生したのだろうか。もう何もかもが疑わしい状況だ。
とにもかくにも、だ。現状をまとめてみよう。そうすれば何か思いつくかもしれない。
んー、考えられる可能性は…、3つ程か?
「一つ、俺が妄想癖に罹った。…これ、前も同じこと考えたな。それはさておき。」
「一つ、何かイレギュラーな事態に巻き込まれた。」
「そして一つ、女神様に…騙された。」
最後の一つは…考えたくなかった。
口に出して少し後悔する。それでも、俺が今置かれているこの惨状では否定しきれないのが悲しい。
「はぁ。考えても仕方ないか…。」
そう、答えなんて出ない。分からないことだらけだ。
いやいや、考え直せ俺。そもそもだ。80年の人生で先が見えていた事なんて無かっただろう。
いつでも手探りで藻掻きながら俺は、いや、人は生きているのだ。だから今回も前に進もう。とりあえずは、この山をくだって―。
「ん?気のせいか?」
足音を立てていた体を止め、両手あてがい耳をそばだてる。
確かに聞こえた気がしたんだが―。
「…。気のせいじゃない!水の音だ!」
目覚めて以来はじめての吉報に、疾風の如く足を動かした。体が上げ続けていた悲鳴も、今ばかりはエールに聞こえる。頑張れ俺!頑張れ俺の体!
方向を見失わないよう片手は耳に添えつつ、もう一方の手でバランスを取りながら音の方へと近づいていく―。
「あった!」
小川だ!
運良くも、倒れていた場所からそう遠くない場所に流れていたようだ。景色もさっきの場所とさほど変わっていない。
川に出る際、最悪急勾配を降りることを想定していたが、その心配も杞憂で済んだようで、その清流は歩いていた道とほぼ変わらない高さに流れてくれていた。
とりあえずは、そこの岩陰に腰を下ろそう。
「ふう…。あ!」
水飲むんだった!体が重すぎて腰を下ろしてしまったじゃないか。とんだケアレスミスだ。
もう一度立ち上がろうと試みるが、小川の数メートル手前で休んでしまった体は、そこに根を張ったように立ち上がることを拒む。
ったく、強情な奴め。しかたない、お互い妥協といこうじゃないか―。
結局、その数メートルを這い這いの体で、さながら亀の様に移動するという何とも格好悪いフィニッシュを決めたのだった。
「―ぷはぁ。」
水にあり付いてから、数分。先ほどの岩陰に戻った俺は、休憩がてら恒例の思考タイムに入る。
まずは、反省点だな。
水にありついたはいいが、安全を確認せずにガバガバと飲んでしまった。今日はお腹を下さないよう祈っておこう。とはいっても、この体じゃ火を起こせなかっただろうし、そもそも万全の体でも難しかっただろうから、仕方ないと言えば仕方ないか。
80年の人生経験も、あんまり役に立たないんだな―。
いや、それでも水を飲んで落ち着いたおかげで頭が回ってきたし、悪いことばかりじゃない。
だから次だ。
えーと、忘れていたが、ここはおそらく異世界だ。という事は―。
俺は期待を胸に、ゆっくりと息を吸い上げた。
「ステータスオープン。」
その言葉を発した直後、突然『ブオンッ!』という音を立てて空中に謎の表示が浮かぶ。
―という事は無かった。
何も起こらないという事実だけがそこにはあった。…チクショウ。
「ステータスオープンッ!!」
今度は手をそれっぽく前に突き出しながら、声を張ってみる。
「オーーーープンッ!」
どれだけ手を揺さぶろうと、それらしいものは一切現れない。
…。
「ファイア!」「メラ!」「キュア!」「ホイミ!」
「ファイラ!」「メラミ!」「ケアルガ!」「ベホマズンッ!!」
…。
「魔人剣っ!!」
―んがっ!?
木の棒を振りぬいた右腕が悲鳴を上げただけだった。
物心ついた時から、ベッドの上で一日たりとも欠かしたことのなかった魔法の練習は、今日も実を結ぶことは無かった。くそう!俺の80年は何のためにあったんだよぅ!ベタとかいうな!誰でもこの状況なら同じことするわっ!
