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叡智の願い

作者: 安藤ナツ

 異世界転生をする際、私は神を自称する禍々しい存在に知性を願った。正確には『世界で一番の賢者にしてください』と願った。それは勿論、思考し学習することこそが人類最大の武器であると考えていたからだ。人類は様々な困難や難題を、考えることによって乗り越えて来たと私は信じていたのだろう。

 そして、私の願いは叶えられた。新たな世界で産まれ変わった私は、並ぶ物のない知恵者となった。

 だが、それは別に私が神の叡智を手に入れたとか、そう言う話ではない。


「うほ! うほ!」

「うっほ!」

「うー! あー!」


 私の周りには、二足歩行を始めたばかりの類人猿の姿しかない。なんとか石を武器とする程度の知能はあるが、それだけだ。彼等は言語を持たない。言語がないので文化もない。彼等にあるのは原始的な生への執着と、僅かな記憶力だけだ。知性はまるで感じられず、人と獣の境界線はまだ曖昧だ。

 そう。二十一世紀の現代日本人であれば、類人猿の中でなら十分に天才を名乗って問題ないだろう。もっとも、天才を名乗ることになんの意味もない。私の群れの仲間達は、言葉の意味を理解できないのだから。彼等は知性と言う概念を知らない。彼等が尊重するのは、ただ餌を見つける能力だけだ。数学的な知識なんて必要としていないし、餌を見つける以外の行動は全てエネルギーの無駄で危険であると脳に染みついている。

 つまり、簡単に言えば、世界一の賢者である私には何の価値もなかった。いや、下手に前世の記憶があるため、生の得物を食べることができない分、世界一の賢者である私は他の物よりも劣っていた。狩りが出来ず、生肉も食べられず、私は群れのお荷物だった。果実や木の実を集めることは出来たので餓死することはなかったが、獣を狩れない私は誰からも見下されていた。

 言い訳をさせてもらえば、捕れるかわからない獣を追うよりも、果実や木の実を拾った方が効率は断然良い。実際、狩りに出た連中が手ぶらで帰って来るのは珍しくなく、と言うか殆どで、大抵は女子供が拾って来た山の幸を頂くことになっている。真の無駄飯位は男の方だ。

 だが、そう言った論理的な思考は意味がない。男は獣を狩って当然、それがこの世界の道理なのだ。

 そう言うわけで、私の異世界転生は絶望だった。

 今日も私は希望もなく野山を彷徨い、ただ生きる為だけに食物を捜す。閉塞感に気が狂いそうだ。もしかしたら、私は世界で一番最初に自殺した人類になるのかもしれない。もっとも、それを語り継いでくれる者もいないのだが。


「はあ」


 溜息を吐き、適当な場所に腰を下ろした。手に持った熟した果実を齧り、噛み切れない皮や筋を吐き出す。品種改良されていない果実はとても食べられた物ではないが、生肉を食べるくらいならコレの方がましだろう。丸々一個を腹に収め、戯れに種を飛ばす。飛ばした種は三メートル離れた当たりに落ち、私はその時になって初めて大型の獣の骨がそこにあることに気が付いた。

 熊のような大きな獣は、骨だけになっても随分と迫力があって近寄り難い雰囲気を放っていたが、変化のない日常に倦んだ私は興味本位にそれに近寄った。完全に白骨化した骨の一本を手に取って見る。意外と軽いが、その割には頑丈な手応えが手に返って来る。長さ三十センチ程の一本を選び取ると、それを持ち帰ることにした。

 暫く拠点にいている場所まで戻ると、群れから離れた所に座り、とっておきの尖った石を使って穴を開けて行く。縦笛を作るつもりだった。粗雑で野蛮な生活に限界を感じていた私は、音楽と言う文化に触れることで自分が教養ある文化人であることを再び思い出すことによって精神の復活を試みようとしたのだ。

 音楽は良い。リリンの産み出した文化の極みだ。恐らく、リリンに相当するものが生まれるまで、あと数万年はかかるだろうが。

 不格好ながら出来あがった笛を吹いて見る。そこそこ、良い音色が出た。結局の所、音と言うのは空気の振動であり、物理現象の一つに過ぎない。ある程度の知識があれば、音程は計算で導き出せる。ピタゴラスが紀元前五〇〇年頃に、音階の法則を発見したのはあまりにも有名だろう。

 無骨な笛が鳴らす音で、たどたどしく楽の音を奏でる。やばい、郷愁で涙が出てきそうだ。瞼を硬く閉じ、私は暫く演奏を続けた。

 どれくらいの間、そうしていただろうか? 久し振りに文化に触れた私が目を開くと、じーっと私を見つめる群れの仲間達の姿があった。自分達の声とも、獣の唸り声とも、風や水とも違う『音楽』に驚き戸惑い、そして確かに感動しているようだった。

 無知で野蛮で粗雑で愚昧な彼等にも、音楽の素晴らしさは理解できるらしい。

 私は彼等の言葉になりアンコールの声援を受け、再び演奏を開始した。群れの仲間達は黙ってそれを聴き、聴き終わると興奮した様子で口々に何かを騒ぎ出した。彼等に言葉はない。だから、彼等の発する言葉に意味はない。内から溢れる感情を発露する方法をそれしか知らないのだろう。

 つまり、何の教養もない無知蒙昧な彼等ではあるが、音楽に感動しているのだ。そして、同時に彼等は敬意を持っていた。群れの一人が私に食べかけの生肉を渡してくれたのだ。それに続いて、他の連中も私へと食べ物を寄越す。この世界で、私は初めて“報酬”を受け取った人間なのかもしれない。



 演奏会は群れの力関係を変えた。今までにない音を操る私を、彼等は神の様に崇めた。腹の足しにもならない無駄で無意味な音楽を、彼等は価値のある食物を貢物として納めてまで聞きたがった。恐ろしくて近寄らなかった火も、私が使うことを認め、肉を焼くことの有用性を理解した。私が指差したモノの名前を告げると、彼等はこぞってそれをモノマネして名前を覚えた。

 …………だから、どうしたと言うのだろうか? 彼等が言葉を覚え、思考を得た所で、現代人のような知性を得るのは、彼等の赤子の赤子の赤子の赤子の赤子の赤子の赤子の果てのことだ。私が生きている内に、私以外に思索出来る人間は産まれないだろう。

 私は今日も一人で笛を吹く。決して形に残らない旋律と孤独だけが心に重なっていく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 皮肉と哀愁の織りなすメロディが切なくも美しいです。 遠い遠い未来に主人公の創った骨笛が発見されて……なんて想像が湧きました。
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