と、そんな誰についているのか分からない悪態をついた時だった。
ふいに鼻を突くほどの異臭に、体が硬直する。この臭いは、間違いなく―。
「グルルルル…」
聞きたくなかった声が、草陰から響いた。間違いなく、獣だ。
今さっきまでファンタジーだった脳内が、一気に現実へと引き戻される。
―迂闊だった。
声を出していれば野生動物は近づいてこないだろうと高を括っていたが、それはあくまで地球での常識だ。異世界とあれば襲われたって不思議ではない。
どうする?
俺の装備は布の服と、ヒノキじゃない棒。魔人剣が出ないのは確認済みだ。もしかしたら他の技が出るかもしれないが、そんな賭けに出るくらいなら逃げる算段を立てたほうが遥かにマシだ。
いやそんなことより!何よりも先ず相手の姿を確認しないと対策のしようもない!
俺は声のした方向を注視する。手に握った木の棒がじんわりと湿り気を帯びるのを感じながら、視線をそらさず、ゆっくりと立ち上がる。
すると、間を置かずして声の主はむんずと姿を現した。
「いの…し、し?」
見た目はまるっきり猪だ。しかも運のいい事に、それほど大きくない個体。これなら何とか切り抜けられるか?
…いや、まてまて。待て!
さっきまでの反省を生かせよ俺!80年無駄に生きてきたのか?猪だぞ?あの猪だぞ?警戒心が相当に強く、普通は人に近づかないそんな動物だ。それが目の前に姿を現したんだ!明らかに異常事態に決まっている!それに、さっきからビンビンに敵意を感じるだろ!
とにかく、目を逸らすな!ゆっくり後ずさりしろ俺!あー、後ろは川だった!じゃ、じゃあ斜め後ろだ!斜め後ろに後退しながら、奴を中心として円弧状に移動し林に入る。その後は木にでも登ろう!よし、それでいこう!
だが、猪はこちらの計画などお構いなしに既に突撃の前動作に入っていた。遅ればせながらそのことに気付いた俺は、またもや後手を踏んでしまう。
おいおい、勘弁してくれ!どうすんだよ!!
「―グオオッ!」
猪が一鳴きしたと同時に突っ込んでくる。加速が想定よりも大分早い。その速さは聞いてない!あ!そうだ!相手は所詮猪だ!飛べっ!
距離が縮まる僅かな時間の中、俺が取った行動は横に飛び退くというものだった。急な横移動にはついてこれないと踏んでの咄嗟の行動。
しかし―。
「おい…おまえ、曲がれるのかよ…。」
急ブレーキをかけた猪は横目で俺をギロリと睨み、軽々とその場で方向転換してみせた。
一方の俺はと言えば、横っ飛びした体勢から未だに立て直せていない。
―あ、マズい。
速度を上げて近づくイノシシ。その光景に耐えられず、俺は目をギュッと瞑った―。
「伏せてくださいっ!」
突如聞こえた声に反射的に従う。
頭を抱えて、大地に跪いたその上方からグゥオオゥ!と呻き声が聞こえた。ドスドスと地面を響かせる音が遠のいていくのを感じてから、顔を恐る恐る上げると―。
日の光を背負ったシルエットがこちらに向かって歩いてきていた。
「大丈夫ですかぁ?」
その光景は、まさに教会の天井に描かれていそうな女神降臨の如く感じられた。
―続―
ようやく異世界冒険が始まりました。
ホントにようやくですね。
最近はこの導入部分をすっ飛ばして書かれている転生物の小説が多いので、あえてしっかり書き込んでやろうという
反骨精神むき出しの俺カッコいいぜ!みたいな中二感バリバリのノリで書きました。
という事は、特にないです。
転生物である以上ご都合主義的なお話になるのは仕方ないですし、本作も例に漏れませんが
なるべくご都合主義と「思わせないよう」な感じに仕上げたいとは思っています。
是非とも評価、いいね、コメントをお寄せください。
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では、今回もありがとうございました。また、お待ちしております。
―煮木倫太郎―